54.赤い晩餐編 粉砕
レンブラントが御者を務める馬車に揺られながら、ルードリヒの邸宅へ向かう。周囲は暗くなり、照明として使われている魔導人工物が点々としているも暗い。林の道に入るとさらに暗くなった。
外を眺めながら、どうするべきか悩む。迎えに、と言っても、もうかなり長い時間滞在しているのだから、食事はもしかしたら終わっているかもしれない。大切な会話を邪魔するのも気がひける。
「前で、待っているだけでいいんじゃないかな……」
独り言のように言ってみたが、レンブラントに同意を求めた言葉だった。
「リシテア様が、早くスノウを連れて晩餐会に来るようにとおっしゃっていましたよ」
「今晩は、私は不要だったはず」
「お心細いのでしょう」
確かに心細いところがあるのかもしれないと思う。しかし、だからと言って何故スノウまで連れて行かないといけないのか。
ゆっくりと馬車の速度が落ちていく。外には邸宅の庭を囲む柵が見えた。しかし、庭が少し暗い気がする。ルードリヒの邸宅もまた、今まで見てきた貴族の屋敷に比べれば明かりが少ない。目を凝らすと、庭はところどころ手入れが行き届いておらず荒れていた。
入口の門付近で馬車が止まると、セフィライズは降りずに周囲の様子を見る。守衛が見たらないのだ。侯爵であれば、門番ぐらい一人や二人立っていてもおかしくはない。
「妙に静かな邸宅ですね」
レンブラントもまた、その異様な雰囲気に首を傾げた。人を雇うお金がないとは思えない、国立教導院を任されているのだから。何故こんなにも荒れている印象を受けるのだろうか。
馬車から降り、門のほうへと向かう。黒い門の柵に手をかけ隙間から覗くもやはり人がいない。勝手に入るわけにはいかないが、かといって待っているとリシテアが怒るだろう。そもそも守衛がいないのであれば、来訪者は勝手に入る他ない。どうやって中の人を呼ぶのか。
「少し、行ってくる」
「お待ちしております」
レンブラントが頭を下げる。門の入口を押してみたがびくともしない。完全に閉ざされているのだ。セフィライズは妙だと思う。
守衛がいない時点で閉ざされているのは、わからないでもない。しかし、いま中にスノウがいるのなら、アリスアイレス王国から彼女を迎えに来るものがいるかもしれない可能性も、なきにしもあらずだ。他にも、夜に訪問する者はどうするのか。それが急用だった場合、伝える人間はおらず中に入れず、一体どうするというのだろうか。
セフィライズは少しだけ距離をとり、門へ向けて走った。高く飛び、柵に足をかけて登る。かなり慣れた手つきで軽々と人の三倍はあろうかという入口の障害を乗り越えて、反対側へすんなりと入り込んだ。
薄暗い庭を歩き、離れた距離にある屋敷の入り口へ辿り着く。数回、扉を叩いてみるも、しかし何の反応もない。
「ベッケンバウアー侯爵に用事があって参りました!」
大きめの声で問いかけてみるが、またも何も反応がなかった。普通なら、執事や使用人が対応するはずだ。入口の扉に手をかけると、ほんの少しだけ開いた。中を覗いてみるも、庭と同じく中も薄暗い。
大きな声で誰かいませんか、と声を出してみるが、本当に反応がない。
これだけの屋敷を維持するために最低でも三十人程の人手が必要だ。ルードリヒ本人が不在でも、夜勤も含めて数人は必ずいる。まるで廃墟に来ているようだと思った。しかし、しっかりと人が生活しているであろう雰囲気は残されている。
セフィライズは意を決して中に入る。扉を閉めて、広いエントランスを見渡した。その時、だった。
「きゃぁああ!」
遠くから響くその叫び声が、紛れもなくスノウの声だとすぐに理解できた。
「スノウ!」
どこから聞こえるのか、反響する声の出どころを考え走る。廊下を走り抜け、一枚の大きな扉を開けようとするも鍵がかかっていて開かなかった。
「やめ、痛っ! やめてください!」
その扉の向こうで、スノウの声が聞こえ思わず名前を大きく叫んだ。
「……セフィライズさん? だ、だめ……」
スノウの声とかぶさるように、狂人のようなルードリヒの叫び声も聞こえる。焦りながら扉を開けようとするも開かない。
彼は扉と距離をとり、腰に帯びた剣を抜いて息を整えた。体を低く構え、小さな声で魔術の詠唱をするとその力を剣に込める。刀身が白く輝き、それを扉へと振りかざす。目の前に固く閉ざされていた扉は、粉砕され吹き飛んだ。
扉の向こう、目の前に飛び込んで来たのは、スノウに馬乗りになるルードリヒが、今にも彼女へとナイフを振り下ろす、その瞬間だった。
「っ……! スノウ!!」
咄嗟に走り、セフィライズは体全身でルードリヒを押し退けるようにぶつかると、汚い声を上げ激しく横転しながら飛んでいった。
「スノウ、大丈夫か?」
明かりはあれど薄暗くてよく見えないまま、床にうずくまるスノウを抱き起こす。ぬめりと、伸ばした手に嫌な感触が伝わった。片手で彼女を抱きしめながらもう片方の手を目の前に持ってくると、手のひらには大量の血液が付着している。
一瞬、これが誰の血液かわからなかった。自分自身の血を幾度となく見てきた。だから、これは一体なんだろうかと。しかし、これは。
抱き起こした彼女を見ると、腕からも、脚からも、そして顔にも切られた跡がある。腹付近にはまるで泥が付着しているかのような錯覚さえ覚える程の大怪我。それほどに、スノウが血を流しているという事実が、現実とは思えなかった。
「……セフィライズ、さん……」
意識のあるスノウが、声を上げるも小さく、消え入りそうな程に、弱々しい。セフィライズはスノウの体を支えている手に、力がこもり、現実を理解して顔を歪めた。
手放そうと思った。当たり前のように隣にいる、彼女の事を。背を押そうと決めた、どんな決断をしたとしても。いなくなるかも知れないと、もう、一緒にいれないかもしれないと。
そう思った彼女が、永遠に、いなくなるかもしれない。




