16.カンティア移動編 苦手
伝えるか、伝えないか。得体の知れないそれが、急に弟の体を使って話しだしたことを。シセルズは今でも、一言一句覚えている。嘲笑し、黄昏の灯火を秘めた、全く別人の目で見下された、その時のことを。
「死んでほしくない」
はっきりと、真っ直ぐに目を見た。心から、思っている事を。
セフィライズはシセルズの真剣な眼差しを見返すことなどできず、自嘲する表情を見せる。
「俺は……ずっと」
ずっと、終わりたいと、思っていたよ。そうつなげたら、きっと殴られると思った。だから、セフィライズは言葉を止めた。
そんな事を口に出したところで、一瞬で終われたはずの人生に、今も見苦しくすがって生きている。ただただ先延ばしにしている。未来を、何も描かないまま、浪費して。
今を、無駄にして生きている。
「俺が、必ず。約束する、必ずだ。……抗ってみせる」
これが、俺の人生をかけた全てだと、シセルズは強く思う。滑稽だと笑われた記憶が抜けない。それがセフィライズの姿をしているのだから、なおさら腹が立つ。まるで自身の弟が、無駄なことをして、と嘲ているように感じるのだ。押し付けなんだって、言われている気がするのだ。
最初はなんだったのか、シセルズはもう思い出せない。ただ、最初に手を差し伸べた時の弟が、人間の見た目をした何かだと思ったのを、今でも強烈に覚えている。感情や常識や、人間性のほとんどが欠落しているように見えた。こいつを人間にしたいと思ったのがいつだったのか、もうわからない。どうしてそう思ったのかも、もう忘れてしまった。
ただ、多分。シセルズは思うのだ。これは自分自身が、何者かになりたかっただけなのだと。それが、たまたまセフィライズの兄という、何者かだったという事を。
押し付けでもいい、一人よがりでもいい。踏み出したのは。
少しでも、未来を描いて生きてほしい。少しでも、人らしく生きてほしい。ずっとそう思って、そうあって欲しいと行動してきた。そしてそのくだらない運命を、全力で否定してやると強く思う。
目を閉じて、今まで心を砕いてきた、全ての思い出を懐かしく思った。
出発の朝。スノウは指示された馬車に乗り込むと既にセフィライズが中にいて、外の景色を眺めていた。いつものようにおはようございます、と声をかけると、彼もまたスノウを見て軽い会釈をしながら返事をくれる。
この馬車は御者以外は二人だけしか乗らない。残りは全て荷物で埋め尽くされていた。スノウはコンゴッソでセフィライズと二人で乗った時を思い出す。
「いやよ、わたくしはこちらに乗ります!」
外でリシテアが叫んでいる声がする。スノウは小窓から顔を覗かせると、真下に彼女がいた。
「あらおはようスノウ! 聞いてくださる? 私にこっちの馬車に乗れって言いますのよ!」
リシテアが指差すのは、並んだ馬車の中で一番豪華な作りをしている、彼女専用の客車だ。
「こーんな恐ろしい顔をしているミジェリーと一緒だなんて、息が詰まりますわ! わたくしはスノウと乗りますから。あなた方はあちらに乗ればよろしくてよ」
リシテア専属の女性従者四名が困惑している。リシテアは妨害が入る前にと、セフィライズ達がのる馬車の扉を開けて、さっさと乗り込んできた。
「おはようスノウにセフィライズ。思ってたより狭いのね。スノウ、隣よろしいかしら!」
スノウは少し奥に詰め直して、隣の席を広く開ける。嬉しそうにリシテアが座ると、満面の笑みを浮かべて二人を見た。
「あら、セフィライズ。今あなた、うるさいのが来たと思ったでしょう。顔に出ていますわ」
指摘された彼は、確かに物凄く面倒臭そうな顔をしていた。何せリシテアはとてもおしゃべりで、ひっきりなしに何か話している。スノウと二人なら、静かな時間の中でぽつりぽつりと会話するだけで済んだかも知れない。ため息の一つぐらいつきたくなるのは当たり前だと思った。
案の定、出発してからというもの、ほとんどリシテアが話していた。真っ白な雪の大地を移動する馬車は、やはり少し進みが悪い。何もしなくていい、何もすることがない。それだけで外を見るのに飽き飽きしているリシテアが、暇を持て余してずっとしゃべっている。
内容は大したことがない、自身の兄の事、貴族の噂話、同年代の友達のこと。それをスノウは黙って、たまには相槌を打ったり質問したりを挟みながら聞いている。よくもこんなに長い間、リシテアの会話に付き合っていられるものだな、とセフィライズは関心していた。
「あなたも会話に混ざりなさい、セフィライズ」
「遠慮致します」
会話に入るぐらいなら聞き流して、外を眺めている方がましだと思う。その態度が、リシテアには気に入らなかったらしい。
「スノウ知っていまして? セフィライズはルバーブが嫌いなのよ」
「嫌いではありません。苦手なだけです」
「それを嫌いといいますのよ」
すかさずリシテアがセフィライズを指差し、勝ち誇った顔をしてみせる。その横で、スノウは知っていました、と言いながら笑った。
「あら、なぜ知っているのかしら?」
「以前、セフィライズさんのご自宅で、食事を頂いた際に……」
「あら! あなたたちもうそんなところまで進んでいますの?」
「誤解です」
一人で盛り上がるリシテアに、ため息をつきながらセフィライズが訂正に入る。この話題を変えたいと思ったが、いい案が思いつかなかった。リシテアは聞いても答えないであろうセフィライズをおいて、スノウにどうだったの? 何があったの? どうしてなの? と詰め寄る。スノウも少し、解答に困っている様子だった。




