3. 安息のひととき編 灯火
「わたくしは、あなたの言葉を、聞きたいのです」
セフィライズは顔をあげ、リシテアを見た。まだ二十歳にもならない、幼さの残る彼女。凛とした佇まいに、芯の通った声。王族の証である赤毛が傾いた日の光で一層赤く見えた。
「私の言葉、ですか」
「ええ、そうよ」
「……ですから、一度アリスアイレスに帰ってから再びというのは、時間が」
「言い訳ばかり上手くなりましたのね。わたくしの聞きたい回答ではないようです。それでは、帰国しか選択肢はありませんわ」
彼はリシテアが何を言わせたいのかわからなかった。しかしその言い方に、若干の違和感を覚える。何か答えを求めるようだと。リシテアが望む回答を述べれば、残れる。そう感じた。
「私は、スノウを置いて、行けそうにありません」
「何故かしら」
「何故……守ると、約束したので」
「あら、おかしいわね。セフィライズはわたくしの騎士に任命されたはず。騎士が守るのは、部下ではなく何においてもわたくしではありませんか」
そうだ。リシテアの言う通りなのだ。普段ならば、帰国と言われれば何も疑わずその通りにしただろう。何故、だろうか。
しかしその理由は、もう、わかっている。ただ口に出したくない。それを。
「……さ」
「察して下さいは、なしです」
先手を打たれた。仕事なのだから、このままリシテアと帰国し、見聞きした事をカイウスに報告。今後どうしていくかを相談しなければならない。それに、兄であるシセルズにも、体の事を伝えなければ。わかっている、戻るのが何よりも正解である事ぐらい。残る理由など、かけらもない。
「あぁ、もう。はっきりしなさい! わたくしが聞きたいのは!」
リシテアは煮え切らないセフィライズに、答えを提示しそうになった。口元を抑えて、再び威厳のある態度を心がける。
しかし彼女の発言を聞いて、セフィライズは少し笑った。リシテアが求めている回答が、考えが、見えてしまったからだ。思わず苦笑してしまうと、彼女が恥ずかしそうに顔を覆う。
「……リシテア様。私は、残ります」
セフィライズには自覚があった。
ずっと、逃げていた。全てから。考える事をやめて。感じることもやめて。ただ漠然と、時間を浪費する事を選んでいた。それでいいと思っていた。
スノウを愛おしいと感じた時、彼は自分の気持ちに心から驚いた。そんな事を感じる日がくるとは思っていなかったからだ。心を受け入れる事に迷い、言葉に出す事に戸惑った。
リシテアは、それをあえて言わせたいのだと。
セフィライズ自身の言葉で、何においてもスノウを選ぶ事を。
「……伝えるつもりは、ありません。ただ、私は彼女を、選びたいと思いました。これが、満足して頂ける回答かどうか、自信がありません。ですが……この言葉しか、持ち合わせておりません」
「そうね、三十点ってところかしら」
戸惑いながらも言葉を綴る彼は、優しそうに微笑んでいる。
それを見たリシテアは、ああよかった、と思った。同時に兄であるシセルズが知れば、どう思うだろうかと。
————シセルズ、あなたの弟はやっと、好きを知ったようです。
満足そうに笑った彼女が、ベッドのそばに膝をつく。セフィライズの手に、自身の手を添えた。
「最初から、あなたも残すつもりでしたのよ」
「先程気がつきました」
彼はリシテアの正解を求めるような発言から、何となく察しがついていた。確信を得たのは、本当にさっきだ。
「ふふ、わたくしもまだまだだわ。お兄様みたいに、上手くやらなくてはいけませんね」
いたずらっ子のように笑うリシテアに、セフィライズは再び頭を下げた。リシテア達がカンティアを出るのは二日後。そして聞いた通り、レンブラントを残していく説明を受けた。全てに頷いて返事をする。セフィライズから見れば、リシテアは妹のような位置だったのかもしれない。彼女の成長が、少し眩しく見えた。
「リシテア様、以前は……失礼をいたしました」
遠い昔。本当に、彼の背丈の半分より下ぐらいの彼女が、セフィライズの手を握り、幼いながらも必死に伝えてくれた言葉を思い出す。その時は、本当に、よくわかっていなかった。だから、失礼な返事をしただろうと、やっと理解できる。
「その時から、いえ……セフィライズのお兄様であるシセルズは、もっと昔から。きっとあなたにこれを、教えたかったのだと、思うのです。よかったですね、やっと……」
やっと、全ての心に、灯火が燈りましたね。
何かの為に、生きること。
流されるまま、現実から目を背け。自分の価値を自分自身で決めつけ。全てを諦めて、足元しか見ず。
ただ時間を浪費して、生きているだけ。
ずっと、ずっと。
いつまでたっても、何年たっても、その状態だったセフィライズを、シセルズはずっと憂いていた。
リシテアは昔、冗談交じりでシセルズから言われた言葉がある。
――――あいつが本当に人間になる時はきっと、誰かを愛する時だ。
今ならその、言葉の意味がわかるような気がした。スノウが言った、未来を見ていないという言葉の通り。
きっと、ずっと、ずっと。未来を見せたかったのだと思う。心を尽くして、そして手を差し伸べて。シセルズがずっと、セフィライズに見せたかったものが。
――――いま、ここに。ありますわ




