第七十九話 失われた徒花
アレクシア チェインバース、またしても狙い澄ましたような最悪のタイミング。
「アリー、敵対はやめないか! 同じ地球人同士、戦わずに矛を収めたい!」
僕は鏡面の柱の陰に隠れて声を上げた。
お人好しの自覚はあるけど、むざむざ無防備に体を晒すほど愚かでもない。
「あぁん? ぶち殺すと言ったらぶち殺ス!! だけど、そう……ここで神の前に跪くなら、苦しませずに死なせてあげるワ!! アリーったらやさシーッ!!」
話にならない。最早、殴ってでもまずは拘束するしかないか……。
柱の陰から覗くと、広間の反対側にアリーとその背後には、墓守“牛女神”。
あれは、墓守の中でも砲狼以上に趣味の悪い造形をしている……。何らかの聖像を模したものか、神聖的かつ悪魔的な姿は兵器にはあまり相応しくない。
“牛女神”――全長十ニメートル、頭頂高十メートルの半人半牛の【鉄棺種】。
牛の首を腰から上の女性体にすげ替えた異貌で、四つの棺も背負っているため、それにちなんだ北欧神話の女神から名付けされたものだろう。
討滅実績はあるものの、その内部は殆どがブラックボックスで、搭載兵器以外の詳細がわかっていない墓守だ。
ルコの話によると指揮と輸送、墓守の展開能力を持ち、搭載兵器は自衛用の二十五ミリチェーンガンを胴体両脇にニ基二門。
“肉”が女性体を覆っているせいで、嫌に生々しい上半身になっているけど、あの異貌に躊躇しなければ単独で驚異を感じるほどではない。
「ルコ、牛女神は一度倒しているんだよな?」
「うん、半分壊れてたけど、もっと怖いのは他にいっぱいいるもん」
「良し、サクラ、ルコ、牛女神を牽制。柱を上手く使って安全重視で、未知の能力や武装があることにだけ充分に気をつけて」
「はい、全力を尽くします!」
「まっかせてっ!」
「テュルケは二人の後から柱に紛れ、出来るならアリーを捕縛して欲しい。手段は他にも考えてあるから、無理はしなくても良い」
「はいですです!」
「ノウェムは戦闘が始まったら上からの哨戒を徹底、伏兵がいないかの監視だ。転移陣は僕が頼るまで温存して」
「くふふ、主様は心配性よな。然と心得よう、虫一匹と見逃さぬ」
「リシィ、さっきはごめ……」
「カイト、今はこの場を凌ぐことが優先よ。謝罪は後にして」
「ああ……リシィは僕の傍を離れないで、まずは牛女神の武装を破壊して欲しい」
「ええ、わかったわ」
柱の陰で、僕はいつも通りに指示を出し、皆もいつも通りに応えてくれる。
いつだってリシィは賢明だ。今やるべきことを弁え、どんな時も高潔さを忘れない。
やはり僕は、彼女に伝えるべきことを伝えておきたい。
この戦いが終わったら……。
「カイト」
「ああ、アリーを止めよう。みんな、頼む」
皆はそれぞれのなすべきことのために頷き、行動を開始した。
なら僕も応える。僕のエゴに付き合ってくれる皆のために、この想いを灰色の拳に込めて、例え相手が人だろうとどこまでも。
まずはサクラとルコが、左右に別れて柱の向こうに消えた。
林立する鏡面の柱はある角度からは丸見えだけど、立つ位置を工夫すれば相手からは完全に姿を隠せ、多重に映る鏡像は位置の把握を困難とする。
そして柱の周囲の低重力場は、サクラやテュルケからしてみたら、いつも以上にこちらの優位となる立体機動も可能とするだろう。
アリーは何か思惑があってここで襲撃したのか、それともただ痺れを切らしただけか、どちらにしても僕たちにとっては迎撃し易い場所だ。
追従してテュルケとノウェムも柱の向こうに消えて行く。
アリーまで大分距離はあるけど、乱反射する鏡面は僕たちが動き出したことも彼女に知らせているはず。それでもアリーは、牛女神の前に仁王立ちして動かない。不気味だ……余裕さえ感じられるほどに……。
僕はベルク師匠から改めて託された、ヒーターシールドを左腕で構えた。
「リシィ、柱から出る。向こうの柱まで移動するから、後ろから光矢で頼む」
「ええ、わかったわ」
「行くぞ!」
僕は盾を構えながら柱の陰から出た。
背後では、リシィが黒杖を抜いて光矢を放つ。
彼我の距離は百メートル以上、ニ百メートルはない。
「みぃつけタァァァァッ!!」
――ババンッ! ババンッ! ババンッ!
僕を視認すると同時に、牛女神は二十五ミリチェーンガンを発砲した。
光矢と弾丸が交差する。発砲音は反響して幾重にもなり、見えていなければ倍の弾丸を撃ったように感じたかも知れない。
僕は盾を弾丸の軌道に沿うように傾ける。
神器の恩恵とベルク師匠の技、それを常に目にして来た経験とこれまでの鍛錬、全てが合わさって発射速度がどれほどだろうとも弾く。
臆しはしない。
――ガンッ! ギギンッ! ギンッ!
鏡面の柱と柱の間は十歩分もないけど、唯一広間の中央だけ牛女神が通れるほどの幅があった。僕たちは弾丸を凌ぎながら、通路を横切って再び柱に身を隠す。
これはダメだ。ヒーターシールドは弾丸を数発弾いただけで抉られてしまった。
弾種は徹甲弾か……墓守の装甲由来じゃなければ、貫通していたかも知れない。
「ごめんなさい、外したわ。少し遠い」
「いや、盾もこの通りで無理があった。もう少し近付こう」
「ええ」
柱の陰から様子を伺うと、今まさにサクラとルコが飛びかかったところだった。
だけど、アリーは僕の方を凝視したまま微動だにしない。何だ……?
――アアァァァァアアアアアアァァァァァァァァッ!!
その時、牛女神が歌った。
まるでオペラ歌手が歌うように腕を広げ、大声量は離れたここまでビリビリと振動を伝える。牛女神の近くでは目に見えるほど大気が歪み、円形の衝撃波がサクラとルコを襲った。
二人は咄嗟に防御姿勢を取ったようだけど、柱の向こうに吹き飛ばされてどうなったのかはわからない。
そして、アリーはその効果範囲にいたにも関わらず影響を受けていない。
まさか、特定目標に対する防護フィールドを張る能力もある……!?
まずい……!
「テュルケ! 近接中止、戻れ!!」
「はいですです!」
「みんな、無事か!? 迂闊に近付くな!!」
「はい! 私は大丈夫です!」
「私も大丈夫だよー!」
柱の向こうから皆が無事を知らせる、良かった。
正騎士の赤光とは違うようだけど、近接迎撃用の装備か。
アリーの余裕は、牛女神の傍にいれば安全だからだ。
「なんだ、もう終わリィ? 神に反逆するのに、その程度で敵うと思ってたわケェ? 浅はカ、浅はカ、浅はカ、浅はカァッ!! アハハハハハハハハッ!!」
無論、言われずともわかっていたさ。
借り物の力じゃ、本当は何ひとつ覆せないことも。
「リシィ、回り込む。今回も攻撃を重ねる手段が必要だ。神器も頼む」
「ええ、任せて。あの娘がこれ以上おかしくなる前に、止めてあげましょう」
そうして、僕たちは少しでも近付くため、柱を挟んだ死角側に出た。
並ぶ柱は壁となり、こちらからも牛女神の巨体を隠している。直射は出来ない。
「主様ぁっ!! 何かおるっ!!」
上からノウェムの声が聞こえた、珍しく慌てて張り上げた声が。
彼女の指差す先は、今まさに向かおうとしていた先で、何も見当たらない。
だけど、その場所が一瞬だけ虹色に揺らいだ――。
――ガオオオオオオォォォォォォォォォォォォンッッ!!
発砲音、衝撃、突き飛ばされて宙を舞う体、石畳に打ちつけられ、転がる。
「嫌ぁああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「主様あああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「あうっ……テュルケ、手伝って!! 柱の陰に!!」
「カイトさん!? はっ、はいですっ!!」
「ノウェムも!!」
「アッハーーッ!! ザマアアアアアアアアァァァァッッ!!」
……
…………
………………
視界が……暗い……。
慌てるリシィたちの声が聞こえる……
それに紛れ……楽しそうなアリーの笑い声……。
また遊んでいるのか、その油断……いつか命取りになるぞ……。
体が重い……だけど、軽い……何だこれ……。
「カイトさん!?」
「サクラ……カイトが……カイトが……どうすれば良いの……」
「リシィさん、大丈夫です。生身は外れています、意識がないだけです」
大丈夫……僕は意識があるし、意識があるのなら生きてもいる……。
「カイくん!?」
「ルコさん! 近付けないようにお願いします!!」
「わ、わかった! カイくんをお願い!」
ルコが一人で抑えているのか……?
僕はもう大丈夫だから……皆で支援を……。
グゥッ……右腕が熱い……何なんだ……。
「うっ……」
「カイト!?」
「主様!?」
「カイトさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫……。どう……なった……?」
「狙撃されたようです。体は他に異常ありませんか?」
「『他に』……?」
僕は揺れる視界で、リシィに抱かれた自分の体を見た。
無事……無事だ……出血も見られない……。
ただ、右腕が……右腕が……。
神器の右腕だけが、なくなっていた。