40.暖炉の灯火編 お風呂
「大部屋があるようなので、そこでもいいかなって思うんです。でもちょっと、怖くて」
突然、人が異形の姿になる。一人でいるのも怖いが、大部屋で知らない人たちと大勢でいるのも怖い。城下町の宿も知らない人たちと一緒なのは同じ、しかも支払いが発生するかと思うと気が引ける。
「セフィライズさんの執務室をお借りできませんか。今日はそこで休みます」
「あんなところじゃ寝れないと思う」
「えっと、じゃぁ……」
恐怖、不安、そして心細さ。本当は、スノウの中で答えがあった。しかし、伝えるのが怖かった。セフィライズさんの家の、暖炉の前で眠りたい、と言いたかった。あの自然な暖かさ、人工物でない灯りの中で。
「なら……一緒に戻るか? 兄さんの部屋が、空いているから。気になるなら、他を考える」
彼の出してくれた答えが、まるで心の中を覗いて、それを読み上げてくれたかのようなものだった。まだ、一緒の時間を過ごせるかと思うとそれだけで嬉しくなる。
「いい、ですか?」
「君が、気にならないなら」
そうか、仮にも男性の家に今晩泊まると言っているのか。スノウは気がついたらとても恥ずかしくなってきた。両手で頬を抑え、顔の赤らみが相手に見えてないか不安になる。
許されるのだろうか、こうして、一緒にいることが。もしも、知られてしまったら。好きだなんて、伝わってしまったら一緒にはいれなくなる。そう思っているからこそ、隠さなければいけないと強く思った。
「わたしはむしろ、心強いです。ご迷惑でなければ」
両頬を叩いて、心を入れ替える。意識しているけれど、意識しないように。
「じゃあ……行こうか」
雪道を歩き出す彼の後ろをついていく。残る大きな足跡。視界を遮る雪が、彼を隠す前に。
彼の行こうか、がとても好きだな。そう、スノウは思った。
城内の裏庭、森林のようなそこにある小さなログハウス。ついてすぐセフィライズは家の各所に灯りをつけて回る。その後暖炉の薪を、馴れた手つきで動かし、火をつけていた。入口で防寒具を脱いだまま立ち尽くしているスノウに声をかける。
「そっちにお風呂があるから。もし浴びるなら、着替えは何か見繕うよ」
先に飲んだ方がいいと、彼は水を手渡してくれた。つまみなどもなく、淡々とお酒を三杯も飲んでいることを気にしてくれたらしい。
スノウは緊張がほぐれてきたせいか、急に自分が酔っている感覚を覚えた。
「えっと、お借りしますね」
スノウは水を飲み、頭を下げてお風呂を借りる。小さなそれは風呂と言うよりは、打たせ湯が出る個室のような場所だった。借りた服を丁寧に畳み、これも洗濯をして返さないと、と思う。
魔導人工物の力で外から引いている冷たい水がお湯に変わり、打たせ湯として降ってくる。その滝状の湯の中に頭を入れた。
アリスアイレス王国城内にも、大衆浴場としての施設がある。そこは大きな内湯と外湯の構造で、各所に打たせ湯がある。そこでは持ち込んだ石鹸を使って体を洗う。
スノウは備え付けの緑色の石鹸を手にとった。爽やかな香りがする、細長い植物の葉が練り込まれた石鹸だった。
彼女が打たせ湯から上がると、脱衣所には先ほどまで無かった新しい服と、タオルが置いてあった。きっと彼が用意してくれたのだろうと手にとる。紺色のシャツと、白い腰紐のパンツだった。シャツはぶかぶかで肩が出そうになるし、袖が長い。パンツの方は腰紐を必死に引っ張ってみるもずり落ちてくる。
一見、彼は華奢に見える。他の男性よりは、という言葉がつくものの、スノウからはその様に見えていた。しかし、彼の服を着てみると、やはり自分よりは大きいんだなって。衣服を抱くように自身を抱いてみると、とても鼓動が早くなるのがわかった。
「セフィライズさん、ありがとうございます」
暖炉の前で毛布を肩からかけて座っている彼に声をかけた。本を持つ手が見えて、多分読書中だったのだろう。邪魔したかな、と一瞬思った。
「あぁ、うん……じゃあ、次はいるから」
毛布をすれ違い様に肩にかけてくれる。セフィライズが打たせ湯を浴びに行ってしまったので、暖炉の前に座ってみた。彼の読みかけの本を、悪いかなと思って持ち上げてみる。
興味があった、何を読んでいるか。きっととても難しいものだろうと勝手に思ったが、簡単な植物の本だった。絵と共に、地域や産地が紹介されている。食用可能かどうか、下処理の仕方、毒があるかどうか。
意外だな、とスノウは思った。でも、外で困った時なんかに、役立ちそうな本だとも思った。また少し、彼のことが知れた気がして、胸に手をあてて目を閉じる。
この気持ちを、大切にしたい。でも、どうか。彼には、絶対に……伝わりませんように。
 




