50.謀略の黒化編 表層
その夜。
セフィライズは体をむさぼり喰われるような高熱を出した。
違和感が胸の奥で急速に拡大していく。心の隙間に、常に何か邪魔なものが遮るような、ざわめき。表現し難い、その違和感。
ーーーーもう……なのか……いや、やっと、か……
熱のせいで頭がうまく動かない。突然、心臓に刺す痛みが走る。胸を抑えて必死に耐えた。
朝になり、シセルズは朝食を持ってセフィライズが療養する部屋に来た。まだ寝ているかどうか、セフィライズのそばにきて様子をうかがう。ベッドの上で顔を真っ赤にし、苦しそうにしている事に気がついて額に手を添えた。
「熱いな……」
大怪我からの回復。熱が出るものわからないでもない。しかし、シセルズはタイミングが違うのではないかと思った。違和感を、覚えたのだ。この、熱の出し方に。
シセルズに気がついたセフィライズが目を開ける。風邪を引いた時と変わらない、ぼーっとした瞳をしていた。
「おはよう……」
「いつから熱出たんだ? 飯は……まだ無理か。水飲むか?」
聞かれてセフィライズは体を起こした。しかし、発熱のせいか全身が軋むように痛い。
シセルズはそれを支えるように手を回し、水を口元へと運んだ。
「無理すんなよ」
セフィライズは喉につまらせ、ゲホゲホと咳込みながらゆっくりと水を飲む。少し落ちついたのか、胸元に手を当てながらうなだれた。
「久々だな、お前が熱出すとか」
「たしかに……子供の時、以来だ」
息苦しいぐらい痛い。ただ、風邪を引いた時とは違う気がする。心臓のあたりが、なんだか変なのだ。刺すような痛みがたまにあるかと思えば、縛り付けるぐらい苦しい時もある。
シセルズは、胸を強く抑えている弟を不審に思った。ただの熱ではないのかと勘ぐってしまう。
「痛むのか?」
「たまに……胸が、痛くて」
不規則に、刺されているような激痛。今までにはない、感覚。
「いつも、熱出した時は、そうだったか?」
「いや……多分……」
多分、原因は熱ではない。しかしセフィライズは言葉を続けるのをやめた。まだ、隠したかった。兄は、わかっているだろうけれども、まだ。
兄弟2人だけが知っている。白き大地の、秘密。
「お前……まさか」
シセルズは真剣な眼差しを向ける。握る拳に力がはいった。
「……それ、は……わからない」
多分そうだ。でも、絶対かと言われれば、それはわからない。まだ、だ。まだ。
セフィライズはそう言いたかった。
「くっ……」
突如として、セフィライズは再び心臓を槍で突かれたかのような激痛を感じた。しかしそれは止まらず、痛みで打ち震える程に長く続く。うつ伏せでベッドへ倒れ、体を震わせながら枕に顔を埋めた。
体の中で急速に広がっていく。這うような、何か。
「セフィ! おい、しっかりしろ!」
セフィライズの変化に怖くなって、肩を掴んで上に向けさせ名前を呼ぶ。心臓を刺す激痛に表情は歪み、苦しげに喘ぎ声を漏らしていた。次第におさまると、セフィライズはぐったりと体から力が抜けるように、動かなくなった。
「おい!」
シセルズは大きな声で弟の名前を呼び、体をゆする。次第にセフィライズの体は内側から淡い青白い光を発し始めた。点滅を繰り返し体が透け始める。胸の中に、シャーロカップ咲きの大輪の花が浮いている。
息をのんだ。シセルズがこれを見るのは、何も初めてではない。セフィライズが子供のころ、何度かこの現象を目撃したことあがる。白き大地の民の中でもセフィライズにしかない特別。
その胸元に手をのばし体内の花に添えようとしたその時、透けていた体は元に戻り、青白い発光が止まる。同時にセフィライズの瞳がゆっくりと開いた。
その銀色の瞳に、シセルズの姿が映る。
しかし、シセルズは何かが違う、と思った。
弟の瞳の奥に黄昏のような灯火が揺れているように見える。
「セフィ?」
「フフッ……アハハハ」
セフィライズは口元を押さえて、冷めた笑い声を漏らす。
シセルズはセフィライズの体から手を離した。強烈な違和感。セフィライズではない、これは、誰だと強く思った。
「……器の表層に出るのは、どのくらいぶりかな」
セフィライズが自身の手を物珍しそうにみながら笑ってる。その笑い方も、仕草も、見た目は弟そのものなのに、全く違う。
「誰だ……」
「誰? そう、君たちがよく知っている男だよ」
嘲るように笑い、その目はあからさまにシセルズを見下していた。確実に、セフィライズではない。先程まで辛そうにしていたはずだが、その余裕の表情がまったく別人を作っている。
「あぁ酷い、ボロボロじゃないか。よくもまぁこんな器で、今まで生きていようと思ったものだ。器は魂の足枷とはよくいったもの」
珍しいものでも見るかのように自身の体を確認する。腕を掴み、髪を触り、心臓を撫でた。
「どうして……何者、なんだ。お前……セフィライズじゃないのか」
「あぁ、シセルズ。貴様の可愛い弟ではない」
セフィライズの中から突然現れた誰か。シセルズの知る、弟の中のもう1つは、物のようなものだと思っていた。意志などないと思っていたのだ。だというのに、恐らく今、それは弟の体を乗っ取り、しゃべっている。
なら、何故いままで、何事もなく生きていたのか。そしてこれは、一体誰なのか。神か、人か、それとも世界そのものなのか。
「どうしてって顔をしているね。まぁ、僕も好きでここにいるわけではない。貴様らの蛮行の結果がこれじゃないか」
「どういう、意味だ……」
「貴様ならその意味がわかると思っていたが、わからないのか。教えてやろう。僕は全てを知っている。シセルズ、貴様の望みも」
セフィライズの姿で、見下した目を向けられる。まるで弟に、全てを見抜かれてしまったかのような焦りをシセルズは覚えた。
「僕は貴様の望みを知っているぞ。弟の魂の救済……滑稽じゃないか。そんなものは、存在しないというのに」
その言葉に、シセルズは腹が立った。
目の前にいるお前が、一体何を知っているというのか。一体何を、見てきたと言うのか。
怒りで強く拳を握り、肩を震わせる。
「何が、滑稽だよ。お前に、お前にセフィライズの何がわかるっていうんだよ! 俺が、俺達が今まで、どんな気持ちで、生きてきたのか……全部、お前のせいじゃないのか? お前が!」
見た目が違う。それだけでどんな扱いを受けてきたか。生まれで、どれだけ苦しい思いをしたか。その中でも、生まれながらにして報われない、くだらない運命なんてものに縛り付けられて、生き続けている、傷ついている。それを、救ってやりたいと、助けてやりたいと。
抗いたいと思う気持ちを、全て否定された気になった。
「僕のせいだっていうのか? くだらないな、人間ごときが。貴様らの蛮行が、今ここにある全てだ。僕の邪魔をしておいて、それを僕のせいにするというのだから。久々に愚かしい発言を聞いたよ」
喉を鳴らしてあざけ笑われ、シセルズは今一度、お前は誰だ、と聞いた。しかし、セフィライズの体を使い話すその何者かは、答える気のない冷めた視線を送るのみ。
「……貴様が行なっている事は全て報われない。あぁ、だから黙っていてあげるよ。結局はみんな、箱の中で踊らされているだけと知ればいい。貴様らの行き着く先は、結局、僕の望み通りになるのだから」
セフィライズの体で話すその男はおもしろそうに笑う。シセルズはその弟の姿をした他人を睨みつけた。
「あぁ、もう疲れたな。僕は魂ではないし、器を手に入れる事が目的ではないからね。今回は、たまたまだ。たまたま表層に上がってきた。もう貴様と話す事はないだろう」
落ちた銀髪を指で絡め取り、腹に手を添えて声を出して笑う。何がそんなに面白いのかと、怒鳴りつけてやりたくなるほどに、人を馬鹿にしたような声をだす。
「あ、ひとつ忠告だ、シセルズ。これは貴様らが手にしていい代物ではない、この器に負荷がかかるのも仕方ない事だ。いつ崩れてもおかしくない、大切にするんだな。その時が来るまで」
冷めた瞳でシセルズを見ている。視線があうと、勝ち誇ったように笑った。
「せいぜい抗うがいい」
目を閉じたセフィライズはベッドにゆっくりと横になった。セフィライズの声で流暢にしゃべっていた何者かが、深く寝息を立て始める。
シセルズは動かなくなった弟に近づき、触った。柔らかくて、温かい。しかしあの高熱は嘘のように無くなっていた。今すぐ起こして確認したい。元に戻ったのか、あれは誰だったのか。記憶はあるのか。体を揺すろうと肩に手をかける、しかし、それを止めた。
眠っている間は、きっと現実から、苦痛から、解き放たれていると信じて。
シセルズは自身の片目の下にある黒い印に触れる。そして反対の手で、セフィライズの心臓に触れた。
「お前と、俺と。なんで逆じゃ、ないんだろうな」
代わってやれるものなら、心から。




