23. 海辺の街編 夜を越える
セフィライズは壁に背もたれ、天井を仰ぐように顔を上げる。目を閉じ、ただこの静かな。
彼女と一緒にいる時間を想った。
いつまでもこうして、当たり前のように隣に、いてくれればいい。それだけで、もう何もいらない。
「鞄は、わたしが持っていてもいいですか? いえ、わたしが持ちます」
スノウははっきりと、強い目で見た。1人で全てを抱えて欲しくなかったから。少しでも、分かち合えるものがあればいいと、思ったから。
「わかった」
彼女が何をしたいのか、何を思っているのか。ちゃんと伝わった。だからセフィライズもまた、頷く。
スノウは嬉しそうに微笑んだ。もう少し彼の事が知りたくて、髪を撫でながら考えるように上を見る。
「えっと、えっと……以前、彼女がいたと、その……」
ずっとずっと気になっていた。あまり人と関わらないようにしているから、そんなにも特別な人だったのだろうかと。
「あぁ……でも、当時は……好きというものが、わからなかった。だから、向こうから来たというのもある。相手も、別に好意があったわけじゃない。生まれがこれ、だから」
うっすらと目を開けて、胸下まで伸びる銀髪を持ち上げるように触る。
「深刻なマナ不足のせいで貧富の格差も広がっている。人間は、大切なものを守るためなら、他を犠牲にすることもいとわない。別に、間違ったことではないと思うよ」
だから、仕方ない。この生まれなら、この扱いを受けても、仕方ない。それが当たり前だから、何も感じてはいけないと、思う。
彼が何を言いたいのか、スノウは考えた。きっと思っているような、彼女、ではなくて。そこには何か、理由があって、そして彼がとても傷ついた、とういう事実。
「その……何か、あったという……ことですよね?」
「目的は、白き大地の民だから……」
「そんなことは……」
そんなことはないと、はっきり否定なんてできるのだろうか。きっと彼が見て来た世界というのは、スノウ自身には想像もつかないようなものだ。利用される、狙われる、価値があるのだから。
「多くは異質な目で見る。一部は物のように扱う。さらに一部は……」
家畜と一緒だと思う。食事をする為に動物を殺す。それとなんら変わらない。ただ姿形が、限りなく人間に近い。それだけだ。そんな世界を、ずっと。
「逆に不思議だよ。君はよく、そんなにも……」
挫けそうな事もあったはずだ。悲しいと思う事も、あったはずだ。人を恨んだり、憎んだり。全てを諦めるような事だって、あったはず。だというのに、なぜそんなにも。
穢れずに、諦めずに、慈愛の心を持ち、生きていられるのだろうか。人に優しく、できるのだろうか。
「どうして生きているのだろう……と、わたしも、思ったことぐらいは、ありますよ。でも……生きているから。今……苦しいこともあるけど、ずっと、続くことはないと思っています。明けない夜はないって、言うじゃないですか。それに、寄り添っていれば暗闇の中でも歩いていけると、信じています」
スノウが指を絡め、祈りを捧げる。そんな彼女を、眩しいと思うのは彼がまだ、深淵に立ち止まったままだから、だろうか。
どうして生きているのだろう。この言葉に、全てが詰まっている。
いつも物悲しそうな表情で、遠くを見て。どこか人と一線をひいて、諦めたような目をしている。今ここにいるのに、一瞬で消えてしまいそうな雰囲気も、全て。
裏切られ、蔑まれ、酷い仕打ちを受け、それでも。
「セフィライズさんは、ずっと……辛かったのですよね?」
彼は目を見開いて、彼女を見た。
気がついたら、涙が流れていた。泣くつもりなどなかったのか、しばらくそれに気がつかないでいた。頬を伝って胸元へと流れ落ちたそれに、驚いた表情を見せる。
「ッ……」
戸惑いながら声が震える。必死に手で顔を拭った。
「辛い……なんて、思ったこと……」
どうして生きているのだろう。どうして、今ここにいるのだろう。
こんな生まれだから、仕方がない。
全部全部、どうでもいい。諦めて生きて来たのに。
「大丈夫です。セフィライズさん。わたしは、ずっと、一緒にいますから」
スノウはセフィライズに手を伸ばした。彼の頬にふれ、その涙を拭う。きっと、今はこうすべきだと、思ったから。恥ずかしさとか、遠慮とか、怖いとか、そういうものは全部無くして。今は。
スノウは両手を伸ばし、彼の頭を抱えるように引いた。
「その闇の中を、一緒に歩いていきましょう」
手を取りあえば必ず、抜け出せると信じて。
そう言って、スノウは強く彼を抱きしめる。震える彼の手がスノウの服を掴んだ。
辛い時は、一緒に泣いて。
嬉しい時は、一緒に笑って。
悲しい時は、一緒に分かち合って。
これからも、一緒に。彼と一緒に、生きていきたい。
「ごめ……ん、スノウ……うッ、……」
漏れる嗚咽。止まらない涙。震える体。
スノウと一緒にいると、どうしてこんなにも。
怒ったり、悲しんだり、喜んだり。今まで動かなかった感情が、こんなにも……揺さぶられるのだろうか。
スノウは彼の頭を撫でる。その銀髪を、とても愛おしそうに。
彼女もまた彼を想い、目を閉じると涙が流れた。




