外伝 解氷の聲2
分厚い窓の外、今日は晴天に雪が降る風花。日が傾き始めてもその六花は小さく途切れなかった。
だいぶ時間がたった。ゆっくりと扉が開くと、侍女のモニカに優しく付き添われながらリシテアがでてくる。目は赤く腫れていた。
セフィライズはそれを見て、驚いたように目を丸くする。それがリシテアには気に食わなかった。何故その程度で泣くのかと言われてる気になったからだ。
「最悪ね。セフィライズ。あなた、人の気持ちがわからないのかしら」
「はい、申し訳ありません」
「はい、ですって。あなた……!」
思わず手がでそうになった。リシテアがセフィライズに飛びつこうとしたその間に、割って入ったのはシセルズだった。
「すみませんリシテア様。こいつ、人間やり始めて日が浅くて」
「シセルズ! あなたの弟どこかおかしいのではなくて!」
「そうなんです」
笑いながらシセルズはセフィライズの頭を叩く。先ほどまで沸いていた怒りが、リシテアの中でどこかに行ってしまった。呆れながらため息をつく。
「もういいですわ」
そう言って、リシテアは歩いて行ってしまう。後ろに付き従おうとしたセフィライズを、シセルズが引き止めた。
「今日はおしまいだ。セフィ。どうしてリシテア様が怒ったかわかったか?」
「……」
眉間に皺をよせ、考えるしぐさをとる弟に、シセルズは少しかがんで視線を合わせた。
「ごめんなさい」
「いいよ。大丈夫」
感情の起伏が激しく思った事をはっきり言うリシテアは、セフィライズにとっていい学びだとシセルズは思った。兄である自分とばかりでは、人の感情の浮き沈み、相手の気持ちを読み取る事は学べない。誰かと接する必要がある。
「必ず、わかる日が来る」
次の日の早朝の事だった。セフィライズは一人、誰もいない室内庭園を走っている。体力をつける為、毎朝に十周しているのだ。
茂みが揺れる。その音に警戒して、セフィライズは止まり身構えた。草木をかき分けゆっくりと這いずってでてきたのは、なんとリシテアだ。
「……お、はようございます……」
セフィライズは柄にもなく動揺した声をだした。
リシテアはなぜか両手に防寒具を二着持っている。
「セフィライズ、あなたわたくしの近衛ですわよね。ちょっと、来なさい!」
リシテアはセフィライズの手を引っ張り、今出てきた草木の中に引きずり込む。無言のセフィライズの耳元で、静かにするように念押しした。
「セフィライズ。雪火草がどこに咲いているか知っているかしら」
「……はい」
「なら話が早いわ。今すぐそこにわたくしを連れて行きなさい」
セフィライズは少し考える様子を見せる。リシテアは下からじっとりとその表情を見上げた。
侍女に頼んだって無駄なのはわかりきっていた。探すのも困難なうえに、今はヨトゥンの寒冷期。晴れていてもすぐ天候が変わる。外は野獣が闊歩していて危険だ。お願いしても断られる。
しかしセフィライズなら、いけるのではないだろうかと思ったのだ。人形なのだから、命令すれば。
「……あの」
「命令です。セフィライズ。わたくしを、雪火草があるところまで連れて行きなさい」
強めの言葉で繰り返す。セフィライズはまだ少し悩んでいるようだった。
リシテアの母、ユージュリアの容態がよろしくない。侍女のモニカから聞いた、花を煎じて飲めば病に効くといわれる雪火草を、どうしても今手に入れたい。フレイヤの豊穣期など待っていたら、手遅れになるのではと思ったのだ。
「今、どうしても欲しいの。セフィライズ、お願い」
リシテアは母親を想うと自然と涙が出た。セフィライズの手を掴み、懇願する。
セフィライズは再び困惑した表情でリシテアを見た。
「……わかりました」
セフィライズの返事に、リシテアは表情を一変させ喜んだ。
「行きますわよ! 早朝のうちに、城からこっそり抜け出さないといけませんわ!」
リシテアは知っていた。城にはいくつもの外に通じる隠し通路がある事を。有事の際に逃げ出す事ができるようにだ。その一つを使い、二人はリシテアが抱えていた防寒具を着込んで城外へと出てた。外は寒冷期なのもあり、大粒の雪が絶え間なく降り続くも風はなかった。
地下の水門の入口からさらに、首都アリスアイレスからも出て北の山脈の方角へと歩きだした。山麓から王都の近くまで広がる針葉樹の森の中にある大きな湖の近くに雪火草は群生している。
雪を掘り返せば、その真っ赤に燃える花弁が、雪の重みにも負けず強くとがっているのがわかるという。しかしその力強さのわりに花は非常に柔らかいそうだ。
どこまでも広がる雪原。アリスアレス城を背に、針葉樹の森の中へと入っていく。セフィライズに片手を引かれながら歩くリシテアは、彼が武器類を何も所持していない事に気が付いた。
「ちょっと、セフィライズ。あなた、大丈夫なの?」
もしここで、針葉樹林を闊歩している野獣の一種であるホワイトウルフの群れにでも出くわそうものなら太刀打ちできない。
「……?」
立ち止まったセフィライズは首を傾げた。
「はい、エシレリーナ湖は森を入ってすぐです」
「違うわよ!」
リシテアはセフィライズの腰へと抱きついた。何もないと強調するように腰付近をとんとんと叩いて見せる。
「何もないじゃない!」
「はい」
「はいじゃないわよ!」
セフィライズはまたも首をかしげる。何が言いたいのかわからないといった様子だった。リシテアはその場の雪を固めるように足ふみをして全身で伝わらない事に対する苛立ちを表現する。
しかしセフィライズにはそれすらもよくわかってないようだった。しばらく考えた後、その特徴的な白い肌の手を出す。リシテアはちゃっかり手袋を用意していたが、セフィライズには防寒のコートだけだった。その手がとても寒そうで、リシテアは一瞬にして申し訳なさそうな顔をする。
「……? 行きます」
先ほどまで怒っていたリシテアの表情が変わった事にまた首をかしげながら、セフィライズは彼女の手を握り引いた。深く積もる雪道を、小さな少女が歩きやすいようになるべく足で踏み固めながら前へと進む。
遅いと思っていたリシテアだが、それがセフィライズの気遣いだと気が付くのにさほど時間はかからなかった。
この時だった。
リシテアは、もう少し。
もう少しセフィライズの事を知りたいと、思ったのは。




