2.涙雨と救出編 出発
弟のその解答を、シセルズは黙って聞いた。しばらくして、言葉を発しようと口を開く。しかし何も言う事ができなかった。両手を腰にあてて深いため息をつく。
シセルズは察していた。セフィライズはきっと、全て自分のせいだと思っている事を。マナの減少と世界の衰退。≪世界の中心≫の事を、一人で抱えた気になっている。
言ってもよかったのかもしれない。お前のせいじゃない。好きに生きて何が悪いと。
シセルズが幼い弟の手を引いて蹂躙された白き大地から逃れ、アリスアイレス王国にたどり着て……ずっと伝えてきた言葉だ。セフィライズの心の中にまで届いた事はおそらく、一度たりとも無い。
いつか、誰か。血の繋がった家族ではなく、同じ境遇にいる者同士の傷のなめ合いではなく。
誰かが、まったく知らない他人が、閉ざされた弟の扉を開けてくれないだろうか。
「気を付けて行けよ。同行はひとりだけか?」
「大人数のほうがやりずらい」
シセルズが持ってきたのはとある闇のオークションの情報。カイウス王子の病を治す事ができるかもしれない少女が出品される。
癒しの神エイルを信仰する彼女たちは、その眷属である一角獣と契約をしている。この世界では貴重な治癒術の使い手であり、一角獣の乙女と呼ばれる幻のような存在だ。
「いったいどこから……」
徐々に衰退するこの世界。人身売買など当たり前に行われている。しかし、セフィライズはシセルズが持ってきたこの情報をどれだけ信用できるのかと少し疑っていた。、一角獣の乙女は、今や根絶やしになった白き大地の民と同じぐらい、貴重な人材かもしれない。
カイウス王子が患う原因不明で治療方法もないフレスヴェルグの病。兄であるシセルズはおそらく、その病の原因を察している。それはセフィライズも同じだった。同じ白き大地の民として、原因ではないかと思われるもの。
それは、マナの穢れだ。
命の源であるマナが穢れが、何かの要因で蓄積し害をなしている。
シセルズは、一角獣と契約し治癒術を使う彼女達なら、治癒だけではなく浄化の力も得ていると思っているのだ。それは、一角獣自身に浄化の力が宿っているからに他ならない。
「俺がお前に嘘ついたことないだろ?」
セフィライズは兄が面白そうに笑う姿を見て戸惑った。
九歳も離れている。だというのにこの二人はとても顔立ちが似ていた。特に目元は、本当に瓜二つなほど。陽気で表情豊かなシセルズを見ると、セフィライズがまったくしない顔をあたかも自身がしているかのような錯覚に陥る。
それがなんだか、セフィライズにはとても、胸が詰まる何かがあった。
「兄さんが変な嘘は言わないって、知ってる」
「だろ?」
シセルズが再び笑う。セフィライズは眉間に皺を寄せた。次の言葉を出すのに、少し時間がかかってしまう。
「……しばらく帰ってこない」
「気をつけろよな。可愛い子でも手を出すなよ」
治癒術は代々女性のみがその力を引き継いでいる。癒しの神エイルの眷属である一角獣が穢れを嫌う為か、処女の時しか治癒術を使う事ができない。
それをシセルズは冗談交じりに言ったのだ。
「兄さんじゃあるまいし」
「俺だって手はださねぇよ!」
兄は多少女遊びの癖がある。そう知っているセフィライズは、軽口で返事をした。
こういった話し方ができるのは、兄ぐらいしかいない。
「既に失っている可能性もありえるのか……」
能力の喪失を引き起こす最初の性交渉は、おそらく彼女達にとって重大な意味を持つ。心から想う人でなければ、早々に捧げようなどとは思わない。
しかし、人狩りの目的が何だったかによっては、既に事後という可能性も考えられる。そうなった場合は何の用事もない。
「それは、大丈夫だと思うけどな」
「……」
セフィライズは兄の言い方に思う所があった。いつも親身になって接してくれるのだが、どこか隠し事をしているような気がするのだ。しかしセフィライズ自身もまた、自分の思っている事を他人にはっきりと伝えるほうではない。血の繋がった兄弟でもそれは同じ。
自身がしていないのに、兄に求めるのはどうだろうか。そう思うと、セフィライズは何も言えなかった。だから、あえて気がつかないフリをして見せた。
しかし、それはきっとシセルズに見透かされているだろう。いつもわかりやすく表情に出るのがお前の悪いところだ、とシセルズから何度も笑われた事があるからだ。