17. 海辺の街編 海水
スノウは波打ち際まで来て立ち止まると、足先を、そっとつけてみた。冷たくて、一瞬引っ込めてしまう。そしてもう一度、しっかりとその波の中へ。優しく撫でられる感覚が心地よい。
ふと、足元に何か見た事もないものが落ちていた。白くて、小さくて、丸くて、ひらべったいけど、ギザギザしているそれ。拾い上げると軽くて、何だろうかと彼女は首を傾げた。
セフィライズはスノウが海に足をつけているのを眺めながら息を吐いた。彼女から手渡された麻袋を取り出して、中に入ったコゴリの実を取り出す。指で殻を割り、中に入った白い実を取り出した。
一口、かじってみる。と、同時に彼女の言葉を思い出していた。
「いつからですか、か……」
その言葉は、既に確信を持たれているという意味に等しい。いつもどこか鋭い所がある彼女。伝えようかと、思った。でも、もし伝えてしまって、自分自身がどう見られるのかなんて。そんな事を気にしている。その事実に驚いた。
セフィライズは自嘲気味に笑いながら一つを食べきる。残り二つ。
再び前を見ると、スノウが海の中に手を入れている。そういえば、彼女に海水はしょっぱいという話をし忘れた事を思い出した。きっと舐めたらびっくりするだろう。
彼は教えようかと思い、スノウに声をかけようと口を開いた、その時だった。
急に世界がぐにゃりと曲がって見えた。ふらついて、片手で顔を抑え、もう片方の手で木の幹を持ち体を支える。久しく感じてないものが込み上げてきた。胸の奥で、あの音がこだまするように聞こえる。そして同時に、誰かに笑われている気がした。誰か、がわからない。自身に似ているような、違う誰かのような。
すぐに心臓の奥から疼くように何かが這い出してくる感覚が痛みに変わった。胸を抑え、木の幹に体を預けてずるずると座り込む。苦しくて、息が詰まりそうだ。意識が朦朧となっていく中、レンブラントと交わした約束を思い出す。
ーーーーひとつ、じゃ……足りなくなったよ
今ここにはいないレンブラントに、伝えると約束した言葉を。もし伝える事ができたのなら、彼はなんと言っただろうかと思う。
スノウは白い見たこともない薄くて硬いそれを持ち、セフィライズへと振り返った。飛び込んできた光景は、彼が座り込み胸を抑えるその姿。慌てて走り寄り、靴を置いて彼の肩に触れた。
「セフィライズさん」
「スノウ……鞄を、持ってきてほしい……」
苦悶の表情をしている彼が顔を上げた先、馬の足元に置かれたままの彼の鞄。彼女は駆け足で取りに向かうと、それを斜めがけにして持ってきた。彼の目の前でしゃがみ膝に載せ見せると、何かを探すように片手を伸ばしてきた。彼が取り出した袋は、すぐにこぼれるように地面へ。スノウはそれを拾い上げると、少し開いた口からポロポロと何かが落ちた。
「み、ず……を……」
スノウが拾い上げた緑色の粒を確認する間もなく、彼が横へ崩れ落ちる。体を抱くように胸を抑えて、苦痛に顔を歪めていた。これを飲ませて欲しいのだろうとすぐに察しがついて、水を取り出し、急いで彼の口の中に入れる。彼が飲み込むのを確認して、上半身を抱き起こし自身の太ももの上に彼の頭を置いた。
「すま、ない……すぐ、に……」
苦しくて声が詰まる。呼吸が荒くなり、うめき声が漏れそうになるのを必死に飲み込む。胸元を抑えて耐えるほかない。もうすぐ、今飲んだものが効いてくるはずだ。
「大丈夫、ですよ。セフィライズさん。一緒に、いますから」
スノウ胸を押さえる彼の手に自身の手を重ねた。何もできないから、せめて彼に心配をかけたくない。困らせたくない。必死に笑顔を繕って、手を握る。
それでも、それでも。
我慢できなかった。
微笑みながら止めどなく溢れる涙が、彼の頬に落ちる。気がついた彼が薄っすらと目を開けた。
「スノウ……?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
スノウの涙がポタポタと落ちてくる。彼は手を伸ばし、指で彼女の涙を拭いた。
「泣か、ない……で、ほしい」
泣かせているのは、自分だって、わかっている。
「いつから、ですか?」
彼女の質問に、どう答えるべきか悩んだ。それはもう、ずっと前から。でも、最初は違った。徐々に、徐々にだ。
答えようと口を開いた、その時。彼女の背後から何かが来ると感じ、咄嗟にスノウ腕を引っ張った。驚いたスノウが声を上げる間もなく、地面に引き倒された彼女の体の上に覆いかぶさる。
「ぐっ……」
彼はすぐに右肩甲骨付近に何か鋭いものが突き刺さったのがわかった。
「セフィライズさん!」
スノウは引き倒され、揺れる視界の上に彼が覆いかぶさる。塞がった視界の端に、彼の背中に、何か黒い影が広がるのが見える。バサバサと音をあげ、それが羽を広げた鳥の姿をした魔物だという事に気がついたのと、彼のうめき声が聞こえたのはほぼ同時だった。




