19. 海辺の街編 震え
酷く乗り心地の悪い馬車が次第に速度を落とし、ゆっくり止まる。荷台の隙間から見える光景は森の中のようだった。スノウの手首を掴み、彼女の上に乗る男は嘲るような笑みを見せている。
「は、離してください!」
「離してください! だって。かわいいねぇ」
舌なめずりをする男の顔がスノウの目の前にある。恐怖で体が震えた。
スノウには、わかってしまった。その姿を、その光景を、自分以外の誰かに降りかかるのを、見てきたからだ。
体が強張る。怖くて、震えて。涙が溢れた。
最初に捕まった時、犯されそうになる事はなかった。スノウの能力の方を求めていたからだ。治癒術は、一角獣との契約で使うことができる。彼らは穢れを嫌うのだ。清らかな乙女でないと癒しの力を使えない。
しかし今は違う。この男はスノウが癒しの術を使える事も、契約の事も知らない。そして目的は1つだ。
売られる。その前に、犯される。
男の無遠慮な手が、スノウの服の下を這うように伸びる。配慮など何もない、彼女の柔らかな部分が爪で傷つこうが、握り締めてアザになろうが知ったことではないからだ。
「いや、いやだぁ……」
奪われる恐怖が、ガタガタと体を震えさせる。身をよじり、その悪意のある行為から逃れようとした。圧倒的な体格差で、もう動く事もできない。服の中で上下に暴れて、スノウの事など微塵も配慮されないそれに耐える。涙が止めどなく溢れ、瞼の裏に見えたのは。
男の指がゆっくりと下がっていく、指で腹を撫でられ、へそから辿る先は。
「いやっ!!」
身を捩る。ショーツの下に滑り込まれたゴツゴツと硬い指が、その場所へと届きそうになり、スノウは目をぎゅっと閉じた。
その瞬間、バキッと何かが折れたのではないかと思う程に強い音がした。スノウが目を開けると、そこにはセフィライズが立っている。無言の彼は、痛い程の冷気を帯びた怒りの色を瞳に宿していた。スノウを犯そうとしていた男は、荷馬車の壁を頭でぶち抜いて首から下しか見えない。
「くそ、てめぇ!」
もう1人の男が気がついて拳を振り上げ突進してくる。狭い荷馬車の中で、それをセフィライズはひらりと避けた。伸びた太い腕を掴み、捻り上げると男が床に頭をつけ痛みで声を上げる。しかしそれでも力を緩めず、スノウにも聞こえるほどはっきりと、骨が折れる音がした。
「ぎゃぁああ!!」
手を離したセフィライズは、まるで無機物でも見るかのように冷たい目で見下ろし、その骨折した腕を足で踏みつける。
「殺さないだけありがたいと思え」
そう言った瞬間、彼の足は男の頭を激しく蹴り飛ばした。巨体だというのに衝撃で頭が飛ぶのではないかというぐらいの激しさ。荷馬車の壁は半壊する程に崩れ、その木片が男の体に落ちた。
スノウは震えを押さえる事ができないまま起き上がった。体を抱いて、目の前で佇む彼を見上げる。茶色に染められた長い髪の隙間から、怒気に満ちた目が動かなくなった男達へ向けられている。別人な程のそれが、怖いと感じるぐらい、彼は感情を昂らせているようだった。
「あ、ぁ……」
スノウは声を出そうと思ったが、体が震えていてはっきり喋れない。それに気がついたセフィライズがスノウを見つめる。何かから目覚めたように、彼を取り巻く細氷の冷気が消えていった。
「スノウ……」
セフィライズはスノウのそばに跪き、手を伸ばした。しかし震える彼女がその手にすら強く反応し、びくりと肩を震わせるのを見て止まる。
「……ごめん。ごめん……スノウ……」
引いた手を膝の上に乗せ、項垂れた。謝罪の言葉を口にする事しかできなかった。
セフィライズは自身の不甲斐なさを悔いた。守ると誓ったというのに、あれはなんだったのだろうかと拳を強く握りしめる。食い込む爪が皮膚を裂かんばかりに。
ガタガタと音が聞こえるのではないかと思うほどに震えていたスノウは、自身の体を強く抱きしめた。前かがみになって堰を切ったように嗚咽を漏らし。
ただただ、泣き続けた。




