24.海辺の街編 遭遇
スノウは目を腫らして眠る彼の顔にかかる髪を避けた。頭を優しく撫でながら、いつからこんなにも、彼の事を愛おしく感じるようになったのかと思う。明確なその日はなかった気がした。気がついたら、心の中に彼がいたのだ。
どうして好きになったの? と、聞かれれば、スノウはなんと答えるだろうか。
彼は優しいから。そんな誰でも言えそうな答えだろうか。
1人分のベッドの上で、セフィライズの隣にスノウも横になった。体を抱えるようにして眠っている彼の穏やかな寝顔を眺めながら胸に手を当てる。彼はスノウの事を慈愛があると言うが、彼女自身はそうは思っていなかった。
自分の事しか考えられない、どうしようもない人間だ。経験しなければ、寄り添う事も思いやる事もできない。とても弱いと思う。すぐ迷って、すぐ戸惑って、すぐ辛くなって動けなくなる。
ただ彼は違う。こんなにも、虐げられて。こんなにも、辛い思いをしても。彼は誰かを。
世界を憎んだりはしていなかった。
心から、人を想いやったり。心から、何かを大切にしたり。そういう事が自然とできているのは。
「あなただから、わたしは。好きに、なりました」
この人と、ずっと。手を握って、引っ張って。時には引っ張られて。
平ではないかもしれない。厳しい道なのかもしれない。一緒に、歩いていきたいと思う。
スノウが目を覚ますと彼は既に起きていた。部屋に備え付けられた椅子に座り、スノウが渡したコゴリの実を齧っている。
「おはようございます」
スノウは起き上がり、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座った。昨晩の事を気にしているのか、彼の目が少し泳いでいる事に笑ってしまう。
「昨日は、すまない」
「いいえ、その……わたしは、とても。嬉しかったです」
いつも守られてばかり。彼に何も返せていない事をとても申し訳なく思っていた。だから少しでも、彼の助けになったのなら。それはとても、とても彼女にとって幸せな事だ。
スノウは彼が齧って半分になった実に手を伸ばし、白いそれを取る。彼は拒まなかった。口の中に入れてみる。
「やっぱり、苦いです」
「でも栄養価は高い」
セフィライズは麻袋から最後のひとつを手に取った。殻を破ると出てくる白い身。それを彼が半分食べたのを確認し、スノウはまたそれに手を伸ばした。今度も彼は拒まずあっさりとスノウの口の中にコゴリの実が入る。
スノウの渋い表情に、彼はまた苦笑した。
「ここは海辺の街だから、魚が美味しい。食べに行こうか。君が、たくさん食べたらいい」
「わかりました。わたし、たくさん食べます」
彼はなんだか決意した表情をする彼女に微笑んだ。
潮風の香りは、今まで知らない匂い。少しベタつく風に、スノウは髪を撫でるように触った。今朝のうちに茶色にしてもらった髪。彼と同じ色だ。
宿から漁港まで下り坂になっている石畳を、彼から離れないようにくっついて歩く。整えられた港にはスノウが見たこともない大きな漁船が並び、採れたての魚はあちらこちらの店で売られていた。川魚しか経験のない彼女にとって、海の魚は大きいものが多いと驚く。
所々目につくのは、やはり奴隷であろう粗末な服を着て働く人たちの姿だ。肌の色、目の色、髪の色が特殊なのが目立つ。見たこともない角や、耳の形が獣のような人もいる。世の中には、本当に色んな人種がいるのだとスノウは思った。
「あ、これは……」
白くて、薄くて、ザラザラしていて、ギザギザしたもの。あの時、初めての海に足をつけた時に、見たものだ。
「ああ、貝だよ。これは、白貝かな」
「へぇ、貝っていうんですね」
「焼いて食べたら美味しい」
そう言って微笑んでくれる彼を、直視できなかった。どう返事をすればいいか、戸惑う。
「……スノウ、私のことは、気にしなくていい」
表情に出てしまっただろうかと、スノウは自分の顔を覆って少し叩いた。
「どこかお店に入りましょう。セフィライズさん。この街は、来られたことがあるのですよね?」
「あぁうん。でも、数回。だから、適当に入ろうか」
しばらく漁港を歩いた。入口に扉はなく、窓も全て開け放たれた大衆料理の店へと入る。ちょうど客が出てくるところで、道を譲ろうと避けた、その時だった。
黒い鎧を見に纏い、隆々とした体つきの男。その顔に、セフィライズは見覚えしかない。それはあのコカリコの街で、邪神ヨルムの封印を最初に見たあの場所で戦った男、デューンだ。すぐ後ろに、趣味の悪い紅を差し、スリットの入った黒衣を身に纏った女、ネブラが続いた。
セフィライズは咄嗟にスノウを庇うように手を広げる。突然の事で、彼は敵意を隠せなかった。
「おっと……こんなところで会うとは。髪色が変わっててもわかるぜ。氷狼さんよぉ」
筋肉の壁のような体に乗った頭がセフィライズを見下ろす。その後ろで、彼らに気がついたネブラもくすりと笑った。
「あら本当だ。女連れじゃない」
「悪いが俺たちは今日、休みだ。あんたとやり合うつもりはねぇ」
声を出そうとするよりも先にデューンが喋り出す。セフィライズの剥き出しの敵意に半分笑いながら、面倒臭そうに後頭部をかいていた。
「可愛い子じゃないの。あたし、その子タイプかも」
ネブラが飛び跳ねるようにスノウへ近づいた。くすくすと悪い笑みをこぼしながら覗き込む。立ち塞がるようにセフィライズが彼女を背に隠した。
「どうしてこんなところにいる」
「どうしてって、別に俺たちはコソコソ生活してるわけじゃねぇからな。ばったりぐらいあるだろ」
「坊やこそどうしてこんなところにいるのかしら? やっぱりあれが目的?」
「何の話だ」
何にも知らないでこの街にいるのか、とネブラが笑う。セフィライズは二人を睨み付けた。
「たまたまなら嬉しい話だ。もう一度、本気のあんたと殺りあいたいと思ってたんでな」
デューンは腕を回し、セフィライズに向けて突き出す。セフィライズは微動だにしない。その後ろで、スノウは彼の雰囲気を感じとり、腕にそっと触れた。
「ほら、デューンいくよ!」
「おぅ、じゃあな。氷狼さん」
二人が見えなくなるまで、彼はずっと身構えたままだった。




