外伝 解氷の聲1
わたくしが初めて、彼を認識したのは……もうすぐ六歳を迎えようとしていた時でした。
アリスアイレス王国第一王女であるリシテアは、王国の室内庭園で健やかに午後の時間を過ごしてた。芝生の上を走り回り、花を摘んでかごいっぱいに詰めている。それを見守る数人の侍女。
「昨日もたくさん摘まれていらっしゃいましたね」
侍女のモニカが嬉しそうに笑ってリシテアの隣に座った。
「お母様に早く良くなって頂きたいですもの。もっと沢山、お部屋に飾って差し上げるの」
リシテアとカイウスの母であるユージュリアは、最近床に伏せる日々が続いている。それを心配して、リシテアは毎日花を摘んで届けているのだ。
「リシテア様。雪火草をご存じですか。雪の下にあっても、美しく姿を保ちその花弁は炎が揺らめいてる様と言われています。その生命力から、花を煎じて飲むと病を癒すともいわれているんですよ」
「まぁ! お母様にピッタリだわ! どこにあるのかしら」
「今はヨトゥンの寒冷期ですから、すべて雪の下で探すのは困難でしょう。フレイヤの豊穣期になりましたら、一緒に摘みに行きましょう」
「ああ。早く豊穣期にならないかしら。あら……」
あたりを見渡したリシテアの視界に白い花が入った。
「あのお花素敵だわ!」
それ目掛けて突然走り出し、それを侍女のモニカが追いかける。向かう途中、リシテアは人にぶつかってその場でしりもちをついてしまった。
「痛ったぁ……」
「申し訳ありません」
顔を上げた先にいたのは、リシテアが常々お人形だと思っている人物だった。肩ぐらいまで伸びた銀髪、色白の肌、信じられないぐらい透き通った銀色の瞳に浮かぶ瞳孔がリシテアを見ている。
「セフィライズ、あなたしゃべれたのね」
「……はい」
兄であるシセルズの後ろをついて回る、無表情のよくわからない生き物。自分と同じ人間とは思えない程の異質な色。今日初めて声を聴いたような気がする。それぐらい、彼女にとっては疎遠の存在だった。
リシテアは棒立ちのままのセフィライズの前で立ち上がる。一五歳の彼は幼さの残る顔立ちで、リシテアを見つめながら敬礼をし、頭を下げた。
「本日より、少しの間。リシテア様の近衛になる事になりました」
「あなたのような子供が近衛ですって」
リシテアは驚いて声が裏返ってしまった。後ろから追いかけてきた侍女のモニカも、驚いた表情でセフィライズを見る。成人女性より少し背が低い、まだ少年だ。
「あーすみません。リシテア様」
後ろからまったく謝る気のない声を出し、頭をポリポリと搔きながら歩いてくるのは、セフィライズの兄であるシセルズ。まだ身長が伸び切ってないセフィライズの隣に立ち、弟の頭をポンポンと叩く。
「俺からカイウス様にお願いしたんです。少しの間だけですから。自分の命の次にリシテア様を守るように言ってるので」
シセルズの冗談交じりの言い方に、リシテアは両手を腰に当てて彼の名前を文句を言いたげに呼ぶ。その後ろで侍女はものすごく不快そうな顔をしていた。
「あなたのほうが良いのではなくて? セフィライズはまだ子供じゃない」
「それが、既に俺より強くてですね」
リシテアに対して、シセルズはかなり気さくな話し方をする。周囲の者達から見れば、その態度は失礼極まりないのだが、リシテア本人はむしろ喜んでいた。
「そうは見えませんわね」
「まぁ、よろしくお願いします」
そういって、シセルズはセフィライズの背を押した。
それからというもの、リシテアには常にセフィライズが付いて回った。シセルズの後ろを歩く人形だと思っていたが、その先頭がリシテアに変わっただけのような日々。
花を摘み侍女と遊ぶそのすぐ隣で、彼は黙って座っている。リシテアも最初は声をかけたりなどしたが、あまりにも反応が薄いのでセフィライズの事を置き物か何かだと思うようなった。
「わたくし、この白い花とても気に入りましたわ。なんという名なのでしょう」
「フォスフィリア」
侍女が答えるよりも先に、セフィライズは小さな声で言った。言葉を出すと思っていなかったリシテアは、驚いた顔で見る。
「あなた、しゃべれたのね」
「はい」
嫌味だったが、セフィライズには伝わっていないようだった。
「今日はこの花を摘んで、お母様のところに持っていきますわ。そうね、これは……少しあなたに似ているわね。セフィライズ」
リシテアは花を摘むと、それをセフィライズの顔の横に持って行った。小さな花弁が集まったようなそれは、大人の手のひらぐらいの大きさがある。
「一日で、花弁が落ちます。明日には枯れます」
「あら、そうなの。儚い花なのね」
セフィライズは言いたいことだけ伝えると黙った。何故突然話したのかリシテアはわからなかったが、手渡したフォスフィリアを見つめる目にいつもと違う感情が見え隠れしている気がする。
声をかけようかと彼女は迷う。自分よりも年上だというのに、セフィライズはどこか幼く見えるのだ。まるで同い年の子供と過ごしている気持ちになる。
「ねぇ、セフィライズ」
そう、リシテアが声を発した時だった。
「リシテア様……!」
慌てた表情で走ってくる侍女のモニカの声に、リシテアは立ち上がる。母であるユージュリアの容態が急変したらしい。その知らせに、リシテアは慌てて母親の元へと走った。セフィライズはフォスフィリアの花を握りながらその後ろをすぐに追いかける。
ユージュリアの部屋の前、リシテアは遠慮なく扉を開け中に入った。しかしセフィライズは扉の前で立ち止まり、すぐ横の壁に並ぶ。リシテアの慌て泣く声は、扉が閉まると同時に聞こえなくなった。




