2. 安息のひととき編 薬
セフィライズは、味が変に感じてあまり食が進まないまま、しかし全てを何とか食べ終えた。トレーをレンブラントに渡すも、黙って立ったままそこから移動しようとしなかった。
「リシテア様は」
「今はでております。セフィライズ様が捕獲したあの、例の怪物の件で」
右手を顎に当て、下を向き考える。リシテアが、どこまで話すのか、話さないのか。彼女ならば、何も話さないという選択肢をとって帰ってくるだろう。そして必ず相談に来るはずだ。一人では決断しないだろう。どこまで、情報を開示するのか。どこまで、手を出すのか。
「これから、を。考える必要があるな」
ルードリヒから聞いた内容を整理するに、ベルゼリア公国のザンベル辺境伯の紹介で小瓶を得るに至っている。次に調べに向かう場所は、少なくともここである事は間違いない。
ベルゼリア公国は、カンティアからは隣の壁にある為非常に近い。しかも辺境伯が治める地域はちょうど、ベルゼリア公国とカンティアとの壁境界の宿場町アベルだ。確か、活火山の峰々をすぐ背にした海辺の街だったはず。
ただ、少し問題があった。ベルゼリア公国はいまだ根強く奴隷制度を取り入れており、排他的である事。治安も非常に悪く、異質なものを嫌う傾向の為に友好関係を結ぶ国も少ない。自国民を大切にする一方で、少数民族には理解がない。リヒテンベルク魔導帝国とはその考え方から比較的親しくしている国である。つまり、アリスアイレス王国とはあまり仲良くないという事だ。
この見た目で、果たしてすんなりとザンベル辺境伯に会えるだろうか。そもそも、壁を越えた後の安全性のほうが気になった。そこに住む人々にとっては、セフィライズなど本当に、動く金そのものである。いくらアリスアイレス王国を背負って歩いていたとしても。何が起きるかわからない。
「……セフィライズ様、少しよろしいですか」
レンブラントに声をかけられ、一瞬彼の存在を忘れてしまった事に慌てた。
「すまない。どうした」
「……薬ですが、毎日朝晩、一つずつです。これは……」
「説明はいい。何か、わかったから」
無意識に、胸に手を落とす。あの、ミシミシという、耳に残った音の正体は、こいつだと。触るだけでわかる。広がっているのだ。これが。
「もし、一粒で足りないと、なりましたら必ず」
「わかった。そうなった時は、教える」
顔を上げ、セフィライズがレンブラントを見る。無表情ながらもどこか、複雑そうな顔をしたままのレンブラントは口を開けた。しかし、声が発せられないまましばらくすると下をむく。
「では、またまいります」
何か言いたいことがあったのを、飲み込んだのだろうと思う。何も言われない事に感謝した。
レンブラントが去っていった部屋で、舌を出し人差し指で触る。何か貼りついたような気持ち悪さが消えない。
本もない、何もない。久々に天井を見て、ただ窓から差し込む光を眺めるだけ。セフィライズはベッドに横になりながら、日が傾いていくその色の変化を、ただ見ていた。何かを考えようかとも思ったが、今はその光をただ追った。
扉の向こうで、騒がしい音がする。すぐに誰の声か察しがついて、ベッドの上に座った。直後に扉が開くと、真っ直ぐで強い色を瞳に灯したリシテアが立っている。
「起きましたのね」
意外としっかりした声だなと彼は思った。
「はい、申し訳ございませんでした」
真っ直ぐに歩いてくるリシテアの後ろから、レンブラントが入ってくる。頭を下げ、瞳を閉じたまま彼は入口近くの壁面を背に立った。
「セフィライズ、わたくしはあなたに、話したいことがあります。今は大丈夫ですね」
芯の強い話し方だった。セフィライズはもう少し、違う反応で彼女が入ってくると思っていただけにやや驚く。
「はい」
「今日、セフィライズが捕獲したあの怪物の事で話し合いの場がありました。先に申し上げます。わたくしは何も話していません。この件は、一旦アリスアイレスに持ち帰ります。お兄様に相談してから、今後カンティアにどう情報を開示し、協力していくかを決めたいと思っています」
「それが、よろしいかと思います」
「それでセフィライズ。わたくし達はすぐに、アリスアイレスまで帰国する事になりました」
「すぐに、ですか?」
「そうです。すぐに、です」
すぐに、とは多分本当にすぐ、なのだろう。しかしまだスノウが目を覚していない。仮に目覚めたとしても、安静にと言われている彼女を、帰国させるのは無理だ。
「スノウは、すぐに帰国は難しいのではないでしょうか」
「ええそうね。だからおいていきます。セフィライズ、あなたは帰国です」
セフィライズは戸惑った。そして同時に、嫌だと思ってしまった。複雑な表情のまま下を向く。
レンブラントが後ろで、スノウにはカンティアで人を雇い世話をさせる事、レンブラント自身が残ること、スノウが回復次第帰国させる事を述べる。確かに、スノウを残していくのであればそれが妥当かと思った。しかし。
「返事は?」
「私は……リシテア様、私も、残ってもよろしいでしょうか」
どうしても、残りたいと思ってしまった。理由ははっきりと言葉に出来ず、リシテアに伝えられない。ただ、とても、嫌だという感情を消せないのだ。
「何故かしら?」
「……ベッケンバウアー侯爵から、あの化け物になると思われる小瓶の出どころを、聞いております。アリスアイレスに戻ってから、再びその地に赴くのには少し、遠いかと……」
「お兄様からは、カンティアで調査する以外の事は聞いていないのでしょう? では報告が先です。ともに戻ります」
リシテアが、セフィライズのすぐ真横で真っ直ぐ顔を見つめてくる。彼はそれに視線を向けれないまま、下を向いた。




