32.花粧祭編 会話
木陰に座ると、さざなみのような音と風が気持ち良い。芝生の上も柔らかく、スノウの隣で彼は自然と寝転がった。会話もない、静かな時間。でもこの時間が、スノウはとても好きだった。
沢山話さないといけないと、少し前までは思っていた。会話を途切れさせたら失礼かもしれない。何か質問をしなければいけない。今思えば、気を使っていたのかもしれない。
しかし、一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、一緒にいるだけ、という時間のありがたさが身に沁みた。無言でもいい。会話なんて、しなくてもいい。ただ、隣に座って、ただ一緒にいて、同じ景色を見て、同じ空気を吸う。
それがとても、落ち着くのだ。それだけで、とても安らぐのだ。
スノウはしばらく周辺を眺めていた。行き交う人々は楽しそうにしている。持ってきたお弁当を広げている家族、花を指差して他愛のない会話を楽しむ老夫婦、両手を繋ぎながら体を密着させ人目もはばからずに戯れ合う恋人同士。
セフィライズに視線を向けると、目を瞑っていた。やはり、少し心配になる。目を、覚さないのではないか、と。
「寝てしまいましたか?」
少し前の彼女なら、起こすことはしなかった。なのに今は、恐怖が勝つから。
「起きてる」
セフィライズは目を開けて、上体を起こした。木々のゆらめきから視線は彩鮮やかな世界に変わる。穏やかな時間を過ごしていると、胸が騒めきそうになる。考えたくもない事を。彼は心臓に手を当てそうになって、止めた。スノウに何も聞かれたくなかったから。
彼らの目の前に座る男女が、お互いの腰に手を回しながら今にも顔を近づけて口づけしようとしている。何度も腕を動かして、お互いの体を確認するかのように撫で合っていた。
スノウは見てるこちらが恥ずかしいと思った。目の前で繰り広げられる男女のふれ合いは、この広場ではどこを見渡しても多くの者たちがしているのだけれど。
「多いな……」
彼が小さな声で呟く。何の事だろうかと思うと、膝を立て腕を置いた状態でちらりと見られた。
「わかってはいたけど、ここはそういうところでもあるから」
そういうところ、というのは多分、スノウが感じたものと一緒だろうと思う。恋人同士が、来るところ。
段々と顔が赤くなる。両手で頬を抑えながら前を向くと、しっかりと目の前に座っている男女がキスをした瞬間を見てしまった。頭の中で、わあああ、という自分の声が反響している気がする。横をみると、彼もまたその光景を見たのだろう。ただ真っ直ぐ前を向いていた。
「周りに合わせた方がいいだろうか」
見たこともない、いたずらをする子供みたいな微笑でスノウへ視線を向けた。
意味を、理解するのはあっという間で。
周りに合わせる、というのはつまり、そういうことで。ということは、つまり、周りがしていることをするということで。だからそれは、どういうことかというと。それは。
スノウがあからさまに取り乱している。それを見て、セフィライズは少し吹き出して笑ってしまった。
「冗談だよ」
苦笑している彼を尻目に、顔が上げられないほど赤面してしまう。両手で頬を押さえるだけでは足りない。
冗談が言えるぐらい意識もされていないのだろうか。スノウの気持ちがバレていないという事だから、それはとてもいい事だというのに。でも、胸が痛くなるのだ。
知られたくない。このままでいい。そう思っているのに。
気づいてもらいたい、伝えたい。もっと、もっとが、欲しくなる。
横で立ち上がり、大きく体を伸ばした彼が、座って下を向くスノウへと手を伸ばす。
「行こうか」
どこへ、という言葉がない。それでも、いつでも、どんな時でも。ふとした瞬間に言われるこの言葉がとても好きだった。気遣いだとわかっている差し出された手を見るのが好きだ。
スノウは顔を上げて、いつもと違う髪と目の色の彼を見る。
好きです、と……言えたら。どれだけ楽になれるだろうか。
でもその言葉は、今を楽にしてくれるけれども。この先を、辛くする言葉だ。




