61. 心から、想うもの
セフィライズはベッドのフレームを背にしながら座り込み、下を向いていた。無言のまま、リシテアのすすり泣く声だけが響く。リシテアの言葉と、自身の兄の言葉を思い返し、胸に手を当てた。
「……すみません、落ち着きました」
下を向いたまま小さな声を出し、左肩を押さえながら立ち上がる。よろめくセフィライズを支えるように、レンブラントが背後にまわり手を添えた。
「まずは手当を致しましょう」
レンブラントに支えられながら、部屋の端にある椅子に深く腰掛ける。ベッドの上で静かに横になっている彼女を見た。本当に、ただ眠っているように見える。しかしもう、なにもできることがない。
「リシテア様も、一旦着替えましょう」
リシテアの後ろからミジェリーが肩を叩く。頷いた彼女は、呆けたように座っているセフィライズに視線を向けた。
いつもどこか、自分は輪の中にはいない。関係がない。そういった表情をして、行動をして。そのせいでいつも、目の前にいるというのに一瞬でいなくなってしまうような、そんな雰囲気を放っている。本当に心から望むものを、自分の思いを、願いを。彼の口からはっきりと聞いた事が、一度もないのではないだろうか。
リシテアは瞳を閉じた。遠く過去から、沢山の思い出を蘇らせながら。セフィライズに対して思ったことを。あの時の、大切な気持ちを。
――――でも、それは。わたくしではない。
冷静で一歩引いて物事を判断している彼が。あんなにも取り乱していた。それはもう、きっと理由は明らかだ。
足りなかった、最後の火を灯したのは彼女。
「セフィライズ、わたくしは以前、あなたに言いましたね」
部屋から出る間際、振り返ったリシテアが言った。
「わたくしは、あなたの事が好きだと。あなたはなんと答えたか、覚えていますか」
「はい」
「では、今もまだ。わかりませんか」
その言葉に、セフィライズは顔をあげて目を見開いた。真っ直ぐにリシテアを見る。
「今は……」
今は、わかるだろうか。
「回答は、明日聞きますわ」
リシテア達が出ていく。医師の男性がセフィライズへ治療を施すために、医療品の入ったバックを持ち上げた。
再びセフィライズは虚な表情のまま下を向き、質問の答えを探す。
あれも、これも、色んなことが起きすぎて、色んなことを考えないといけなくて。頭が混乱している。胸の中にあるのは、言いしれない虚無感。
「服を脱いで頂けますか」
目の前に座った医師の言葉に戸惑った。左肩を出すには、やはり脱がなければいけない。それは、つまり。
「治療は、結構です」
「縫わなければいけません、固定もしなければ。最悪の場合、左腕が使えなくなります」
医師が手を伸ばす、しかしそれを払い退けてしまった。見られたくないのだ、どうしても。
今はそれどころじゃない。現実を、見たくない。
「他言を、しないとお約束します」
まだセフィライズが何も言っていないのに。まるで何を求めているのかわかっている。そんな言葉をレンブラントは発した。下を向いたまま黙っている彼の胸元に手を伸ばす。外しますよ、と一声かけてからボタンに手をかけた。
彼の、心臓付近に付着したそれが、薄暗い室内でもはっきりと異質だとわかる。医師の男性が、見たこともないそれに息を呑んだのがわかった。
「これは……」
何も答えたくなかった。今は、自分の事などどうでもよくて。そんなん事を考えたくもなくて。
黙って俯くセフィライズに続く言葉をかけられない。今はそれに触れないほうがよいと判断した医師は、ランプを持ってくるとそのほのかな明かりで傷を確認する。左肩の怪我を凝らすように見た。自身で傷つけた左腕もまた、肉が見えるほど、痛々しい。
「では、麻酔をして。縫合しましょう」
手早く、的確な縫合による治療が終わる。セフィライズはレンブラントの持ってきた新しい衣服に着替えた後、肩から左腕を吊り下げるように包帯を巻かれ、添え木を入れられた。左腕をあまり動かさないようにと説明を受ける。
「麻酔が切れましたら痛み出してきます。あまりにも痛くて眠れないようでしたら、こちらを内服してください。また、炎症止めとしてこちらも一緒に、五日分出しておきます」
医師が差し出した二つの薬の飲み方について説明を受ける。
「……痛み止めは、他の痛みにも効きますか」
「内服薬ですから、それはもちろん。痛んだ時に我慢できなければ飲んでいただく方がいいです。ですが、痛みが怖いようでしたら朝と晩に一粒ずつ。しかし、量は守ってください」
横に立つレンブラントが何かを察したように顔を上げた。セフィライズの質問の意図を確認したくて彼を見るも、いまだ下を向いたまま。しかし顔を上げた彼が、真っ直ぐ医師を見た。
「もう少し、頂けますか」
「十分な量ですよ。よく効く為、飲み続けるのはよくありません」
「……仕事柄、こういう事が多いので。常備薬として、携帯できればと思った次第です」
「なるほど……そうですね。飲み続けないのでしたら。明日また、スノウさんの診察に来ますので。その時にお持ちしましょう」
頭を下げて医師が一度戻るのを見送る。レンブラントが丁寧に挨拶をし、謝礼金を手渡す準備の為に部屋をでた。
セフィライズ一人残されて、急に部屋が静かになった気がした。椅子から立ち上がり、再びスノウが眠るベッドの横に膝をつく。スノウの手をとり、しかしいつもなら握り返されるというのに何の力もこもっていない。だらりと、彼の掌の上にただ置かれているような状態だ。
本当に、いなくなるかもしれない。今、この瞬間。生きている彼女が、もう二度と。
胸元に、彼女へ贈った首飾りが見えた。青い石は血液で汚れ、滅紫に変わっている。手を伸ばし、それを指で拭くと元の青が戻った。既に乾ききっていたそれは、ポロポロと彼女の首元に落ちる。
————ありがとうございます、セフィライズさん。大切に、しますね
そう言って、頬をほんのり染めて、とても嬉しそうに笑っていた。その時を思い出して。
スノウの顔にかかる髪を払うように触れる。
失いかけて、気がつくだなんて。
そうだ。もう、わかっている。これは。
初めてスノウに興味を持ったのは、何にも汚されない澄んだ瞳をしていたから。
初めてスノウの背を押そうと思ったのは、暗闇の中で埋もれていく事を選ばず、光に手をのばしていたから。
初めてスノウが眩しいと感じたのは、こんな自分にも真っ直ぐに、向き合ってくれているから。
初めて、スノウを隣にいるのが当たり前だと思ったのは。
初めて、スノウと共に、いたいと思ったのは。
愛おしいと、思ったのは。
「スノウ……」
もうずっとずっと前から。それがいつからか、なんていうのはわからない。
けれど、本当に、ずっと。ずっと。前から。
「心から、君を」
しかし。言葉にするのをやめた。言ってしまったら、きっともう、何もかも元に戻れなくなる気がしたからだ。
願うのは、想うのは。
首飾りに再びふれ、少し持ち上げる。その青い石に、軽く口付けた。生きてほしい、そう願いを込めて。
全てから。
彼女の幸せを、望むものを、ただ支えるだけでいい。
全てから守りたいと思った。
「君を、必ず守ると誓う。だから……」
だから、死なないでほしい。もう一度、笑いかけてほしい。いつもの笑顔で、いつものように。ただ、隣りにいて。それを、必ず。
心から。
3章 滅紫に染まる青 END
このあと、恒例の少し長い後書き。
この度は、第3章 滅紫に染まる青 を読んでくださり、ありがとうございます。
いいね・ブックマーク・感想・評価等で応援してくださった皆様方に、心から感謝申し上げます。
まだまだ読みにくい状態でありながら、リアルタイム更新で読んでくださった方々には、頭が上がりません。
少し間を開けて、3章でやりたかった事を長く語りたいと思いますので、興味のない方は飛ばしてください。
3章でやりたかった事。
少女漫画の王道パターン的なものはやりたかった。しかし壁ドンは入れれませんでした。
舞踏会でダンス。別の男に迫られるとこを見てしまう(からのすれ違い)。デートで絡まれるところを助ける(?)。手を繋がせる。プレゼントを贈る。お姫様抱っこ。その他諸々。
思いっきり詰め込んだ少女漫画セットのような内容にしたかったのですが、予想外に話が逸れたなといった感想です……。
段々と弱っていく(4章でもっと弱っていく)主人公を、どう支えていくのか。どうやってフラグから逃げるのか。
その辺をワクワクしながら、次章が書けたらいいなと思っています。
4章ではハイファンタジー要素を動かす予定です。5章ではハイファンタジー要素の核心に触れ、6章でエンディング。7章でエンディングのその後。を描く予定です。
現在エンディングを2パターン作ろうと構想中です。
実は本来3章は1章を書いてる時には存在もしていなかったのですが、意外と長く(とても楽しく)書けて、とても喜んでいます。
暗い話が続きますので、このあとゆるゆるの、お兄ちゃん強めで長い外伝2本と、セフィライズの彼女の話(暗い)を挟んで、4章 無彩の狭間へ に、入りたいと思います。
ここまで読んでくださった全ての皆様に、心から感謝申し上げます。




