16. 移動と壁越え編 コゴリの実
セフィライズがその白くて柔らかなコゴリの実を咀嚼する。スノウは腰に手を回し、違和感のないようにさりげなく背中へ耳を当てた。彼の心音と一緒に響く音が、とても愛おしく感じる。
「おいしいですか?」
「うん。ありがとう」
首だけ動かし振り返った彼が薄く笑ってる。頑張って探してよかった。胸元に手を当て目を閉じる。自身から湧き上がる気持ちを、噛み締めるようにして。
スノウは袋からもう一粒取り出して割った。差し出そうとするのを、彼が止める。
「あとは、全部スノウが食べていい」
「ダメですよ。セフィライズさんの為に買ったんですから。全部食べてください」
「……おいしいから、食べてみたらいい」
そうえば食べたことはない。彼が好きだという食べ物の味が、気になるのは確かだ。
「では、一つ。お言葉に甘えて」
彼女は剥いた殻は麻袋に戻し、その白い実を口に入れた。噛み砕いた瞬間。
「うっ……けほッ!」
口の中に、信じられない程の苦味が広がって、驚いて吐き出しそうになってしまった。慌てて口元を押さえて、あまり噛まないようにして飲み込む。細かく砕かれた実が舌に少し残り、それがまだ苦い。
スノウは戸惑いながらも彼が、以前好きだと言ってくれた時の事を思い出した。雨の日にとると苦味が強い、という話を。
スノウは購入するとき、晴れた日に採れた実が欲しいとは一言も伝えなかった。だからかと、今更になって露天商の人が珍しいと言った意味を理解する。雨の日に採れた実を欲しがる人なんて、珍しいという事だったのだろう。その時、お互いの認識しているものが違ったのだ。
「……セフィライズさん。あの……おいしかったですか?」
「ん、ああ。確かに、少し独特かもしれないけど」
スノウが食べたものだけが苦かったのだろうか。麻袋に残された残り三つのコゴリの実を見下ろしながら、戸惑った。かなり苦く感じたのに、彼は平気そうにしているから。
ずっと、彼の食が細くなっているように感じていた。思えばスノウが目覚めてから。
理由なんて、コゴリの実の味を感じたスノウには、わかってしまった。だから。
「……いつからですか? セフィライズさん……いつから、ですか……」
スノウは彼の腕を握りしめた。胸に手を当て、彼の後頭部を見る。茶色に染めた長い髪。一瞬、別人に感じる。しばらく返事がなかった彼が、顔を伏せながら頭だけ振り返った。
「……ごめん。何の話か、わからない。もうすぐ壁があくから、残りはあとで頂くよ。袋ごと、もらっていいかな?」
いつもそうだ。いつも何も言わないのは、何故だろうと思う。そんなにも、誰か別の人の中に、自分という存在がいないと思っているのだろうか。
涙が溢れそうになった。さっき、全部食べていいって、言っていたのに。それはもう、そういうことだって、言ってるようなものだ。
スノウは袋を差し出すと、彼は自分の鞄の中に黙って仕舞った。
壁に大穴があき、ぞろぞろと通り抜ける。スノウは通り抜けた向こう側に、今まで知らなかった景色を見た。青々とした草原の先に、大きな湖があるのだ。しかしスノウが知っているものとは段違いの大きさ。最初それが何かわからなくて、危うく馬から落ちそうなほどに身を乗り出していた。吹く風の匂いが違う、空気がベタベタするし、あとほんの少し、暑い。
「セフィライズさん、あれは、何ですか?」
セフィライズはスノウが指差した先を見た。
「ああ、あれは海だよ。見た事なかった?」
「はい、初めて見ました。湖とは違うのですか?」
「……寄り道、しようか」
スノウが興味津々なのが手に取るようにわかる。苦笑しながら、真っ直ぐに壁境界の宿場町アベルへ向かうのをやめて、海の方へ進んだ。
すぐに潮風がさらに強く、湿気と共に海の香りを運んでくる。スノウは目の前の海が、段々とさらに視界を埋め尽くし広がっていくように感じた。馬の進む足元に、砂地が混じり出す。その先は彼女が見たこともない砂の大地、そしてすぐ海だ。それが砂浜というものだと彼から教えてもらった。
砂浜の手前に数本生えていた木の近くで馬を止め降りる。彼は静かに幹を背にして腕を組んだ。
「見ているから、行ってきていいよ」
そう言われ、スノウは少し戸惑った。コゴリの実の話をしたかったのだ。いつからか、の答えを聞けていない。ただ彼がそれ以上話したくないといった表情で俯くものだから、追求できなかった。
茶色に染めた髪が潮風に揺れている。この表情を、ずっと昔、どこかで見た気がした。聞きたいことが山ほどあるのに、とその時も強く思った事を。それは、セフィライズだっただろうか。別の、誰かだっただろうか。
「では、少しだけ。行ってきます」
彼に頭を下げ、波打ち際まで歩く。慣れない砂浜に足をとられそうになる。靴の中まで砂が侵入してきそうだ。脱いだそれを持ち進むと、足に触れる砂つぶが気持ち良い。
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