外伝 解氷の聲3
先ほどまで穏やかだったが、風が強くなってきている。雲がより一層厚く暗くなりはじめ、セフィライズはそれを仰いで目を細めた。これは、天候が悪くなる予兆だ。
雪火草の群生地があるエシレリーナ湖のほとりまで到着した。針葉樹の森にはいって、緩やかな坂になる一本道を抜けると本当にすぐだ。
湖面は凍っており、その上にまたうっすらと雪が積もっている。湖畔には等間隔に木の杭が刺さっており、それがほんの少し頭をのぞかせていた。その場所から向こう側が湖だ。すぐそばに、小屋も建てられている。
「セフィライズ! どのあたりなの!」
セフィライズに繋がれていた手を振りほどき、リシテアは走った。それを急いで追いかけるも、リシテアはすぐに木の杭の印を超えて凍った湖の上まで到着している。
「このあたりかしら」
積もった雪をかきわけるとすぐに氷面が見えた。リシテアが首を傾げたその時、氷の割れる音と共に彼女の片足は極寒の湖へと浸かってしまう。ちょうど水が湧き出ている箇所で、氷が薄くなっていたのだ。
小さな体はよろけ、そのすべてが落ちるといったその瞬間。セフィライズはリシテアの腕をひき、思いっきり引っ張っていた。
雪の上に倒れ込む二人。リシテアは片足から腰あたりまでびっしょりと濡れてしまった。
「大丈夫ですか」
「もう! 湖じゃないの!」
リシテアは怒ったあとすぐ体を抱きしめて震えた。濡れた部分は外気の冷たさで一気に体温を奪う。
「近くに、小屋があります」
そこで服をどうにかしよう。という事が言いたいのはすぐにわかった。しかしリシテアは首を横に振る。
「雪火草をとってからじゃないとだめよ!」
「私が探します」
反発をしようとするリシテアを、セフィライズは抱きかかえた。暴れる彼女も、体が冷えてゆき震えて思うように動かない。湖畔沿いにある小屋へと連れていく。
途中、抱きかかえられた状態のリシテアは妙な感覚に気が付いた。
もともと休憩できるように設置されたその小屋。周囲に野獣を寄せ付けない為の設備が埋め込まれているのだ。それが発動している側へと足を踏み入れた時に、敏感な人は違和感を覚える。それを知っていたセフィライズは、リシテアに声をかけた。
「小屋の周りに、守護の魔導人工物があります」
「そうなの」
抱えられながらおとなしくしているリシテアは、まじまじとセフィライズの顔を見た。
雪にも負けない白い陶器のような肌。色素がないガラス玉のような瞳。絹糸のように繊細な銀髪。普通の人の、整っているではない、端正な顔立ち。
感情が欠落している、心が欠落しているのではと思う程に、人間味のないと思っていたセフィライズを。
リシテアはこの時、思った。
無いのではなくて、表に出てこれないのではないかと。
この真っ白な人に、リシテアの真っ赤に燃える紅色の髪と同じぐらい、色をつけてあげたいと思った。
小屋の中は大変片付いており、暖炉と寝具に防寒具。備蓄の食料も保管されていた。アリスアイレス王国がしっかり管理し、それが行き届いているのがわかる。
常冬のこの国では遭難は死に直結する。ヨトゥンの寒冷期でも道がわかるように整備したり、避難できる小屋を細かく設置しているのだ。
リシテアを暖炉の前に座らせると、セフィライズはすぐ横の薪台から焚き木をとってくべた。それにまっすぐ手をかざす。
「我ら、世界を創造せし魔術の神イシズに祈りを捧げ、火影を導き贄を燃やせ。今この時、我こそが世界の中心なり」
静かで落ち着いた声で綴られた言葉の後、薪からゆっくりと炎の揺らめきが浮かび上がる。暖炉から届く暖かさに吸い寄せられるように、リシテアは両手をかざした。
「あたたかいわ」
セフィライズはその後、濡れた衣服を脱ぐように指示し、それを暖炉のそばに乾かすように並べた。同時に、備品として整備されていた毛布を持ちリシテアへとわたす。小屋に置かれている防寒具ではリシテアのサイズに合うものがなかった為、リシテアは仕方なく毛布にくるまる他ない。
セフィライズは静かに暖炉の前で温まるリシテアから窓の外へと目をうつした。先ほどより一層、天気が悪くなっている。このままでは吹雪になって身動きがとれなくなるのは目に見えていた。しかし、防寒具が濡れた状態では、安全にリシテアを送り戻せるわけもない。
「一晩、待ちましょう」
「どうして!」
一晩なんて時間を使ったら、こっそり抜け出したことが知られて怒られるでは済まされない。国の一大事になってしまう。なんとしても今すぐ雪火草を手にして戻りたいリシテアを、セフィライズはとぎれとぎれの言葉で自制を促した。
最初は言い返していたリシテアも、セフィライズに指さされ外を見て理解したようだった。もうすぐ天候が荒れるのは、幼い彼女でもすぐにわかった。
程なくして小屋をたたきつけるような猛吹雪になった。
セフィライズは備蓄品を使い、簡単な食事を準備してリシテアに渡す。彼女は状況をやっと受け入れたのか、突然泣き始めてしまった。




