13. 移動と壁越え編 我こそは
「わたし、我こそはの我とは、魔術の神イシズ、本人ではないかと思うのです」
「だとしたら、魔術の神イシズが《世界の中心》ということか」
セフィライズの口から同じ意見が出て、スノウは自身が感じたことは変な事ではないと核心した。と、同時に、今ならこの勢いで、もう一度聞けると思った。
「でも、変ですよね。だって、白き大地には一度《世界の中心》があったんですよね。神様が《世界の中心》だとしたら、その神様を復活させたという事でしょうか。だとすれば、その神様は、今どこにいらっしゃるのでしょうか」
スノウは彼の腰に回した腕に力を込める。不自然じゃない範囲で、その背中に頭をつけた。雰囲気からわかるのだ
。この質問は、これは彼が。聞かれたくない事を聞かれた時のそれだ。
セフィライズはゆっくりと馬の走る速さを落とした。近くの小川の方に歩かせ、そしてその手前で止まらせる。スノウの質問に答えないまま、彼女の手に触れ離すように促し、馬を降りてしまった。
「ぁ、の……ごめ、んなさい……」
スノウは聞いてはいけないとわかっていたのに、聞いてしまった事を後悔した。どうしても、どうしても、触れようとすると彼は逃げる。その先の答えが、聞けない。まるで壁があるようだと思った。見えない壁が、スノウとセフィライズの間を隔てている。
馬から降りた彼は困ったように笑ってスノウを見上げていた。
「……少し、休もう」
「……はい」
馬に水を飲ませ、彼もまた小川に手をつける。洗うように動かした後、その水を掬い飲んだ。スノウはその馬の首辺りを撫でながら立ち尽くす。
《世界の中心》は、彼の全てを奪ったから、なのだろうか。だから答えたく、ないのだろうか。
「スノウ、私は……我こそはの我は、イシズの事じゃないと、思う」
立ち上がった彼が振り返る。見慣れぬ茶色の髪と目。しかしその切なげな瞳は、いつもの表情だ。
「魔術はマナを使わなければ発動しない。《世界の中心》とは、無限にマナを吐き出すと言われているけれど、魔術の詠唱においてマナの出どころは術者本人だ。つまり、この場合の世界の中心というのは」
「その本人であると?」
「まぁ、そうだね。《世界の中心》も、世界樹も、そして人も……内からマナを出している。魂から放たれるマナは、人の生命活動にほとんどを消費してしまうが。それは、誰しもが世界樹や《世界の中心》と同じと言えないだろうか」
セフィライズは言葉遊びだったかなと思った。結局のところ、彼もまたその答えを持ち合わせていない。解釈の違いでしかないのだ。
一説では、人の魂が輪廻を回らず冥界に留まり続けると、魂から放たれるマナが枝を作り、世界樹という礎に添えられる。無垢の枝と言われるそれ。誰しもが、世界樹になり得るとも言えるのだ。
「……スノウも《世界の中心》が、欲しいと思うか……」
珍しく彼から質問された。意図がわからないまま、どう答えるのが正解なのかわからない。わからないがしかし。答えなど、一つしかない。
「欲しい、です」
強大な力は身を滅ぼすと彼に忠告された。それは彼自身が経験した事実だ。それでも、求めるのは、欲しいと思うのは。今目の前にいるセフィライズを心から助けたいと思っているから。一緒に生きていきたいと思っているから。
「そうか……」
セフィライズは下を向いた。彼女の回答は、やはり多くの人達と同じ。人間であれば誰だって、欲しいに決まっているのだ。無限にマナを吐き出し、多くの知恵や富を与え、手に入れたものの幸福を約束するもの。それがたとえ、幻想であると忠告したところで、欲しくなってしまうのが人間。
「スノウは、それが……どんなものであっても、使いたいと、思うだろうか」
どんなもの、とはなんだろうかとスノウは思う。
「たとえば、何かの犠牲を払わなければいけないとしても」
「犠牲、ですか……」
セフィライズを助ける為なら、どんな犠牲でもいとわないか。スノウは、できるとは言えなかった。たとえば誰かを殺さないといけなかったり、国一つ滅ぼさないといけなかったりしたら、どうだろう。それでも彼を選べるだろうか。そうしなければ、彼が死ぬとしたらどうだろうか。
「わか、りません……でも、わたしは」
セフィライズさんに、死んで欲しくない。一緒に生きていきたい。この先もずっと。一緒に。
繋げたい言葉は、全て絶対に口に出さないと誓った言葉。
スノウは下を向いて目を閉じる。心から想うのは彼の事なのに、他の犠牲なんてどうでもいいとは言えない。
答えは、出ない。ただ言えるのは。
「わたしは、犠牲を払わずに使う方法を探します」
「それは、質問の答えにはなってないな」
スノウの事だから、誰かを傷つけるような事は避けたいだろうとわかっていたから。しかしとんでもない回答だなと思う。
「できないなら、やればいいんですよ」
「……君らしいよ」
彼は苦笑した。いつも前向きで、明るくて、健気で。自分には決してない、穢されない心。そんなところが、とても……。
「スノウ。君に、なら……」
続けようとする言葉を、再び彼が止めた。スノウは何が言いたかったのだろうと首を傾げ、覗き込むようにして表情を伺い見る。遠くを見ていた彼がスノウへと振り返った。
「白き大地に着いたら、話したいことがある」
「……わかりました。でも、以前もこんな約束、しましたね」
スノウは薄く笑う。しかし今更。もう終わってしまった言葉ばかりだ。あの時は、ルードリヒの申し出を断り、セフィライズと共にいるという事が言いたかった。そのあとで、好きだと言えたなら、いいなと思っていたのに。
「確かに……じゃあ、今度こそ約束するよ。必ず、全て……話すよ」
あの時セフィライズが言いたかったのは、スノウがどんな選択でも背を押すという事。全てを、尊重するという事。しかしもう、その時とは状況が一変してる。
今、彼女に話さないといけないのは、もうそんな当たり前の気持ちではない。
いつか、言わなくてはいけない。アリスアイレス王国を出発する前に、兄がスノウに話すことを促してきたその理由もわかっている。終わらせるなら早い方がいい。きっとスノウは、最後まで一緒にいるのだろうから。




