37.洞窟のアジト編 口付け
もう。このまま目を閉じればきっと。彼はしてくれると思った。
いままで誰ともした事がない。初めての、キスを。
耳に当たる、男性らしい太い指がくすぐったい。戸惑うように何度か動いた手が、ゆっくりと頬から外れていく。しばらくしてスノウが目を開けると、下を向いたまま黙っている彼がいた。
「ごめん……」
そのごめんは、どういう意味なのだろうと思った。この状況で、キスをしなかった事を詫びたのだろうか。それとも思わせぶりな態度をとった事だろうか。それとも、そもそもスノウに手を、伸ばしてしまった事だろうか。
「あの、ありがとうございます。付けていただいて」
期待していた、なんて言わない。でも本当は、心から。してほしいと言いたい。いま、この瞬間。好きだと伝えてしまいたい。そしてそのまま、しっかりと彼の唇に触れたい。
「少し、手間取って……」
彼が口籠る。最初のごめんは、首飾りをつけるのに時間がかかってごめん、という意味だったのだろうか。
「次は、落とさないように気をつけます」
そう言ってスノウは笑う。本当は期待したから。とても期待していたから。だから、勝手に傷ついてしまっているその心を隠すように、必死に笑顔を作った。
女性として見てもらえたら嬉しい。そんな最初の感情から。
わたしを特別に見てもらえたら嬉しい。に変わっている。
彼女がどこか、涙を我慢するかのような表情で、傷ついたように笑っているのだ。その理由がわからなくて、セフィライズは自然の自分の手のひらを見つめた。頬に触れたのは間違いだった。自然と、彼女に口付けをしたいと思ってしまった事を反省する。それをそのまま行動に移しそうになった事も一緒に。
「もう、いいかな。これ以上は、体が冷える。戻ろう」
「はい」
立ち上がった彼が、手を伸ばしてくれる。その手を握り返すと強く引っ張られた。この手を、ずっと。離さないで欲しい。そう思うのは、身勝手な事だろうか。
戻るとナツネが嬉しそうに出迎えてくれた。元気のないスノウに気分が悪いのかとしきりに心配してくれる。それに答えながら再び食事を取った。
食べ終わるとまた全員で片付け。ナツネは手伝おうかと思い立ち上がったスノウを止めた。体調が悪いのだろうと早く部屋まで案内する。
彼女は遠慮がちにしていたが、セフィライズがおやすみと伝えると笑顔で会釈し別れていた。今度はセフィライズを部屋へ案内しようと戻る。彼は部屋の端、壁に背を当てながら下を向いて何かを考えていた。
「なぁ、さっきなんかあったのか?」
スノウの様子が少しおかしいのと、なんだか急に暗くなったセフィライズが気になった。男なのにあまり食事を取らないことも拍車をかけている。
「別に……」
「ふーん、なんか戻ってきてからぎこちなかったからさ」
セフィライズはそれを無言で受け流した。なんと答えていいかわからない。どうしてスノウが少し傷ついたような、落ち込んだ様子になったのか。理由はわからないが恐らく自分のせい、ということはよく理解できた。
「あんたらって、不器用だな」
「不器用……?」
「なんとなく」
ナツネから見て、スノウはセフィライズの事が好きだ。それは確信できる。しかし反対はどうだろうか。どうも一歩引いて、壁を作って……いや、自らを縛り付けて行動や気持ちを制限しているように見える。その態度がきっと、スノウを苦しめているのだろう。
「好きなの? あの子のこと」
「……どうして君に答える必要がある」
「んー……」
ナツネはつい口から出しそうになった。スノウはあんたのこと好きだよって。
「あたしがあんたに惚れたから」
「……は?」
くだらない冗談だと思ったのか、彼は不敵に微笑むと、どうも、と社交辞令のような返事を返す。
ナツネはそれが気に入らなかった。
「なんだよその態度。ヤタ族は嘘はつかない。あたしは本気だよ」
「……こんなのの、どこがいいかわからないな」
セフィライズは自身の手のひらを見つめた。こんな生まれで、自分の事すらよくわからないのに、誰かを尊重することもできない。会話も苦手だし、どう接するのがいいかもわからない。こんなののどこがいいのか。それは心から思う事だ。
「もっと自信家かと思ってた」
「まさか……」
腕が立つ奴は大体自信家だとナツネは思っていた。少なくともヤタ族では強い奴が一族をひっぱっていく。だから自信過剰ぐらいが丁度いい。
「……あんたもっと、周りを見たほうがよさそうだな」
その言葉、自身の兄が言っていたなど思わず苦笑してしまった。
「なに?」
首を傾げながらナツネが聞く。彼は薄く微笑みながらナツネを見返した。
「君が、兄さんに似ていたから」
「そりゃ、どうも」
この雰囲気を流すようにセフィライズは無言で遠くを見た。もう、兄と会う事もないかもしれない。そう思うとなんだか、何も考えられないと思った。このまま流れに身を任せて、このまま目を閉じて。何にも抗わずに終わるのだと。しかしいつも、最後に目の前に浮かぶのはスノウの姿だった。だから、その時まで。せめて少しぐらいは頑張ろうと思えてくる。
しばらくしてナツネがもう寝ようと声をかける。会釈しながらセフィライズは背を壁から離した。




