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55.赤い晩餐編 餌



「邪魔をするな!」


 ルードリヒが立ち上がりながら叫ぶ。セフィライズは震えながらスノウをゆっくりと床へ寝かせ直し、ルードリヒを睨む。その向こう側に、檻に入れられたタナトス化した人間を見た。

 血だらけのスノウと、化け物になった人間。

 冷静な判断ができないまま、スノウが死ぬかも知れないという恐怖心と、ルードリヒへの怒りで思考が止まる。


「どうして、こんな事を……」


 セフィライズは歯を食いしばり、怒りの衝動に耐えながら言った。

 ルードリヒから聞き出さなければいけない。何故、タナトス化した人間がいるのか、例の小瓶が原因なら、それはどうやって手に入れたのか。


「治るんだろ……? 私は聞いたんだ! アリスアイレス王国の治癒師が、治せるって。体の一部を食べさせれば、元に戻るって!」


 両手を広げながら懇願するように叫ぶルードリヒに対して、彼は無言で睨みつける。怒りで全身が逆立つような感覚と共に手が震えた。剣の柄に手をかけながらカタカタと音をさせて。スノウの苦しそうな息が耳に入るたびに、我を忘れてルードリヒに切り掛かりたくなる気持ちを必死に抑えた。

 どこからそんな話を聞いたのか。しかしそれを理由にしたとしても、平然と人の体を切り取ろうとしている。セフィライズは幾度となく、素材として、材料として、人ではない扱いを受けてきた。それは自身の生まれのせい。しかしスノウは違う。

 彼女は、普通の人間で、普通に生活をして、普通に笑って、泣いて。

 浮かんだのは、笑顔を向ける、彼女の姿だ。


「どうせ再生されるんだろう! お前も、そこの女も、人間じゃないから平気だろ!」


 人間じゃない。その言葉で、ぷつりと何かが切れた。


「貴様ぁッ!」


 考えるよりも先に剣を抜き、ルードリヒを殺そうと振り上げる。その太刀が、光の速さで首へと向かった。


「ヒィイッ!!」


「だめっ!!」


 スノウの声に、ルードリヒの首の、その直前で刃を止めた。それすらガタガタと震える音が聞こえ、いまにも首に触れそうな程に。


「殺したら、だめ、です……セフィライズ、さん。……殺したら、だめなんです」


 セフィライズは下を向き、ゆっくりと震える手でその剣を納めた。死の恐怖で腰が抜けたルードリヒがその場に崩れ落ちる前に、襟元の服を掴み引き寄せて睨みつける。


「その、話を……誰から聞いた……」


 セフィライズは怒りで声が震え、今一度頭に血が昇らないように唇を噛んだ。唇の端からうっすらと血が滲む。爪が食い込む程、拳を握りしめた。憤怒の色が灯る。恐ろしい程に冷酷な目に睨まれ、ルードリヒがガタガタと震え出す。


「この、この薬を、私に売った男だ! アリスアイレス王国で、同じようになった人間を、元に戻したって。そこの、その女が、身体を食わせて治したって聞いたんだ!」


 ルードリヒは震えながら笑い出し、狂人の表情のまま。胸ぐらを掴むセフィライズの手を握り返す。


「あんたも、あれだろ。体が、大量のマナになるんだろ。その女がいれば、再生されるなら母上を元に戻してくれ!」


 ルードリヒは当時の状況を絶望に染まった声で話す。こんな醜い姿になって、父親と使用人のほとんどを食い殺して暴れた。雇っていた傭兵達を使って閉じ込め、その後皆死んでいく。

 その話は、まるでアリスアイレス王国のツァーダの話と類似していた。


「薬を売った男は……」


「知らない! ベルゼリア公国のザンベル辺境伯の紹介だと言っていた! それ以外は知らない! なぁ、戻るんだろ。再生するんだろ。少しぐらいいいじゃないか。人助けだと思って」


 悪びれもしないその言葉に、襟を掴む手に力が入る。セフィライズは怒りのまま、気がついたらもう片方の拳で思いっきりルードリヒの顔を殴っていた。


 鼓動が早い、身体中が熱い。荒い呼吸を繰り返し、必死に冷静さを取り戻そうとする。こんなにも、自分自身を制御できない事など今までなかった。こんなにも怒りに震える事も、なかった。

 胸の奥から止まることを知らない憎悪と憤怒が、まだ体を縛り付けている。なんとか呼吸を整えるように空気を吸った。聞きたい事だけ聞ければ、もはやルードリヒには何も用事がない。

 セフィライズは手を離すと、ルードリヒが目の前で立つこともできず崩れ落ちた。それを気に留める事もなく背を向ける。横たわるスノウの前に跪き、体を持ち上げようと抱きかかえた。


「ごめんな、さい……」


 腕の中で弱々しく笑いながらスノウに見上げられ、抱きかかえる手に力がこもった。

 どこで間違えたのだろうかと思う。今思えば初めから、ルードリヒは何か含みのある話し方をしていた。言葉の端に、仕草に、態度に、違和感を感じていた。

 どうして防げなかったんだろう。どうして守れなかったんだろう。


「……スノウ、ごめん……。俺が、守る、から……これから、は……君を……」


 スノウはセフィライズを見上げながら、今にも泣きそうな顔をしていると思った。こんな表情をしている彼を見たことがなくて。身体中の傷が痛いというのに、何よりも胸が痛んだ。手を伸ばして、頬に触れたくなる。しかし、動かす程の力は残っていない。


「……逃がさない、逃がさない!」


 後ろでルードリヒが立ち上がる。セフィライズは襲いかかってくるかと思い身構えた。しかし、タナトスを閉じ込める柵へと走り、勝ち誇った表情で金属の鍵を見せつける。それが、ギィィと不気味な音を立てて開け放たれた。


「さぁ、食べるんだ! あいつと、その女を食えば元に戻れる! 母上、元に戻れるんだよ!!」


 手を広げ、タナトス化し怪物となったルードリヒの母親へと語りかける。解き放たれたそれは、もはやこの状況で殺す以外の選択肢があるだろうか。

 スノウを早く安全なところへ連れて行き治療を受けさせたい焦りと、ルードリヒへの怒り、タナトスへの対応で正常な判断がくだせそうにない。

 今一度、スノウを床へ寝かせる。剣を抜くべきか、そう思ったその瞬間。タナトスは断末魔とひどい金切り声が混じった咆哮を上げる。激しく荒ぶる音に、身を守るようにして体をすくめ、一瞬、目を閉じた。


「ぎゃああああ!! 助けて! 助けてぇええ!!!」


 次に目を開けたとき、タナトス化したルードリヒ自身の母親に腕を引きちぎられ、体を貪り食われる姿だった。セフィライズはスノウにその惨劇を見せないよう体を斜めに、彼女の視界を隠す。骨が噛み砕かれる音、粘度のある血液が溢れる音。その全てが異様なまでに薄暗く静かな部屋に響き渡った。


「もう少し、ごめん」


 次はこちらに来ると思った。前傾姿勢のまま、剣の柄に手をかける。











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