7.出発準備編 予行
スノウは化粧台の前に座り、慣れた手つきのリシテアが彼女の顔を触る。あれもこれもと、粉のようなものをふりかけられていった。
普段、一般の人は化粧などしない。花の種や石をすり潰したものから取れる粉を、少し肌に乗せるぐらいだろう。スノウ自身、朝に白粉をつける程度でその他の経験は一度もなかった。
「あ、あの……ずっと、聞けなかったことが、ございまして。その……これは、何の、ためにしているので、しょうか?」
「えぇ? セフィライズから聞いていませんの?」
リシテアは心底驚いていたようで、しかしすぐに怒った表情を見せた。
「もう、セフィライズは。いつもそう、何も言わないのだから! 今度わたくしがしっかり叱っておきますわ!」
リシテアが丁寧に説明してくれた内容によると、どうやら隣国カンティアでの祝賀に参加することになっているらしい。スノウは唐突すぎて驚くと同時に、何を訓練させられていたか理解した。
「今日はしっかり採点されますからね。頑張ってちょうだい」
スノウはやっと理解できたはいいものの、求められている事の重圧に押しつぶされそうになった。後二ヶ月弱しかないのか、と思うと同時に、移動するのにどれぐらい時間がかかるのだろうと思った。下手したらもう1カ月もないのだ。一瞬心が折れそうになる。しかし必死に気持ちを保った。よし頑張るぞ、と心の中で繰り返す。大丈夫、できる、できると。
仕上げにとリシテアが彼女の唇に紅を差した。真っ直ぐ鏡に映る自身を見る。スノウは、自分でも驚くほどに綺麗になっている事実に驚いていた。自分で自分のことを、今日は可愛い、なんて思ってしまう日がくるとは露ほどにも思っていなかったからだ。
スノウはリシテアに促されるがまま、円卓の椅子に座る。その横にリシテアが座った。部屋の端には厳しい顔をしたミジェリーが立っている。採点をすると聞いただけに、今日はつぶさに行動を見られるのかと思うと緊張した。
「やぁ、すまない。待たせた」
扉が開き、入ってきたのはカイウス。しかしいつもの服ではない。まさしくこれが王子様といった、重厚感と気品に溢れる姿。そして細やかな装飾が施される服は非常に重そうだ。いつもは腰に帯びていない剣の鞘も、宝石や金などで彩られている。
その姿にスノウは見惚れてしまう。王子様というのは、本当に王子様なんだ、という当たり前の感想を思い浮かべた。その後ろにすぐ、いつも通りの服装のレンブラントと、そしてレンブラントと似た服を着たシセルズが入ってきた。スノウは驚いて声を出そうとするも、シセルズが無言で人差し指を一本、唇に当てて片目をつぶって見せる。
カイウスがリシテアの隣に座り、残り一席。そこにシセルズが座るのかと思いきや、レンブラントと一緒に壁に沿って並んだ。
「まだ来ていないのか」
「少し準備に時間がかかっているそうです」
カイウスの質問に、レンブラントが答える。その瞬間、シセルズはいつもの悪い顔で笑った。そしてリシテアもまた、似たように悪戯好きな子供みたいな顔して、シセルズを見る。お互いに何か同じものを共有して楽しんでいるかの表情だった。スノウが首を傾げると同時に、部屋にまた一人、入ってくる。
「申し訳ありません。遅れました」
スノウは声でわかる、彼だと。嬉しくて振り返ると、いつものセフィライズではなかった。髪を高い位置で括り、アリスアイレス王国の色である赤の装飾品を頭につけている。そして服も、いつもと違う。正装、と呼ばれるものだ。服が違うだけで、こんなにも違うのかというぐらい、スノウから見たらセフィライズもまた。王子様に見えた。
セフィライズは物凄く嫌そうな顔をしながらスノウの隣に座った。口を開けた状態のスノウがぼーっと見つめてくるのを一目見る。すぐに彼女は顔を赤くして目を逸らした。その反応がよくわからなくて、セフィライズはまた視線を下に向けてため息をつく。
「セフィライズ様。顔に出すのはやめてください。にこやかとまでは申しませんので、せめて」
ミジェリーが、スノウに言うよりはまだ棘のない言葉を放つ。それにまた大きくため息をついた後、みぞおちに手をあて、息を整える。すぐに、あんなにも嫌そうにしていたというのに、背筋を真っ直ぐ伸ばして全く感情を感じさせない表情になった。
「それでは、お食事から始めさせて頂きます」
朝食を取らずに来る理由はこのためかとスノウは思う。朝なので量は少なめだが、確かに本番さながらの料理。シセルズがレンブラントと一緒に来た理由もわかった。給仕として二人が料理を配るのだ。しかし、それなら一般の従者でも事足りるはず、何故ふたりなのだろうか。
「スノウ様、もう少し音を立てずにお願いします」
「は、はい。すみません」
レンブラントにスープの飲み方を指摘されて謝る。ミジェリーだけでは足りない部分を指摘するために来ているのだ。カイウスは完璧に食事をこなしているが、リシテアはまだ少し荒いところがある。わざと荒くしてるのか、面倒臭いのかは定かでなないが。小さな指摘を受けては不満そうに口を尖らせていた。
しかし、シセルズが来ている意味がスノウにはわからなかった。だが、シセルズもリシテアも、お互い視線を送り合っては楽しそうにしているので何かあるのだろう。
「聞いてお兄様。今朝は珍しい野鳥を見かけましたわ。あれはなんと言うのでしょうか。くちばしが黄色で、赤い目をした白い鳥ですわ」
「ああ、確かに私も見たよ。スノウさんはどうかな?」
「え、えっと……」
唐突に始まった雑談。話題を振られて焦る。何か見たか、と言っても、今朝はここまで真っ直ぐ来て外は見ていない。なんと答えればいいのか悩んだ。
「申し訳ありません。今日は真っ直ぐここに来たので。そのリシテア様のご覧になった鳥は、どのくらいの大きさでしたか?」
「そうね、ちょうどこのナプキンを広げたぐらいの大きさでしたわ。セフィライズはどうかしら?」
「いいえ、何も……」
黙って静かにスープを飲んでいたセフィライズは、そのまま言葉を続けることはなかった。




