12.出発準備編 言葉
なんだか少し気まずい。スノウは真横に座る彼の方を見れないでいた。
明日から、カンティアまで約十日、滞在は十二日前後、そしてまたアリスアイレス王国に帰ってくるまで約十日。ずっと一緒にいるのだ。いや、もちろん現地に到着すれば、祝賀までは自由が許されるだろうが、しかし。
「さって、お前らがいなくなったら、俺もさみしーわ」
「別に、いつもいないようなものだと思うけど」
「あー、最近は遠くに出てなかっただろ?」
「まぁ……確かに」
スノウがメニューを横から差し出してくれる。それをセフィライズは受け取り、何気なく眺めた。彼女がいる事が予想外で、彼自身もどうしていいかよくわかっていない。
「髪、だいぶ伸びましたね。切って行かれないのですか?」
スノウが既に鎖骨より下、胸元まで伸びた彼の髪を見ながら言う。祝賀から戻ってくる頃には、さらに伸びてしまうだろう。
「ああ、うん。確かに。切ってもらっても、いいかもしれない」
「いや、切るな」
セフィライズの言葉にすかさず反論したのはシセルズだった。とても言いにくそうにしながら、両肘を机について手で顔の半分を隠し、視線を逸らしている。
「何かの、役に立つかも知れねぇから……」
シセルズの含みのある言葉に、怪訝な表情をして見せる。しかし、セフィライズは何も言わず、言葉を飲み込んだ。
「……わかった」
いつもと雰囲気の違う自身の兄が、何かを隠しているように感じた。セフィライズは横に座るスノウを一目見る。今ここで、シセルズにあれこれ聞くべきか迷った。
「お前、ほんとに体は、何もないのか?」
「もう、四ヶ月も前だ」
こんなにも心配性だったかとセフィライズは首を傾げた。
確かに、全くないと言えば嘘になる。自身の手を持ち上げて見ながら思う。何か、胸の中で、心の中で、自分ではない何かがいるのだ。それが意思を持っていたりするわけでも、体を支配しようとしてくるわけでもない。確実に、そこにいる。今までには無かった感覚だ。確かにそこにあったのかもしれないが、意識などしていなかった。
しかし今は、常に。
それをどう説明していいかわからない。だから、何もないのか? に対する答えは、本当に、何もない。そう答える事しかできない。
「いや、そうじゃない。そうじゃ……お前、俺になんか、隠してるだろ」
見た目には何も変化がない。言動にもおかしなところはない。ただ思い出すのだ、あの得体の知れない男との会話を。セフィライズの顔をして、全てを見透かし嘲るように笑う姿を。
普通の人間ならば、たとえ白き大地の民という生まれだったとしても、あれだけ大量のマナを消費し、死んでいてもおかしくない。だというのに、目の前の弟は変わらない姿でいる。
あの、何者かもわからない奴が、生きることを手助けしたのか。それとも、全く別の、もう一つが出てきたのか。死を免れる為に、今まで眠っていたものが目覚めたのではないか。そう疑っていた。
「……それを言うなら、兄さんだって隠していること、あるよね?」
「……お前がスノウちゃんに隠している事に比べたら、大したことねぇよ」
二人が段々と険悪な雰囲気になっていく最中、唐突に名前が出てきてスノウは顔を上げた。二人はお互いに真っ直ぐ見つめあって黙っている。どう、声をかけていいかわからないまま静かに黙っていることしかできない。
「なぁ……ちゃんと、言えよ。今、ここで」
シセルズは、結論を急いでいる事を理解していた。スノウが自覚してはいけない言葉を、自らが言わせてしまった事が今でも胸にひっかかっている。引き金を引いた罪悪感、奈落へ突き落とした自責の念。それを早く消してしまいたいという、独りよがりなのはわかっていた。
それに、きっとこれからセフィライズのそばにいるであろう彼女に知ってもらう事は、残された時間を延長させる手助けになると思ったからだ。
「彼女には、何も……関係のないことだ」
セフィライズは視線を落とす。スノウの方を、なるべく見ないように体を少し反対側へと向けた。
「兄さんが食事に誘ったのは、こういう話をさせる為なら。もう、帰る」
セフィライズが立ち上がる。背を向けてそのまま階段を降りようとする彼を、スノウが呼び止めようとかと思った瞬間にシセルズが声をかけていた。
「逃げるのか?」
その言葉に立ち止まり、振り返る。自虐的に笑う彼は、はっきりと答えた。
「ああ、そうだよ」
そのまま階段を降りて行ってしまうセフィライズを、どうしていいかわからないままスノウは見ていた。何の話をしていたのか、理解できない。しかし、彼が何か大切な事を隠しているのだろう、という事はわかった。でも、それは、関係のないことで。でもシセルズにとっては、重大な事で。推測もしようがない話。
「あー……」
盛大なため息と共に、シセルズは項垂れる。やっちまった、と言う呟きを吐いて。
「あの……わたし、何のお話かわからないのですが、でも……その、待ちたいと思います。もし、教えないといけない事があるのなら、それを……教えたい、と思ってくれるまで」
スノウの言葉にシセルズは顔を上げた。
ああ、俺が間違っていたのだと、はっきりと自覚しながら。




