33.花粧祭編 仄月の夜
再び手を繋いで歩く。先ほどの、周りに合わせた方がいいだろうか、という彼の言葉が胸をついた。こうして歩いているのはきっと、周りに合わせている、だけなのかもしれない。
スノウは色々考えてはいけないと首を振る。
だって、彼は知らないのだから。わたしの気持ちを、知らないのだから。
「少し、お腹が空きましたね」
本当に子供の手を引いているかのように、前と後ろに分かれているかのように。そんな歩き方だから、周りと本当に一緒ではない。わかっている。
スノウは息をしっかり吸ってから、いつものように声をかけた。
何も気にしていない、何も感じていない。大丈夫、わたしとあなたは。
振り返った彼はいつものように柔らかな表情で、考えながら頷いた。
「何か、食べに行こうか」
立ち止まり、いつも少し下を向いている彼の瞳の中は、いつもと違う色だけれど。
「はい」
心の中に、しっかりしまっておく為に。今を、大切にしようと思った。
日が暮れるまで、ただなんとなく過ごした。本当に、会話はぽつりぽつりとしかない。それでもいい。いや、それがいい。
太陽が地平線の向こう側に隠れてしまうと、周囲の空気がヒヤッとする。少しだけ体を抱いて、あたりを見渡した。人が流れるように街の外へ向かっていく。
建物が無くなり、平原の手前。お祭りのスタッフが、人々に仄月を手渡している。まだ太陽が隠れていても、西の空は紫と薄い赤、橙に一部染められていた。
暗くなるから、またはぐれないようにとセフィライズが強く手を引いてくれる。
「足元、気をつけて」
彼のその言葉を、邪神ヨルムの祭壇に向かう時に聞いた。しかし、別のどこかでも聞いた気がする。どこだろうかと思う。同じ薄暗い場所だっただろうか。足場の悪いところを、手を引かれた時に、言われただろうか。
集まった人たちが、用意された多数のろうそくを取り囲む。次第に雲へと反射して広がっていた太陽の微かな光も消え、本当の夜がやってきた。合図を受けたのだろう人々が一斉に仄月の茎に火をつけ、明かりが灯る。手を離すとゆっくりと空へと放たれ広がっていった。
仄月を受け取り、人だかりから少し離れた二人は、その美しい景色を見上げる。スノウは自身の持つ仄月に火を灯せないでいると、彼が小さな声で素早く詠唱をし、指の先にのる程の炎を呼び出してくれた。
スノウは仄月の茎を火に近づけると、すぐに光が吸い込まれるかのように茎を登っていき、袋の部分が柔らかな光に包まれる。手を離すと、それはふわふわとゆっくり夜空を登っていった。セフィライズの仄月もまた、スノウのものと共に空へと登っていく。
多くの人の灯火に紛れ、次第に二人の仄月は見分けがつかなくなっていった。
闇夜に輝く淡黄色。セフィライズは空からスノウへと目を向けると、彼女は必死に見上げながら目を輝かせている。その翠色の瞳に、無数の光が映って煌めいていた。思わず、じっと見つめてしまう。
思い出すのは、初めてあった時の彼女だ。不安と恐怖に支配され、自ら全てを諦めていたように見えた。それでも、心の中に何か強く輝くものを秘めているように感じた。
気が弱そうにしているが譲らないところは譲らない、芯の強さ。その信念みたいなものは、とても強い光を放っている。何度その光を、眩しいと感じながらも、ありがたいと思っただろうか。
いつから、隣にいるのが、当たり前だと……感じるようになっただろうか。
その疑問が頭に浮かんだ時、セフィライズ自身とても驚いた。当たり前、だなんて。なんという事を思ってしまったのだろうか。
胸にそっと手を当てる。心臓が痛んだわけではない、心のどこかを掴まれた気がしたからだ。しかし、触れた手のひらに感じたのは、皮膚の上にザラザラと張り付いた腫瘤。その感覚は、一瞬にして彼を現実へと引き戻した。
「痛みますか?」
胸を押さえるセフィライズに気がついたスノウが、俯く彼を覗き込む。
「いや……」
痛いのは、どこだろうか。
未来が描けない絶望なんて、とっくの昔に感じなくなってしまった。だというのに、今、この瞬間。仄月が夜闇の空に広がって、そしてその灯火が、ゆっくりとひとつひとつ消えていくのを眺めながら。
もう少し。
今ここにある、当たり前を、もう少し。
延長させたいと、思ってしまった。
空の上で灰になって消えていく仄月は、世界の儚さを表しているように見えた。




