59.赤い晩餐編 捕獲
セフィライズはタナトスの後ろを走りながら右手を口元へ持ってきた。
「我ら、世界を創造せし魔術の神イシズに祈りを捧げ、地を這う樹の根源を持って捕縛せよ」
切り付けた左腕から血液がマナに変換され、彼の右手の中へ集約されていく。詠唱を途中でやめ、右手を強く握りしめながら再びタナトスを追った。中庭へと飛び出すと、既に高く跳躍したタナトスが今にも噴水付近に集まっているリシテア達へと降り落ちるところだった。
「今この時、我こそが世界の中心なり!」
セフィライズがあらかじめ自身の血液を付着させていた大地へ右手を叩きつける。マナの光が大地へと吸収され、強い光を持って円を描くように落としておいた血液に反応し、地面を這うと揺れた。
タナトスが襲い掛かろうと降り落ちる刹那、魔術によって反応した木々の根が伸びる。敷き詰められるように並べられたレンガを割くように弾き飛ばしながら。
四方八方から伸びるそれが、豪速でタナトスに巻きつく。空中で閉じ込められるように、根に絡め取られた化け物。球体のような形を形成したそれに捕獲された。
リシテアは頭を抱え下を向いていたが、しかしセフィライズの声とともに、地面が揺らぎ響く音が静まるとゆっくりと顔をあげる。自身の真上に、がんじがらめになって動かないタナトスを見た。その場にいた全員が慌ててその真下から逃げるように離れる。
「やったじゃない!」
セフィライズは左腕を強く押さえて、空中で捕らえられたタナトスを見ていた。これから、これをどうすべきだろうかと考える。一日の情報量が多すぎて放心状態にも似た感覚のまま立ち尽くしていると、リシテアが駆け寄りそっと肩に触れられた。
「リシテア様」
気が抜けたように彼女の名前を呼んだ。このあと、このタナトスについてアリスアイレス王国で起きた話を共有すべきかどうか。しかし全てを話してしまうのは。それは、あのタナトス化した状態が、元に戻る、という事実も含まれているからだ。おそらくルードリヒの母親であれば、侯爵家の人間である。依頼されてもおかしくはない気がした。人間に、戻して欲しいと。
元に戻るなら、いいだろう。
はっきりとは言われない。しかし、心の中で、誰しもが思っているのだ。白き大地の民は、素材だという、材料だという、認識が。
また同じ事を繰り返すのかもしれない。セフィライズにとってそれは、別に問題ないと言えば、問題ない。しかし、彼の脳裏に浮かんだのはスノウの事だった。彼女は、きっと、反対する。そして多分。
また、泣かせてしまう。と……思った。彼女の泣き顔を、想像するだけで、胸が痛むのはなぜだろうか。
リシテアはセフィライズが右のてのひらを見つめたのに気がついた。自身の血を見ながら、考える事は。
「戻りましょうセフィライズ。これは、この国の人達で話し合えばいいのです。わたくし達は、一旦……わかりましたか?」
「……かしこまりました」
彼女は全てを察した訳ではなかった。しかし、リシテア自身もアリスアイレス王国で起きた出来事を共有すべきではないと考えていた。その理由は、もちろん。人間に戻れる、という情報が含まれているからだ。それが、どのような結果を招くのか、少し考えればわかることだ。
しかし、リシテアは複雑な気持ちのまま思う。これが、自分の家族であればどうだろうかと。元に戻るなら。それでいいのか、と。
「ほら、行きますわよ!」
いまだ立ち止まっているセフィライズの背を、リシテアはぐいぐい押して歩かせた。
屋敷に戻ると、止められた馬車から室内にかけて血痕が続いていた。それを見てリシテアは口元を押さえる。その血の跡を追おうとする彼女を、帰宅に気がついたミジェリーによって阻まれた。
「リシテア様、どうされたのですか!」
ドレスをボロボロにして膝上で結び、靴もはかず、裸足は泥で汚れている。その隣に、左腕から血を流し、衣服にスノウを抱き上げた時に付着した血痕をそのままにしたセフィライズが立っているのだ。
ミジェリーは失神しそうになりながらリシテアに駆け寄り、怪我がないのかと身体中に触れて回っていた。
「わたくしに怪我はありませんわ! それより、この血は誰のものですの!」
「スノウです。今、治療を受けております。それよりもリシテア様は早く着替えてください!」
「それよりも、ではありませんわ! どこの部屋ですか、案内しなさい」
そのやりとりの横で、彼は室内に点々と続く血痕を視線で追いながら立ち尽くした。わかっていたはずなのに、彼女が、スノウが、酷い傷を負っていたことぐらい。
ミジェリーの、説明をしてください! と言う問いかけは全く耳に入らず。セフィライズは一歩足を踏み出すと、そのまま勢いよくその血痕の続く先へ進んだ。
「セフィライズ! わたくしも行きます!」
ミジェリーの静止を振り切り、リシテアはセフィライズの跡を追う。彼が飛び込んだ部屋にリシテアも続いた。
静かな薄暗い部屋は、ベッドサイドに置かれたランプの光で柔らかなガラスの波を壁面にうつしている。壁に沿って置かれたベッドの端に立つレンブラントと、その脇の椅子に座る医師の男性、そして寝かされているスノウの姿。
「レンブラント! スノウは、スノウは大丈夫ですの!?」
リシテアの姿に驚いたレンブラントだったが、すがりつくように近づいてくる彼女を受け止めるように支えた。
「お話は、医師の方から聞きましょう。騒ぐとよろしくありません、一旦別室へ」
椅子に座っていた医師の男性も立ち上がり、両手を広げて一旦外にと促される。ベッドに寝かされているスノウを見ながら立ち止まっていたセフィライズもまた、レンブラントに押されるようにして外にでた。




