49.謀略の黒化編 目覚め
ふわっと、意識が浮上した。
セフィライズは目を開けた。視界はぼやけていて、見慣れない赤い天蓋の、赤という色を認識するのに時間がかかる。周囲の様子を見渡そうにも、首を振ることすらできず、眼球を動かそうにもいうことをきかない。
声を出そうとしても、出ず。腕を動かそうとしても無駄で。しばらくそのぼやけた世界を眺めながら時間がたった。
「ん……」
彼の口からなんとか声が出た。それに気がついた誰かが視界に映る。ぼやけていてよく見えない、しかしそれがシセルズなのはすぐにわかった。
「起きたか?」
「ぁ……、、にぃ……さ……」
途切れながらも兄を呼ぼうとしたがはっきりと声は出なかった。
「お前……俺がどんだけ怒ってるか、わかるか?」
わからないと首を振りたかったが、動かなかった。記憶が曖昧だ。何が起きたかしばらく思い出せない。
ツァーダの娘のタナトス化を治すために、セフィライズは自身の腕を切り落とした事を次第に思い出す。スノウの能力に問題がないのなら、足りないのはマナの量だと思ったからだ。しかしそこから先の記憶が、彼の中からほとんど消えてしまっている。
耳に残るスノウの声。キャンバスに置かれた絵の具のような金色の残像は、スノウの髪。浮かぶ翠玉の断片。
「お前は、どうしてそうやって、何でも1人で解決しようとするんだよ!」
シセルズは乱暴に腕を伸ばし、セフィライズの胸元の衣服を掴む。強引に引き起こそうとして、その動きをギリギリで止めていた。
いつもそうだと思う。何か決める時、選ぶ時。とても重要で、大切な事でも。1人で考えて、1人で決めてしまう。その結果、相手がどう思うかどう感じるか、そういった事が頭の中から抜け落ちているように見える。
昔はまったく話さなかった弟が、やっと普通に会話できるようになったと思ったのに。結局、変なところが、欠落しているのだ。
「どんな気持ちになるか、わかんねぇのかよ! スノウちゃんが、どんだけ取り乱していたか……!」
胸元の衣服を強く握られ、体が少し持ち上がる。シセルズの腕は震えていて、その振動が伝わった。顔をあげた自身の兄は、酷く辛そうな顔をしながら、しかしとても怒っているのがわかる。
「セフィ……前も言ったろ……今、生きてんだって。もっと、自分を大切にしろ」
そう言ってシセルズが手を離した。セフィライズの体がベッドに沈む。
「……ごめ、ん……」
絞り出した声を発するのと同時に、意識が途切れた。
次にセフィライズが目を覚ました時、周囲の様子がはっきりとわかった。手足も動き、首を振りながら左腕を目の前に持ってくる。
確かに切断したはずの左手が、そこにはあった。
スノウがもとに戻してくれたのだと理解し、握ったり開いたりしてみる。
再生。それは、彼女の能力の他、セフィライズの生まれのおかげだろう。
「やっと起きたか」
兄の声が聞こえ、セフィライズは首を向ける。視界に穏やかな表情のシセルズがうつった。
「気分どうだ? しゃべれるか?」
「すこし、なら……」
「そっか。とりあえず水でも飲むか。お前ずっと寝てたからな」
セフィライズは体を起こす。力が入らず、息を吐き、崩れそうになるのをシセルズが支えた。何とか起き上がると、アリスアイレス城のどこかの部屋なのはわかった。しかし見慣れない場所だ。
「どのくらい……」
「寝てたかって? ざっと4日ぐらい。まぁ、昨日1回、起きたお前と話したけどな。覚えてるか?」
体が異様に重くいうことをきかない。セフィライズはなんとか座る体勢になったはいいものの、ベッドの上でうなだれた。シセルズから手渡された水。しかし、まだ掴む力が弱い事に気がついた。落とさないように両手で持ち、震えながら口元に運ぶ。
「怒られた、記憶が、ある……」
「あー、悪かった。つい、カッとなって。お前がすぐ気を失うから、焦った」
シセルズはベッドの端に座って、セフィライズが水を少しずつ飲むのを見守っている。血色が悪くいつも以上に白い肌。瞳もどこか覇気がない。
セフィライズは水を少ししか飲めず、シセルズにそれを手渡した。
「なんか、食えるか? というか、食欲あるか?」
「まだ……いらないかな……スノウは?」
「ああ、怪我もないし元気だよ」
シセルズは、あまりにも取り乱しながら大泣きするスノウの姿を思い出した。セフィライズが起きた事を伝えたら、大喜びするだろう。
しかし、彼女をセフィライズと会わせてもいいものかと、シセルズは悩んでいた。こんな状態になったのは、自分のせいだと責めるのではないか。
「とりあえずもう1回横になれ」
シセルズは手を添えて弟をベッドへと横にさせた。雑に伸ばした銀髪がベッドの上に散らばるように広がる。起きていはいるがまだ少し、ぼーっとしているようだ。
「俺達が特別なのか、お前だけがそうなのか。ルシアナはスノウちゃんのおかげで人間に戻ったぞ」
その言葉に、セフィライズは心から良かったと思う。あれだけのことをして、戻らないとなればもう方法が思いつかない。
「でもな……なんで、あんなことしたんだ」
「……殺さないで、治す方法、を……考えた結果、だよ」
それに、小瓶の入手先を知っているのはルシアナ本人だけだ。情報を得る為にも、必要だったとセフィライズは思っていた。
「それで? セフィはそれでいいかもしれないけど、死んだらって、心配するやつもいるんだよ」
「別に、兄さんは知っている、から……」
死は、そんなに特別ではない。セフィライズにとってはすぐそばにある。それを、シセルズも理解している。そういう意味の、知っているだったが、兄は酷く心を痛めた表情を見せた。
「俺じゃねぇよ! 俺じゃ……お前、本気で言ってんのかよ……」
シセルズはため息をつき、頭を抱えた。
白き大地の民の血肉には価値がある。大量のマナに変換され、活用方法も無限大だ。そのせいで人間扱いされないこともある。しかし、誰よりも己を人間扱いしてないのは。
「お前自身じゃねぇかよ……どうして……俺は、どう言えばいいか、もうわかんねぇよ」




