51.謀略の黒化編 回復
高熱が消え去り、セフィライズは目を覚ますと体が少し楽になっていた。そして熱が引くとともに、身体中に巡っていった違和感が減っていき、最終的にしこりのように胸に残った。
セフィライズはベッドから起き上がり、少し歩けるようになっていた。しかし長く食事を取っていなかったせいか、体力の衰えが酷い。足取りはおぼつかず、少し動くだけで息が切れる。いつもなら、すぐに回復するのに何故だろうかと思った。血液の量はもう、戻っているはず。マナの量が足りないのか、何が問題なのか。しかし横になり続けるわけにもいかない。起き上がっては肩で息をしながら部屋の中を必死に歩き、体力を取り戻そうともがいた。
「セフィ、体に変化はないのか?」
シセルズは、食事をベッドの端に引っ張ってきた机に置きながら話しかけた。
伝えてはいない。弟の体を乗っ取り、何者かが現れしゃべりだした事を。本人は何も覚えてはいない様子。ならば、知らないほうが幸せだ。なんの救いもない、憂いが増えるだけ。
ベッドの上であぐらをかき、首を回したり腕を回したりしているセフィライズは、どう答えるべきか迷っていた。
ある、といえばある。しかし、説明できるような変化ではない。
「何も」
結局、嘘ではない、嘘をついた。
その弟の表情を見て、シセルズは少し考える。ああ、きっと、何か変化があったんだろう。セフィライズが訴えていた胸の痛み。シセルズしか知らない、セフィライズの中の何者かとの会話。変化がないほうがおかしい。でも、嘘をついたんだろう。
「セフィ、俺と約束してくれ。もっと、ちゃんと、自分を大切にすること。あと、もっと、周りを見ること」
セフィライズの体を使って話していた得体の知れない人物。そいつの言葉がシセルズの脳裏から離れない。
体にかかる負荷。心にかかる重圧。ボロボロだと言われた事実は、もうそんなに時間が残されていない、と思うに十分すぎる言葉だった。
「何? してる、けど……」
「いいから、約束しろ。必ず思い出せ、何をする時でも。ちゃんと……ちゃんと周りを見ろ」
シセルズは拳を強く握る。思い返せば子供の頃から、弟の人間らしさを取り戻させたくて。沢山、心を砕いて、接してきた。無表情で無反応。言われたことしかしないようなお人形だった。段々と、話すようになって。段々と、表情が出てきて。段々と、人間らしくなっていく。
閉じ込められていた魂が表層へと上がっていく。
だというのに、いつまで経ってもどこか自分の価値を自分自身で決めつけて、全てを諦めたように時間を浪費していた。ただ流されて、ただ目を閉じて、その場に存在しているだけを選んでいた。そんなセフィライズの姿を、どうしたらいいだろうか、とシセルズはずっと憂いてきた。
未来を描く事を、希望を持つ事を。惰性ではなく、前を向いて歩く事を。どうしたら、教えられるのだろうか。最後まで灯すことのできない心に、光をつけてやりたい。ただそれだけだ。
願うのは、ほんの些細な事。
「……わかった」
シセルズが何が言いたいのか、あまり理解していなかったが。しかし真剣な声で諭され、わからないとは言えなかった。
ベッドの上で目を閉じる。まだ日は高い。疲れているわけではない、しかしどこか、体が重い。ちょうどその時、扉が叩かれる音がした。シセルズが食事を持ってきたのかと思ったが、中々扉が開かない。不審に思い、入口の扉を開ける。そこにはスノウが下を向きながら立っていた。
扉が開いたその先に立つスノウは、少し痩せたセフィライズを見上げて止まってしまった。
目を閉じると、思い出してしまう。彼が、自身の腕を切り落とすその、ためらいのない瞬間。
血染めの残影が、頭から離れない。
「セフィライズさん。あの……あの、ご、ごめんなさい」
もっと伝えたい事があるのに、喉の奥で止まってしまう。涙を流すつもりなどなかったのに、自然とあふれぽろぽろと頬を伝って落ちた。
セフィライズの手がスノウへと伸びる。スノウが元に戻した左手で、その涙を軽く拭ってくれた。
「よかったです。よかった……」
スノウは涙を拭きとってくれたセフィライズの左手に触れる。持ち上げた手をスノウの額に押し当て、祈るようにもうもう一度、よかったと繰り返した。
「……スノウが、謝ることじゃない。左手も、ありがとう」
セフィライズの声に、スノウは顔をあげた。彼は困ったような表情をしている。
胸の奥底から心配して、動揺して、喜んで、表情豊かに変わっていくスノウ。そして今、それはセフィライズに向けられている。シセルズが伝えたかった言葉の意味。周りを見ろ、はきっと、彼女の事だとセフィライズは思った。
「別に、心配することないから」
「いいえ、心配します。もっと、相談してくれませんか? 話してくれませんか? わたしでは、力になれないのかも、しれません。でも…」
どんな時でも誰かが、何かが、傷つけられているのは敏感なのに。自身が傷ついて、それが他人にどう影響を与えるのか、には鈍感。まるで本当に、自身が道具のように振る舞う時がある。何がそうさせるのか、彼女にはまだわからない。
しかし、スノウの中でセフィライズはとても大きく失いたくない存在。大切で、心から想う気持ちが溢れてくる。だからもっと何かしたい、支えたい、話を聞きたい。何もできないかもしれないけれど、本当に本当に。
「わたしは、わたしは……」
セフィライズの左手を掴みながら、スノウは顔を上げる。言葉の続きは、言えなかった。
わたしは、あなたのことが、好きだからーーーー
自らの意思でかき消した言葉を飲み込んで、目を閉じる。
「心配もします。慌てます。だって、セフィライズさん。わたしは、あなたの、部下ですから」
伝えなかった。そしてこれからも、伝えるつもりなんてない。伝わって欲しくない。
今が、終わる気がするから。
「そうか……それは、すまなかった」
スノウの手を、彼は握り返してくれた。伏し目がちに視線を落としながら、表情は綻んでいる。
ああ、心からよかった。彼が消えなくて、死ななくて、よかった。
温かくて、スノウより大きくて、しっかりした手に握られて、スノウは真っ直ぐ彼に、微笑んだ。
第二章 血染めの残影 e n d
以下、ちょっと長い後書き。
この度は二章血染めの残影を読んでいただき、誠にありがとうございます。
普段より、更新時読んでくださっている方々には、誤字脱字や言い回しに不手際がある事も多く
読みにくい中でここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
また、いいね、評価、感想、ブックマーク等で応援してくださった方々にも心より感謝申し上げます。
いいね、評価、感想、ブックマークなどは非常に励みになり
たまにもう面倒臭いからいいかな、と思う気持ちを、皆様の一手間を頂き支えられております。
本当に本当にありがとうございます。
以下二章でやりたかった事やまとめの話。興味ない方は飛ばしてください。
今回、二章血染めの残影でやりたかっとこと
まず、盛大にセフィライズの事を匂わせること。もうバレてもいい、気がついてもらった上で読み進めてもらうために、思いっきり書きました。その上で、三章以降を読んでほしいと思っているからです。
また、主人公ながら一章では思想や考え方、人となりといったアプローチが薄かったので(わざとですが)
そういった部分をたくさん盛り込みたかったのもあります。主人公紹介に近いところがあったかなと思います。
また、これ以降ほとんど6章まで出てこないお兄ちゃんであるシセルズの存在を際立たせたたかったのもあります。なので、どちらかというと二章は兄弟がメインで楽しく書かせていただきました。
この後外伝を三本挟み、三章 滅紫に染まる青 に入って行きたいと思います。
重ね重ね、ここまで読んで頂いた全ての方に、心から感謝申し上げます。




