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22. 海辺の街編 触れる




 セフィライズのすぐそこに、本当にすぐそこに彼女がいた。もう少し指を動かしたら、触れてしまうぐらい近くに彼女の手がある。そして首を動かせばすぐに、その彼女の唇に、自身の唇を当てることなど容易な距離に、いる。


 ただ、それはできないと思った。

 

 ただでさえあんな事があったというのに。とても怖い思いを、したのだから。

 触れる事は、許されない。



「あまり……面白い話ではない……」


「それは、わたしもですよ。でも、……聞けてよかったと、思いました。そういえばこんな風にお互いの話をするのは、初めてですね」


 他愛のない日常会話ぐらいならするが、お互いの事を深く知り合うような会話はしたことがない。

 こんなにも、お互い長く共にいるというのに、何も知らないのだなと、スノウは改めて思った。


「もっと、聞いても……いいですか?」


「もうそんなに聞くことはないだろう」


 彼が苦笑する。口元に手を当てながら。スノウはもう少しだけ彼に寄った。指先がセフィライズの手に当たる。そして自然に、なるべく自然に。

 置き場のない手が仕方なく重なるかのように、触れた。

 あの時は、とても怖かった。力で抑えつけられ、望まない行為を求められる恐怖。しかし、彼に、なら。その恐怖を上書きしてほしいと思う。


 セフィライズもまた、彼女の手が自然と重なったのに気がついて見つめた。すぐそこに、いつも通りふわふわの、外に跳ねている柔らかな金髪。そして青緑色の鮮やかな、瞳。今まで特別な他人というものを、好きというものを、感じたこともないまま生きてきた。だから、こんな事を思うのも初めての事で戸惑っている。

 彼女に、触れたいと。


 セフィライズは右手を伸ばした。すぐそこにいるスノウの髪に触れる。このまま、その手を動かせばすぐに。すぐに頬があり、唇がある。ただやはり、それはできない。


「伸ばしたらいい。見てみたいよ」


「癖毛なので、恥ずかしい……」


 スノウが彼の方に傾いていた体を正して、自身の髪の毛を恥ずかしそうに何度も撫でる。彼女は髪を伸ばした事がない。金髪碧眼はこの世界では彼程ではないが珍しい。そして、それは女性として持つには少し、危ない色だ。


「私ももう……切ろうかな」


 戻るつもりはないのだから、伸ばしていても意味がない。彼は自身の胸元まで伸びた銀髪をまとめるように手を動かした。


「アリスアイレスに戻ったら、ですよね?」


「……あぁ、そう、だね……」


 戻る気がないと……いや、もう戻れないだろうと伝える事はできなかった。それを言えば、どうして、と必ず聞かれる。その答えは、まだ言葉にできない。


 もう抗えないのだと、戻れないのだと。

 だから諦めて欲しいと、言いたい。


 彼が髪に触ると、背が壁から離れた。血で汚れているのを見て、スノウは怪我の事を思い出す。


「治します」


 スノウは彼の背に、差し込むように手を伸ばした。もう一度、彼が断るかと思った。しかしただ黙って、下を向いている。丁寧に、丁寧に詠唱の言葉を紡ぐ。最後の文には、気持ちが籠った。


 今この時、我こそが世界の中心なり


 本当に、我こそが世界の中心だったら、どれだけよかっただろうと。そうすれば、きっと。彼の全てを、取り払ってあげられるのに。


「別に、もう痛くないからよかったのに」


「……痛くないのは、これ、ですか?」


 スノウは斜めがけにして抱えたままだった彼の鞄を膝の上に置いた。中から取り出したのは、あの時彼に飲ませたものだ。


「いつから、ですか?」


 この質問は、3回目だ。


「……いざという時に、動けないのは意味がない」


 質問の答えではなかった。それでも、ずっと。もうずっと、前からということ。


「もう、君はそれが何か、わかっていると思う」


 袋から取り出すと、緑色の粉末を固めた錠剤だ。1粒とって香りを嗅ぐと、爽やかだが甘い香りがした。わかっている、これはあの時、リヒテンベルク魔導帝国の騎士とセフィライズが試合をした後、レンブラントが彼にと持ってきた粉末状のそれを固めたものだ。

 ナーコックという植物の葉が原料になっている。痛みという感覚が脳まで届かないように遮断する鎮痛剤として使われる事が多い。ただそれは、毒性の部分を人間がうまく使っているだけにすぎない。だから長く取り続けるものではない。一時的な治療や、急性期に使うものだ。


「……今晩の分は、まだですよね」


「ずっと君が持っていたから」


 スノウは1粒、彼に差し出す。しかしセフィライズは受け取らず、首を振った。


「2つ、だ」


「これは1回に3グラム以内、日に2回までです」


 スノウはアリスアイレス王国で、何ヶ月も薬学の勉強をしていたからよくわかる。だから副作用も、よくわかっている。


「でも、2つ、だ」


 彼が虚しそうに笑うから、胸が痛んだ。スノウは黙って2つ取出して、同時に鞄から水筒もとる。差し出して、彼がそれを飲み込むのをただ見るだけしかできない。

 とても無力だと思った。どうしてこんなにも、何もできずにいるのだろう。

 ただ隣にいるだけで、戦う事もできず、癒す事もできず。お荷物でしかない。


 それでも、一緒にいたいと思うのは、とてつもなくわがままな事だと思う。


 それでも、それでも。








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