25.燐光の谷編 心臓
スノウは大きく深呼吸を繰り返し、先ほどの事を一旦胸にしまうように努力した。あぐらをかいて座っている彼に、四つん這いで近づいて、手を伸ばす。彼が衝撃を受けていた、その心臓の腫瘤を指差すように。
「これは……どう、されましたか?」
「どう、とは……」
セフィライズは困惑しながら服のボタンを留め直し、隠す。どこまで見られたのか、戸惑いながら俯いた。
スノウは今までの、彼らに関する全てのやりとりを思い出していた。シセルズの含みのある言葉、生まれだけではない、逃げ出したい程の何か。アリスアイレス王国で、シセルズが問い詰めていた、スノウに言えない言葉。その全てが、彼のこの胸の異変と関係があると感じるのだ。そして同時に、理由のわからない恐怖を感じる。
聞きたい、彼の口から、彼の言葉で。話してくれない、見せてくれない、真実を。
「最近、ですよね?」
セフィライズは、どう答えればいいからわからなかった。自分でも何かわからないのだ。いや、本当は一体何が起きているのかわかっているのだけれど、どうして今、こうなったかがわからない。
ただ、始まった、という事だけ。今までずっと、先送りにされていたその時が、ついに。
「……昔から、あるよ。ずっと昔から」
言えない。スノウには言えない。だから彼は、精一杯の、嘘をついた。
「そう……なんですね」
彼が嘘をついたことぐらい、わかっていた。スノウは、わかっていてそれを肯定した。視線をそらし、言いにくそうにして、そんなの誰が見たって嘘だってわかる。わかっているのに。
気がついたら、涙が溢れた。どうして教えてくれないのだろう。
わたしでは、ダメですか。わたしでは、お力になれませんか。
わたしは、あなたに。何もできませんか。
彼女が涙を流しながら、真っ直ぐにセフィライズを見る。泣き止もうと目を擦りながら、必死に笑顔を作った。それぐらいしかできないと思ったからだ。笑顔でいることしか、できないと。
「大丈夫、大丈夫です」
脈略なんてない。笑顔で発せられたその大丈夫は、彼に向けた言葉だったのか。それとも、スノウ自身に向けた言葉だったのか。本人にすらもう、わからない。
「……ごめん、スノウ」
泣きながら笑っている彼女が、何故かとても傷ついているように見えた。その理由がわからないまま、ただ謝る事しかできなかった。セフィライズは自身の異常な胸の腫瘤を掴むようにして触れ、苦しげに俯く。
何も、言えない。
彼女には、何も、関係のない事だから。
「少し、休むよ……一人に、してもらってもいいかな」
「……わかり、ました」
精一杯の笑顔を見せて、スノウは俯きながら外にでた。走って、走って、どこにも行くところなんてないのに。青白い光が、暗闇の中を漂っている。両手を伸ばし、その灯火を掴もうとして、それは儚く消えた。
スノウが出て行ったテントの中は静まり返っていた。セフィライズは服の上からしっかりと自身の胸を、心臓の位置を確認する。
触れると硬く、起伏している。目を閉じると、胸の中にある、もう一つの何かが、大きくなっている気がした。自分以外の物が、体の一部を占領している感覚。しかし手足はしっかりと動くし、思考にも問題はない。ただ、確実にいるのだ。そこに何かが、いる。
ずっと、終わりたいと思っていた。というのは、本当でもあり嘘でもある。シセルズの指摘通り、ずっとずっと、逃げていたから。現実に目を向けるのをやめていたから。抗う気持ちなんて持ち合わせてはいない。だから、これでいいんだ。これでいいんだと、心の中で繰り返した。
これが、わかっていた未来。
目を閉じて、息を深く吸って。
ふと、スノウの顔が浮かんだ。どうしてなのか、わからない。今まで生きてきた中で、彼女と過ごした日々は短いのかもしれない。
ただ、沢山のその瞬間が、こちらを見て微笑む表情が、まるで泡のように湧いて消える。
話しかけられた多くの言葉が、風のように頭の中を駆け巡っていく。
どうしてだろう。どうしてこんなにも。
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