17.コンゴッソの夜編 酒場
酒場の夜はすでに熱気を帯びていた。扉を開けば、笑い声と木製の椅子が軋む音が渦のように押し寄せてくる。
室内は驚くほど明るい。天井には魔導人工物の灯りが吊るされ、ろうそくや油ランプでは到底まかなえない光を放っている。庶民には手の届きづらい代物だが、その柔らかな白光は、訪れる者の影を優しく揺らしながら、夜の酒場をひときわ賑やかに彩っていた。
そんな光の下で、日焼けした腕をした冒険者や、鉄のように固い胸板を誇る猛者たちが、エールの満ちた大きなジョッキを掲げ、肩を揺らしながら楽しそうに語り合っている。ここでは、夜が更けるほどに本番が始まるのだ。
セフィライズは冒険者として髪と目を偽装し、黒曜の霜刃として端の席に座った。葡萄酒と川魚を丸揚げしたものを頼むと、周りを見渡す。探している男と、目があった。
「やぁ、黒曜君。この酒場に来るなんて、珍しい」
ギルバートはセフィライズと目が合うやいなや、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。騒ぎの輪にいた仲間へ軽く手を挙げて断りを入れると、エールの入ったジョッキを片手に、ふらりとこちらへ歩いてくる。
へらへらと笑いながらセフィライズの隣に腰を下ろし、両腕を広げて言った。
「この酒場は、俺たちのホームだ!」
陽気に肩を叩かれ、周囲の客もつられたように「おう!」と声を返す。酔いの回った者たちの頬は赤く、テーブルには空きかけの皿や飲み残しの酒が並んでいた。どうやら、彼らはすでに何種類もの酒と、腹を満たす料理をたっぷり味わったあとらしい。
「どういう風の吹き回しなのかな?」
「……ギルに、会いたかった」
思いがけない言葉に、ギルバートはきょとんとした顔をして見せた。普段はどこか距離を置く彼が、急に柔らかい態度をして見せたのだから無理もない。
「どうしたの、急に」
「何か、大きな仕事は入っているか?」
「え、あうん。もしかして噂になってる?」
ギルバートは照れたように笑っている。アリスアイレス王国に帰る貴族の護衛を受注してると彼は話した。
アリスアイレス王国といえば、リヒテンベルク魔導帝国と同等かそれ以上の大国である。抜きん出た軍事力、魔鉱石が豊富に採れる山脈を抱え、政治や経済においても影響力は大変強い。ただアリスアイレス王国が存在するのは、極寒の大地。以前はそうでもなかったのだが、壁が出来てから年々気候が悪くなっているようだ。氷の中に閉じ込められた狼とも呼ばれるほど。もしそうでなければ、彼らの国はもっと力を持っていただろう。
「いや……」
セフィライズは、ギルバートがこの依頼を受けていること自体は知っていた。レンブラントからの報告で、すでに耳にしていたのだ。
本当に確かめたかったのは、依頼の有無ではない。しかし、どう切り出せばいいのかわからず、セフィライズは言葉を探すように口を動かす。
「どう……」
「どう?」
「いや……」
「何?」
セフィライズの言いたい事がわからないギルバートは、しばらく彼からの発言を待っているようだった。
「うーん、いやでもほんと、内容も報酬もいい最高の仕事が回ってきて嬉しいよ」
その言葉を聞いて、セフィライズはほっとした。アリスアイレスのような大国からの誘いを断るのは、誰にとっても勇気のいることだ。だからこそ、彼が無理をして受けたのではないかと、ずっと心に引っかかっていたのだ。その事を確認しようとしていたのだが、よい言い回しが思いつかなかったのだ。
「よかったら黒曜君も参加する?」
ギルバートの提案に、セフィライズはすぐさま拒否した。まさかその依頼を出したのが目の前にいる人物だと、彼は想像もつかないだろう。
セフィライズが言葉を飲むように葡萄酒を飲むものだから、ギルバートは不思議そうに首を傾げた。
「何か他に、仕事が入っているのかな?」
いや、別に……と言葉を濁し、葡萄酒をもう一口あおった。セフィライズが目を合わせないものだから、ギルバートはくすりと笑った。ギルバートは嘘が苦手だね、と笑っている。その声音にはからかいよりも、どこか優しさが滲んでいた。しかしそれ以上は詮索しないと決めたようだ。ギルバートが席を離れようとしたその時、酒場の扉が開いた。普段であれば客が入ることなど誰も気に留めないはずだ。横目で確認する程度だろう。
しかしその客は、その場にいた全員にとって驚く人物だったからだ。
その酒場に入って来たのは、スノウだった。
ギルドでスノウの姿を見たものはもちろん、何も知らなかった者も驚く。アリスアイレス王国の者とすぐわかる服を身に纏っている、一般的には珍しい金色の髪の少女が立っているのだ。日の落ちた、夜の酒場に。
「カイウスさん……!」
よく通る高い声、セフィライズは彼女と視線が合った。その瞬間。彼女の手を引いて、酒場を出た。




