外伝 アリアドネの糸 4
燐光の谷に近づくにつれ、段々とセフィライズの様子がおかしくなっていく。どこか、眠そうな顔をして、少し目を閉じては馬車と一緒に首が揺れる。また目を開けて、そして閉じて、を、繰り返していた。
「しんどい?」
「わからない」
セフィライズは胸に手を当ててみた。なんだか、体が重い。何かを考えるのが億劫になり、眠ってしまいたい気持ちになる。その理由がわからないまま、燐光の谷の中腹で馬車は止まった。周囲には可視化された青白いマナがフヨフヨと漂っている。
「二時間後には出発です、戻ってきてくださいね」
「二時間しかないんだって、ほら、行こうよセフィライズ!」
ラウラは精一杯セフィライズの手をひいた。数名の観光客が周辺を散策する中、ラウラの手にひかれ奥へ進んでいく。人気がない場所まで来る頃には、あたりの可視化されたマナの量が増えていた。
「素敵だよね。ここでお弁当食べようよ。ほら座って」
セフィライズは促されるままに座る。立ったままの彼女は、鞄の中を漁った。
「あぁ、いけない。馬車にお弁当置いてきちゃった。取りに戻るね」
「俺がいくよ」
「ううん、体調悪そうだから待っててよ。すぐ戻ってくるから。あ、これお水ね。飲んで待ってて」
セフィライズは馬車に戻っていくラウラを見送って、渡された水を一口飲んだ。周囲の青白い光に手を伸ばしてみる。なんだが、とても体が重かった。どうしてだか、わからないままに目を閉じる。このままだと、寝てしまいそうだ、そう思って、しかしそのままゆっくり。
首を振りながら、岸壁に背を預けて眠ってしまった。
何か、声がした。女の人の声で、文句を言っている。その音に、セフィライズはうっすらと意識が浮上した。まだとても眠くて、起きる気にはならない。もう一度寝たいな、とそう思った時だった。
「殺さないって、約束したじゃない!」
セフィライズはそうはっきりと聞こえて、目が覚めた。どこかわからない、薄暗い森の中だ。立ちあがろうとすると体が動かない。すぐに縄で木に縛り付けられている事に気がついた。
「殺さないでどうやって売るつもりだったんだ」
「それは、指とか、髪とか」
「冗談じゃない。証拠隠滅ってやつだ。殺してから売りにいく」
視界に映ったのは、ざっと十人はいるであろうむさ苦しい男達の前に立つラウラの姿だった。各々が、剣や槍などの獲物を持って、いかにも悪そうな顔をしてる。その状況を見て、すぐにセフィライズには理解できた。
「待って!」
男の一人が近づいてくるのに気がついて、あえてセフィライズは目を閉じた。冷静に、手が動かないか試してみるも無理だ。
「寝ている間に、スパッといこうぜ」
そういえば、子供の頃にもあったなと思う。あの時も、一瞬で諦めた。それは多分、心のどこかで全て。
仕方ないことだ、と思っているから。これは、避けられない事実。だからあまりショックではなかった。
————ごめん、兄さん。油断した……
「待ってって!」
音だけで、わかる。剣が振り下ろされるの音がするのが。一瞬で、絶命するのだろうと思った。なのに恐怖は感じない。
しかし、振り下ろされる剣は、なぜか的を外れたかのように、右肩から外側に斜めに入った。切られた痛みと、鮮血がとぶ。剣が縄の一本にあたり、拘束が解かれた。セフィライズが目を開くと、男の腕にしがみついてラウラが邪魔をしている。
「こら、離せ!」
男がラウラに気を取られたその瞬間、縄から逃れたセフィライズはその場から飛んだ。男が持つ剣を奪い、背後に立つ。本当にそれが、瞬く間の出来事で、男とその仲間達も、何が起きたか理解できていない様子だった。
「悪いけど、殺されてやるつもりはないから」
目の色が変わる。まるで別人の形相で、その場にいる全員が一瞬怯んだ。
「くそ、全員でかかれ!」
男の合図で仲間達がセフィライズに襲いかかってくる。腕にしがみつくラウラを蹴飛ばした男は、セフィライズがいたはずの場所を殴りつけた。どこに行ったと、思ったその瞬間に。
セフィライズは男の真後ろから剣をまっすぐに突き立て、首から心臓にかけて串刺した。見たこともない程の鮮血が噴き出し、彼の服を汚す。
集団で襲ってくる男達に剣を向けた。その目は既に鋭い光と冷気を纏っている。
斧、槍、剣。武器を持つ男たちが、一斉に襲い掛かる、その瞬間。再び目の前から消えた。地面に刺さるだけで、どこに行ったかと思った。刹那。
一人残らず、セフィライズの斬撃により、絶命した。
全員が血飛沫をあげ、ただの肉塊になって崩れ落ちる。赤黒い血液に満ちた地面の上に、セフィライズは返り血を浴びて冷静な表情のまま立ち見下ろした。剣を払い、ついた血を飛ばす。
ラウラは一人残され、笑うしかできなかった。
なんだ、全然いけそうじゃん。セフィライズを見た時、ラウラはそう思った。
白き大地の民はお金になるから、誘い出して、売ってしまおうって声をかけられ、お金に困っていたのもあり二つ返事をした。
実際じゃべてみたら、本当に、こいつ大丈夫かっていうぐらい。どこか人と違って。簡単に取り入ることができて。だからすぐに誘い出せる。そして簡単に、お金が手に入る。そう思ったのに。
「やばい、別人すぎ……」
ガタガタとラウラは座り込みながら手足が震えた。殺されると、そう思ったからだ。
「君も……」




