外伝 アリアドネの糸 2
「付き合ってる、の、意味わかってる、よな?」
落ち着いて、冷静に、冷静になって聞いた。シセルズにとって、弟はまだ子供という印象が強すぎる。これが反抗期かというぐらいの衝撃だった。実際のところ、セフィライズには反抗期は無かったが。
「そのつもりだけど」
「えっと、どういう、経緯で?」
「兄さんが夜に、お酒を飲みながらよく言ってたよね。向こうからきたら、とりあえず行っとけって」
シセルズは、弟に真っ直ぐに見つめ返されて、今すぐ頭をテーブルへとぶつけたくなった。と、同時に過去の自分を絞め殺したくなる。それはつまり、向こうから告白されて付き合いだしたという事だろう。
「ま、待って。え? 俺そんなこと言った?」
「留学するなら、とりあえずヤッとけとも、言ってたよ」
それはいつの話だろうか。シセルズは大体お酒を飲むと、いつもより適当な事を言う癖がある。ただ、今回は本当に、本当に後悔した。
「え、まさかもうあれ、え?」
「何が?」
「男女のあれこれは、あれ?」
「何回かは」
その発言に、シセルズは我慢できずにテーブルへ頭を打ちつけた。
「やべぇ、俺。教育間違えたわ……ごめん、なんかごめん」
そうだった。変なところで無垢だった。言われたことをそのまま鵜呑みにする奴だった。しまった。本当に心からそう思った。
「好きな子なら、いいんだ。俺は、好きな子なら、いいと思うぞ。うん」
シセルズは動揺しすぎて何にショックを受けたか、わからないぐらいだ。
「好き、かはちょっと、わからない」
「いや、好きでもない子とは付き合わないだろ」
「どうして、兄さんはよく好きでもない人と付き合っているよね」
「ああ、マジで。もう俺が悪かった、俺が悪かったからっ! 待って、ほんとちょっと待って……」
まるで自分の醜態を晒しているようだとシセルズは思った。確かに、思い返せばセフィライズが小さな頃から遊んでいた。お酒も、ほんの少し早い段階から飲んでいた。酔っ払って、弟の世話になった事もあるし、朝帰りなんかもいくらでもした事がある。二人で暮らすあの家に女性を連れ込んだ事は……なくはない。完全にやってしまったと、シセルズは思った。
「あぁ、これが子育てか……失敗したわぁ……」
セフィライズが首を傾げている。何がそんなに慌てる事なのか、全く理解してない顔をしていた。そういう話っていうのは、他人との関係性で学ぶものだ。友達とか、そういうので知識を得たりして常識を養っていくものだと思う。ただ、こいつは例外だと、わかっていたのに。
親がいないのだから、親代わりの自分の詰めが甘かった。
「大丈夫?」
「俺は、大丈夫。セフィライズ、ちょっと、今晩話そうか。色々と、話そうか……」
セフィライズの肩に手を当てて、全力で反省した。
街の観光スポット的な場所を適当に歩いて、学生寮に戻る。寮といっても、かなり豪華な建物だった。各国から選ばれた学生だけが来るのだから、それなりの地位の人を対象にしているのだろう。部屋も広く、明るく、快適そのものだった。セフィライズの部屋は一階にあり、すぐ外は貴族街のメインストリートで、その通りの先に図書館がある。
「セフィ、ちょっと、こっち座って」
「何?」
シセルズは真剣にセフィライズを見ながら、言葉を選んだ。表情はまだ乏しいところはあれど、子供の頃からの成長を思えばかなりしっかり人間らしくなった。素直さと無垢さは残っているけれど、意見を言うようにもなったし。だからちょっと、油断していたというか。完全に油断していた。
「いいですか、まず好きでもない子とは付き合ってはいけません」
「兄さんは」
「俺は、俺はいいの! 今は俺の事じゃなくて、セフィの話ね。いい? わかった?」
「わかった」
シセルズ自身は、加減がわかっていて、遊べるのなら、別にだらしなくてもいいと思っている。ただ、そんな事がわかっているようには決して見えない。むしろシセルズの今までを鵜呑みにしていたら危険だ。これぐらい大げさに言う方がいい。
「あと、好きでもない子と、してはいけません。いいですか?」
「でも、兄さんは」
「わかった! 言いたいことはわかったから! ちょっと俺の話は置いといてくれるかな?」
やってきた事は隠せないので仕方ない。ここでは一旦置いておくしかない。それに対して不満とか疑問を抱かないのも、セフィライズらしいといえば、らしい。
「いいね、わかった?」
「うん、わかった」
「えっと、じゃあラウラちゃんと今後どうするかだけど。とりあえず、相手に失礼だから、好きになる努力をしようね。わかった?」
「好きに、ならなかったらどうしたらいい?」
「その時は、ごめんなさいするんだよ」
無表情のままに首を傾げて。少し考えてからセフィライズが返事をする。と、その時、窓を叩く音がした。コツコツと、響いた音。外を見るとそこには丁度ラウラが立っている。
「お兄さんすみません。仕事がない時は学生寮には入れないので」
「ああ、えっと。大丈夫ですよー。ラウラちゃんはあれ、セフィと付き合ってるんだよね?」
シセルズは、とりあえず事実確認をとった。まさか勘違い、なんて事はないだろうが、念のため。
「はい。お兄さんのお話は、よく聞きます」
はたしてどんな話をしたのか、気になって仕方がない。思い返せばいい兄ではなかったかもしれない。すぐ酒に酔うし、女は連れ込むし、ダラダラしてるし。




