21.燐光の谷編 お風呂
今が昼なのか夜なのか、スノウには全くわからない。濡れた服を着替え、しばらくするとすぐに夕食の時間になった。リシテアを守るための小隊とその隊長、リシテアの女性従者四人とミジェリー、そして全体の進行管理をしているレンブラント。大勢で食べるのも、結構楽しいものだ。スノウは無意識に彼を探していた。レンブラントの隣で、岩に腰掛けながら配られた食事を一般兵と同じように食べている。
少し懐かしい。ギルバートと共に、一緒に野営を準備した彼は、とても手際が良かった。それでいて全く、自身の立場や権力を振りかざす素振りがない。今も、本当ならリシテアの騎士という立場なのだから、偉そうにしてもいいし、リシテアのように用意された椅子に座って、丁寧に食事をとってもいいはず。だというのに、平然とそのあたりで食べている。
「スノウ! お食事が終わりましたら、一緒にお風呂を頂きましょう!」
リシテアが大声で言うものだから、照れながら頭を下げる。隣でリシテアの世話をしているミジェリーが怪訝な顔をしているがお構いなしだ。
「わたくしとスノウと二人ではいりますからね! あなたたちは覗いたらダメですのよ!」
食事をしている男性兵士に向け、指差して笑う。全員が、絶対にそんなことはしなのだけれど、少しだけどきりとしていた。
「ダメです、危険です!」
ミジェリーがすかさず反対の意思を示すが、リシテアは折れるどころか勢いよく立ち上がる。
「では、護衛をつけたらいいじゃないの! セフィライズ、騎士なのだからあなたが護衛につきなさい!」
名指しされて、食事をとりながら彼はため息をついた。こうなってしまっては誰もリシテアを止めようがない。
満面の笑みで食べ終わった彼女は、スノウの元へ走ってくる。行きましょう! と声を出して連れて行こうと引っ張った。それをミジェリーが必死に止めている。どうやら彼女も一緒に行くと言っているようだった。
再びため息をついたセフィライズは、食事中に腰から外して岩に立てかけていた剣を手に取る。カイウスから貰った、セフィライズから見れば酷い見た目の剣を抜いて軽く振り、取り回しを確認した。そういば一度も抜ききったことがなかったな、と彼は思う。
「ほら、いくわよセフィライズ! 早く来なさい!」
リシテアの方は、ミジェリーも入れて三人で行く話にまとまったらしい。大声で呼ばれて、仕方なく歩きだした。先程の湖まで行く途中、後ろから小走りでレンブラントが追いかけてくる。手にはタオルを抱えていた。
「予備が必要でしょう」
そう言ってレンブラントも一緒についていく。時計を持っているのは唯一彼だけ。セフィライズは長く付き合わされるはめにならなさそうだと、ほっとした。
湯がほの明るく光っている。温泉まで到着するとリシテアは早速服を脱ごうとした。セフィライズがそれを静止し、周囲を歩いて地面を確認する。ベルトに装着されている小型のナイフを取り出して、いつものようにためらいなく左の掌を切った。リシテア達が入浴するであろう位置を中心に、円を書くように自身の血液を付着させていく。再び戻ってくると、彼はその左手を地面につけた。
「我ら、世界を創造せし魔術の神イシズに祈りを捧げ、穢れし脅威より我らを守護する聖域となれ。今この時、我こそが世界の中心なり」
彼の言葉で付着した血液が柔らかく暖かな光となって周囲に溶けていく。燐光の谷に満ちる青白い可視化されたマナとは違う、優しい色が全体を包み込むように広がり消えた。詠唱を終えた彼は左のてのひらを圧迫しながら戻ってくる。
スノウは、声を、かけようかと思った。けれど行ってしまう彼を、呼び止められなかった。
セフィライズはスノウの横を通り過ぎ、ちょうど死角になりそうな大岩の方へと歩いていくと、それを背もたれにして腕を組む。レンブラントも湖から死角になるようにセフィライズの隣へ移動した。
「絶対に、こちらを見てはいけませんのよ!」
リシテアは大きな声を上げながら服を脱ぎだした。ミジェリーが見張るように仁王立ちで大岩と湖の間に立っている。
スノウも静かに服を脱ぎ、腰のベルトに手をかける。カチャカチャと音をたてながらベルトを外し、ゆっくりとパンツを脱いだ。スルスルと布が肌の上を滑って落ち、それをまとめて丁寧に畳む。
「スノウの下着の色が気になっているのではなくて?」
リシテアが湖へと足をつけながら、大岩の後ろにいるセフィライズに大声で問いかける。しかし返事がなく、つまらないといった表情で彼女は顔を湯につけた。
「と、リシテア様が申しておりますが?」
大岩の裏でレンブラントは黙って腕を組み目を閉じているセフィライズに聞いてみる。ゆっくり目を開けた彼が、どうでもよさそうな顔で見返した。
「どう答えればいいかわからない」
「ふふっ、でしょうね」
レンブラントが珍しく面白そうに笑う。年齢を感じさせる肌のシワが、口角と目尻に集まった。
「変わられましたね」
「そうかな」
「ええ、とても。変わられましたよ」
レンブラントは目を細めて昔を懐かしむようにセフィライズを見る。彼がとても小さな頃から知っているからこそ、その変化が眩しく見えた。そういえば、最初に彼が名前を発し、呼ばれたのはいつだっただろうかとレンブラントが思う。
「昔のあなた様は、とても生きているようには見えませんでしたからね」
「……」
セフィライズは再び目を閉じた。昔を思い出してみると、自分でもどうだったかよくわからない。感覚が鈍く、世界が黒く見えた気がしていた。何も聞こえないし、何も感じないような。何かに閉じ込められていたかのような世界。
「一番変化を感じていらっしゃるのは、シセルズ様でしょうね」
「まぁ……確かに」
セフィライズは兄の話題を振られてふと思う。そういえば、昔はそんなに、兄という事を必死に伝えようとはしていなかった。最初の頃は、本当に他人。自分に顔が似ている他人が、そこに立っているだけだと。そしてそれは、シセルズもそう、思っていたに違いない。
いつから、あの人はあんなに、自分の事を気にかけてくれるようになったのか。その始まりがなんだったのか。今となっては聞くこともできない。




