14. 移動と壁越え編 可愛らしい人
最初の野宿は彼に指示されるままに行動してしまった。先に寝るように促されそのまま夜を越える。目が覚めて朝焼けに染まる空の下、膝をたてて座り遠くを見ている彼を見た時。スノウは思わず「寝ましたか?」と声をかけてしまった。
逆光でよく見えない彼は、多分いつもの表情をしているのだろう。嘘をつくのが苦手な彼の、困ったような笑顔。質問の答えはもう、わかりきっていた。
「今日はセフィライズさんが先に寝てください」
次の野宿。夕食にと魚を串に刺して焼き、保存食にと持ってきた木の実の準備を整えている彼へはっきりと言った。
「いや、先に寝ていい」
「ダメです。昨晩は寝なかったのではないのですか」
「……少しは、寝た。それに、スノウは何かあっても対応できない。見張りは任せられないな」
スノウは事実なので言い返せなかった。日中、たまに遭遇する野獣や魔物といった類のものの相手は全て彼だ。夜も忌避効果のある魔導人工物があるとはいえ、危険である事には変わりない。
「では、セフィライズさんはいつ寝るんですか」
「少しの睡眠でも平気なように訓練してるから」
「やっぱりダメです。寝てください」
セフィライズはため息をついて立ち上がった。この押し問答が続くだろうとわかっているからだ。スノウの意志を優先するには、彼女一人でも安全なようにしなければならない。あまりやりたくはなかったが、守護の魔術を強めにかける為、ベルトに装備したナイフを抜いて左腕に当てようとした、その時。
「ダメっ!」
スノウが両手を突き出しまっすぐに突進した。セフィライズはナイフが彼女にあたってはいけないと思い、咄嗟に握る手を上にする。そのせいで勢いよく飛びついてくる彼女を支えきれなかった。左手で彼女の肩を支えるも、崩れた体勢は戻せない。そのまま勢いよく地面へと転け、彼女を受け止めた。
「スノウ、危ない。ナイフが当たったら」
「……セフィライズさん。お願いです。もう、自分を傷つけるのは、やめてください」
スノウは彼の上に覆いかぶさるようにして両手をついている。まっすぐに顔を見ると、彼が困惑した表情でスノウを見ていた。
「……私が寝たら、対応ができない。それなら、守護術を施せばまだ」
何の力もないから、戦うことができないから。仕方ないのだという事はわかっている。それでも、わがままだとわかっていても。
「セフィライズさんから見て、わたしは……どう見えて、いますか?」
覆いかぶさるスノウの顔を見上げながら、セフィライズは困った。その質問の意味がわからなかったからだ。どう答えるのが正解かわからない。どう見えている、とは、どういう事なのか。
「私から見て、君は……」
愛しいと、思えた。初めての他人だ。しかしそんな事は、口が裂けても言えない。
「とても、可愛らしい人、だよ」
スノウはその瞬間顔が赤くなった。質問の仕方を間違えたのだという事実に気がつくのはすぐだ。戦えないのにわがままを言って困らせている自分自身を、彼はどう見ているのか。迷惑ではないかを確認したかったのに。恥ずかしくて、体をまっすぐに起こし、手で顔を覆う。
彼はスノウの反応を見て苦笑した。ひとつひとつの動作が、まさしく自身の解答した通り、可愛らしいと思ったからだ。
結局スノウは押し切られ、彼が左腕を慣れた手つきで切る。溢れる血液を周囲に付着させ、右手を地面につけ魔術を施した。戻ってきた彼の腕に手を添えて、スノウは治癒術を詠唱する。それを彼が止めなかったのは、きっとまた押し問答になると思ったからだろう。
「治るからいいだろうって、思ってませんから」
「わかっているよ」
スノウのまっすぐな瞳は、いつも強い光を秘めている。セフィライズはいつもその目で見つめられると、眩しいな、と思うと同時に、何故か胸が傷んだ。
そのまま準備しておいた夕食を頂く。スノウはこうして焚き火を囲み、魚を食べた時の事を思い出した。
それは確か、初めて壁を見た時。その壁を越えてすぐの事だ。懐かしい気持ちになりながら、前を見ると座っているのはセフィライズ。しかしふと、炎の熱で揺らぐ空気の向こう側に見える彼が、あの人に、見えた。
スノウのお願い通り、彼が先に寝た。目を瞑っているその顔に、焚き火の揺れる光が映っている。茶色の髪で、いつもと違う。やはりとても彼のお兄さんに似ているとスノウは思った。少しずれ落ちた彼のマントを整えて上にかけ直す。
ほんの少し、近づいて、ほんの少し、顔をのぞいた。指で、少しだけ。本当に少しだけ、触れる。
唇に、当てて。しかしその瞬間に。
「どうした?」
目を瞑ったまま彼が声を出すものだから、驚いて慌てて離れた。
「お、起きて、いらっしゃったのですか?」
「外だから……今起きた」
やはり野宿となると、本当に眠ってしまうのは難しい。体が少しでも違和感を覚えると起きてしまうのだ。
「ごめんなさい。その、ちょっと糸屑が、ついていたので」
糸屑なんてついてなかったが、それらしい言い訳はこれぐらいしか思いつかなかった。
「もう少し寝てください。起こしてしまってごめんなさい」
会話中、目を一度も開けなかった彼が少し笑った。その後、静かになるのをただ見つめる。
スノウは油断ならないと思った。多分、最初の段階で彼が起きなかったら、もう少し。
もう少し何か、してしまっていたかもしれない。そんな事を思った自分自身が、とても恥ずかしかった。




