6. 安息のひととき編 覚悟
スノウがだいぶと歩けるようになり、体力も回復してきている。レンブラントはもうそろそろアリスアイレス王国に帰る日付を決めてもいいだろうと思った。朝からセフィライズの部屋へと赴き、了解を得て中に入る。
彼はちょうど服を着替えていた。一度見られているからか、隠すこともなくその胸の腫瘤を曝け出しながらボタンを止めていく。
「おはよう」
「おはようございます。もうそろそろ、アリスアイレス王国に帰る日付を決めたいなと、思いまして」
「もうそろそろ、そんな話をしにくると思っていた」
彼は着替え終わるとベッドサイドに置かれた袋を手に取る。中に入った緑色の錠剤を一粒取ると、水で喉に流し込んだ。
「レンブラント、私は。帰らないでおこうと思う」
レンブラントはセフィライズから真っ直ぐ見つめられ、その瞳が今までにない程にはっきりと澄んでいると思った。何かを決意した色だ。
「このまま、カンティアの隣国ベルゼリアへ。ザンベル辺境伯に会いにいく」
レンブラントは本来であれば、すぐさま反対しなけれないけない立場だ。
何をおっしゃっているのですか。アリスアイレス王国に帰国する指示が出されています。そう、すぐに答えなけばならない。しかし、言葉が詰まってしまった。
「その、症状は。シセルズ様はご存知なのですか?」
「いや……でも、何故なのかは、知っている。多分、どうなるかも……どうしてなのかも、一番よく、知っている」
その回答を聞いて、レンブラントは目を閉じた。何かを飲み込むかのように顔を上げる。
セフィライズは準備しておいた手紙を取り出した。カイウス宛の報告書、そして自身の兄であるシセルズに向けたもの。
「兄さんに、は……戻らなくて、ごめんって。伝えてほしい」
「スノウ様は、どうされるのですか?」
「……連れていく気はない」
セフィライズは置いていく彼女にも、手紙を書こうとは思った。ペンを取ったはいいが、書き記す言葉が見当たらない。どれもこれも、伝えるべきではないと、思ってしまうものばかり。
「伝えられないのですか」
レンブラントは彼が黙っている理由をなんとなく察していた。それがセフィライズらしい、というのもよくわかる。だが、それでも。言うべき事はあるのではないかと思うのだ。
「挨拶は、するかもしれない」
「……それで、何も伝えずに、ですか。あの方は、着いて行くとおっしゃるでしょうね」
ベルゼリア公国は奴隷制度が根強く、差別意識の強い保守的な国だ。セフィライズから見てスノウの容姿も危ないと思う。珍しい金髪に青緑の澄んだ瞳。あまり見ない色だ。なおさら連れていく理由がない。しかも貴重な治癒の力を持つ。彼女を、これ以上巻き込みたくないと強く思う。
一緒に行く、ということは。見られてしまう、ということだ。
「その後はどうされるのですか?」
「……宿場町アベルに到着して、その後どうなるかわからないから。報告の手紙は出す。カイウス様宛の手紙にも、ちゃんと書いてあるから。……でも、最後は……白き大地に、行こうかと思ってる」
生まれた場所に、今一度。アリスアイレスの雪の白さとは違う、あの何色にも染まらない大地で。白い砂の上に、白い石で作られた建物はもうないかもしれない。真っ白な山脈に囲まれ、空の青だけが異質な程に強い色を放っている。
「あそこに、もう。何もないと、わかっているけど……」
目を閉じる。はっきりと言わなくても、きっとレンブラントは察するだろう。だから、もう何も言わない。一人で、行くと決めたから。前に進むと、決めたから。
その時、だった。
「わたしも行きます!」
スノウの強い声と共に扉が開いた。真っ直ぐにセフィライズへと歩み寄ってくる彼女は、芯の通った瞳で彼を見る。セフィライズは驚いて、少し後退った。どこから聞かれていたのかと不安になる。
「スノウ、いつから……」
「ついさっきです。白き大地に行くと言ったところからです!」
セフィライズは目を泳がせた。彼女の意思の強い表情は、きっと何を言ってもついてくると言う時のそれだ。しかし、今回ばかりはこちらも譲れない。そもそも最初にカイウスから指示を受けた、カンティアへの同行では無くなっている。
「スノウ、今回は、絶対に」
「いやです。わたしも、絶対に譲りませんから」
今まで彼女のこの押しの強さを、ちょっとした頑固さを容認してきた。なるべくなら、聞いてあげたいと思っていたセフィライズがいる。それでも。
「君は、アリスアイレスに帰るんだ」
「絶対に嫌です」
「……今回は、本当に。連れていく気はない」
「セフィライズさんにその気がなくても、わたしは勝手についていきます」
譲れなかった。彼を一人にしたくなかったから。きっともう、ここで離れたら、二度と会えない気がしたからだ。どうしても、絶対に離してはいけない。彼の手を、絶対に。そう思って、スノウはセフィライズの手を握った。
「わたしは、絶対についていきます。どこまでも、離しません」




