43.カンティア宴会編 ダンス
スノウは周囲を見渡すのをやめ、自身の足元を見た。長いドレスで足先は見えない。深い赤色がとても綺麗で、丁寧な手仕事で細やかな刺繍が散りばめられている。身分不相応だとはわかっている。だからなおさら切なくなった。常に胸をはって、セフィライズの隣に立てるようになるのは、一体いつになるのだろうか。
「スノウさん」
声をかけられ顔を上げると、そこにはルードリヒが立っていた。驚いて手を胸に当て、慌てて敬礼をする。しかし隣にいたレンブラントが、違いますよ、と一言かけられて気がついた。今のは、正装を着ている時の敬礼。ドレスを身につけている時の挨拶は別だ。
「失礼しました、ルードリヒさん。ごきげんよう」
両手でドレスの端をつまみ持ち上げる。お辞儀をし体を低くして見せ、優雅に見えるように頭を下げた。
「いえいえ、大丈夫ですよ。もうすぐ音楽が流れますので、よろしければ私と踊って頂けませんか?」
そう言って、目の前で軽くウェーブする長めの茶髪を揺らしながら、ルードリヒは跪いた。スノウに向けて手を差し出す。
スノウはどうしようとレンブラントを見たが、しかし、侯爵からのダンスの誘いを断るのは大変失礼だ。
「あ、あの、あの……わたし、なんかと、ですか?」
「はい、私はあなたが良いのです。踊ってください」
「わかりました。よ、喜んで……」
しっかり習っていたとはいえ、やはり知っている通りにはできない。ルードリヒにエスコートされ、ダンスフロアへと誘われる。周りから侯爵が連れている人は誰だというざわめきが起きた。こんなすごい人が、どうして私なんかと踊るのかとスノウは思う。緊張しすぎて手と足が同時に出る程、震えながら歩いた。
「安心してください。大丈夫ですよ。私があなたを守ります」
ルードリヒに声をかけられ顔を上げた。茶色の切長の瞳、どこかで見た彼の瞳と似ている。あれは、おとりとして、酒場に入ったときだ。茶色に髪を染めていた彼が、とても懐かしいなと思って自然と微笑んでしまう。
「では、失礼……」
そう言って、ルードリヒはスノウの腰に手を回した。恥ずかしくて声が出そうになる。初めて踊った時は、散々だった。今回は、セフィライズではない。
悪い印象を残す訳にはいかなかった。スノウは今、アリスアイレス王国という看板を背負っているのだ。そしてセフィライズの部下として、彼の印象もスノウ自身で左右されてしまう。頑張るぞと頷いた。
音楽が始まり、スノウはゆっくりと相手に合わせて踊り出した。そんなに緊張していない。セフィライズと踊る時よりも気楽に、そして上手にできている。とても不思議だった。優しげな笑顔を向けてくれるルードリヒの顔を見る。これが彼なら、きっとこうはいかなかったと思うと、顔が赤くなった。
「スノウさん、実はあなたにとても大切なお話がありまして」
踊りながら、ルードリヒは囁く。会話をしながら踊る事などできるだろうかと、スノウは不安になりながら、なんでしょうか、と声をかけた。
「実は、私は……」
ルードリヒが言葉を続けようとした、その彼の向こう側に、一瞬セフィライズが見えた。広い会場の端、大きな花瓶に添えられた花々の影に隠れた位置で、彼が胸を強く押さえている。
その姿を見て、スノウは思わずルードリヒを引き剥がすように手で押してしまった。
「ご、ごめんなさい。あ、あの。あのちょっと……失礼しますっ!」
驚いているルードリヒをよそに、スノウはドレスの裾をたくし上げて走った。周りが騒めきスノウを見ているもお構いなしだ。目に焼き付いた、彼がいた場所まで人をかき分けて辿り着くと既に姿はない。見間違いだっただろうか、ならばそれでいい。心配でスノウは当たりを見渡した。
セフィライズの姿を探す。しかし会場内のどこにもいない。壁に手を当てながら歩くと、扉の端に当たり少し動いた。その隙間から廊下を覗くと、すぐそこでうずくまるセフィライズを捉える。
「セフィライズさん!」
ドレスの裾に引っかかりそうになりながら駆け寄り、彼の隣に膝をついた。肩に手を回し、顔を覗こうとする。
「スノウ。ベッケンバウアー侯爵と、ダンスをしていたんじゃ、ないのか」
まだ痛みが浅いのか、胸を押さえながらも声はさほど震えてはいなかった。
「はい、でも……」
「すぐ、戻るんだ。ちゃんと、謝罪を……ッ……」
息を呑み、声を押し殺すような吐息が漏れた。腕で支えていた体が落ちそうになり、壁に体を擦り付けるようにして崩れていく。
「でも、でも今は……」
「何も、できない、のなら……意味がない、だろう」
意味がない。セフィライズの言葉が胸を刺した。そうだ、意味がない。でも、一緒にいたいのだ。心配で心配で、何も出来ないかもしれないけれど。
「……教えて、ください。教えてください。何も出来ないかどうか、聞かなければわかりません!」




