46.謀略の黒化編 理由
アリスアイレス王国の文官ツァーダの邸宅まで来た。中に案内され、応接室に通されるとセフィライズとシセルズは入口付近でまっすぐ立ち、胸に手を当てた状態で待機する。その姿を見て、スノウも真似をしてその隣に並んだ。
しばらくして応接室に現れたツァーダは大変不機嫌そうな顔をしていた。彼の姿を確認するなり、二人は敬礼の形をもう一度取り、頭を下げる。シセルズの立場はツァーダより二つ下と違うが、セフィライズはツァーダとは同じ階級であり、対等のはず。しかし、相手の差別意識を考慮し、いつも敬礼をして頭を下げていた。
「なんの用事だ。貴様らが俺に会いたいなどと」
お前らなんぞに時間を作ってやったぞ、と言わんばかりに応接室のソファーに座る。ふんぞりかえる、とはまさにこの事、といった座り方だった。
シセルズが、足元に置いたトンラクを持ち上げる。ツァーダの顔色が変わった。
「こちらの品物を、ご存知ありませんか?」
逃げられないようにと、素早くシセルズが机の上にトランクを置く。そしてツァーダの目の前で開けてみせた。中に、びっしりと詰まったガラス瓶。あからさまに、慌てていた。
「知らんな! 用事はそれだけか、じゃあもう帰れ」
立ち上がり、出て行こうとするツァーダの前に立ち塞がったのはセフィライズだった。黒い液体が入った小瓶を片手に持ち、目の前に出す。相手が何か言う前に、蓋を開け、それに口をつけ、一気に飲み込んだ。
「貴様、それを飲むなっ!」
セフィライズの手を弾くように小瓶を払い落とす。しかし小瓶の中は空で、セフィライズの口元から黒い液体が垂れた。それを見たスノウもまた、動揺して声を上げ、慌てて彼の元に駆け寄る。
「飲んだのか!?」
「ご存知ないはずなのに、何故そんなに慌てていらっしゃるのですか?」
「ぐぬぬ……」
口の端から垂れる液体を親指で拭き取りながら言う。彼が飲んだことに慌てているのは、ツァーダとスノウだけ。シセルズは満面の笑みでスノウへと親指を立てて合図を送った。その余裕さに、スノウは理解する。彼が飲んだのは、元々小瓶に入ってた液体ではない。別の液体へとすり替えたものだということに。
「これが最近一般の人に出回っています。飲んだものの一部が怪物になる。何かご存じですね?」
シセルズが小瓶を一本、取り出してツァーダの方に差し出す。
「あぁ、よかったらツァーダ様も一本いかがですか? 首なら、目の前のそいつが跳ね飛ばしますから」
顔を真っ赤にし、怒りや悔しさが入り乱れた恐怖の顔をしてツァーダが俯く。諦めたようにソファーに座り直し、項垂れながら言った。
「どこまで知っている」
「これを全て飲み干すと、怪物になる。ばら撒いているものがいる。理由は、本人から聞きたいところですね」
「違う……誰がこのことを知っていると聞いている」
「今のところ、ここにいる三人だけですよ」
その回答に、ツァーダが少し安心したようだった。項垂れたままに動かず、かなり長い無言の時間。セフィライズもシセルズも、あえて何も発せず相手の言葉を待った。
「誰にも、言わないでくれないか……。頼むから、ここだけの話にしてくれ」
そんな約束はできなかったが、しかしここで断れば話さないだろう。シセルズは思ってもいない癖に、必ずお約束しますと再び敬礼して見せた。
「それは、我が娘ルシアナのものだ……」
「お嬢さんはどちらに?」
「……地下だ。猛獣用の牢屋に閉じ込めてある」
ツァーダは辛そに、ぽつりぽつりと言葉を落とす。
数週間前。最近元気がなく、何事にもやる気が起きていなかったルシアナ。健康や美容に気遣う彼女を甘やかしていたツァーダは、娘から大量に購入したいものがあると打診された。何をというのも確認せず、彼女が欲しがるままに了承し手に入れたのがこの小瓶だった。本人曰く、健康によく気持ちが明るくなるとかで、毎日のように朝食の飲み物に入れて飲んでいたのを確認していたとのことだった。
それを飲むようになってから、確かにルシアナは生き生きと楽しそうに生活するようになっていったという。しかし、それから数日後にツァーダが見たものは、彼女の自室で突然タナトス化する姿。娘が化け物に変わり、大慌てで自身が雇う護衛兵を使って対応させたという。殺すのではなく、捕獲。死者を出しながら、なんとか地下室に閉じ込めた。生き残った護衛兵も、しばらくすると全員苦しみだして死んでしまう。
「怪物になった娘を元に戻したかった……」
そう話すツァーダは、再び他言しないでくれと懇願する。しかしシセルズには分からなかった。元に戻したい事と、この小瓶をばら撒く理由が。それを問いただすと、ツァーダから返ってきたのは酷い解答だった。
誰かがタナトス化し、それを殺すのではなく治療するという方法が確立された頃に、それを試そうと思っていた、と……




