第七十八話 “迷宮廃塔アルスナル”
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「後はこの塔を下層階まで降りるだけです」
「ようやくか……。この塔だけ他とは雰囲気が違うけど、何か意味が?」
「はい、ここが主塔になります。意思を持つ、本来の“迷宮廃塔アルスナル”ですね」
「なるほど……消耗させて最後で叩く、実に意地が悪い」
第四界層に入ってから一週間、ここに現れる墓守は小型の針蜘蛛だけなので、戦闘面に関してはルコもいる分かなり楽だ。
人とはやはり慣れるもので、二日三日と経つ内に重力異常にも慣れ、案内のサクラとルコの後を軽快に追従することが出来ていた。
そして、後は空中回廊を抜けて進入したこの塔を降りるのみ。
塔内は窓のある外周通路以外は基本的に暗闇だけど、この最後の塔だけは所々にある鏡面の柱が目映く光を放っている。
「この柱は何なのかしら」
「何だろう……。ルコは何か知らないのか?」
「わかるのは、柱の周りだけ重力が安定してるくらいかな。弱いけどね」
ルコの言う通り、確かに鏡面の柱の周囲は本来の重力方向に安定しているようだけど、若干弱いから小石くらいならしばらく滞空しているんだ。
これは、重力制御のシステム中枢なんじゃないか……。
「主様、壁が波打ちこちらに向かって来ておるぞ」
「うわ、あれが意思を持つ塔か……。破壊は出来るのか?」
「いえ、塔を崩しでもしない限りは無理でしょうね。走り抜ける以外にありません」
「仕方ない、走ろう。サクラ、ルコ、先行を頼む」
「はい!」
「まっかせて~!」
意思を持つ“迷宮廃塔アルスナル”、理屈はわからないけど、この最後の塔だけはそれ自体が探索者の行く手を阻むらしい。
その光景は何とも珍妙で、壁どころじゃなく床も天井も波打って僕たちに迫り、石材が次々と持ち上がる様は、裏側を何かが這っているようにも見える。
重力異常と生きる迷宮……どうなっているんだろうな。
「えいっ!」
ルコが腕を薙ぐと、手から迸った青光が通路の全ての面を疾走った。
彼女自身も青光の後を追うように、石材の合間を止まらずに駆け抜けて行く。
僕たちはついて行くだけでもやっとだ、ルコが通路を縦横無尽に駆ける様は芸術的にも思える。昔から運動神経は良かったけど、ここまでじゃなかったな。
ツルギさんが『イレギュラー』とまで言う所以、今なら良くわかる。
本当に、ルコに何があったんだ……。
――ゴッ! ゴンッ! ゴゴンッ!
走る僕たちの際で、廊下の至るところから石材の柱が突き出てきた。
「リシィ!」
「キャッ!?」
「ふわわっ、危ないですですっ!」
「くふふ、他愛な……あ痛ーっ!?」
僕はリシィを押し潰そうとした石材を咄嗟に殴って砕き、同様に迫られたテュルケも危なげなくステップを踏んで躱した。ノウェムは転移で避けたものの、反転する重力場に捕まってまた頭をぶつけている。
「カ、カイト、助かったわ」
「ぐぬぬ……また……」
「皆さん、大丈夫ですか!?」
「こっちは大丈夫。サクラもルコも無事か?」
「はい、あっ!?」
サクラが返答するも束の間、続いて通路の先の壁がこちらに迫り始めた。
通路の高さと幅一杯のため逃れる隙間はなく、勢いは電車と大差ない。そしてそれは背後からも同様に、僕たちは前後を完全に挟まれてしまい逃げ場がない。
砕いてどうにかなるか……いや、脇の壁を破壊して逃げ道を……。
「ほいっ!」
だけど迫る壁は、ルコの気が抜けた一声とともに砂塵に変わってしまった。
「え……今なにを……」
「砕いたんだよ~。どんなに大きくても、千回も貫けば砂になるでしょ?」
「はあ?」
ルコはさも当然のように言っているけど、それが散歩に行くような気軽さで行われたんだ。神器の恩恵があっても、一瞬だけ青く光ったようにしか見えなかった。
人の神力とは、ここまでのことが出来るのか……。
「あは、カイくん、今度は鉄球が転がって来たよ! 昔テレビで見たよね~」
「そ、そんな映画もあったけど、まずは何とかしよう」
「了解っ!」
ルコはそう言うと、緊張感もなく通路の幅一杯の大鉄球に向かって行った。
流石に今度は砂にはならなかったけど、ルコが腕を振るうたびに鉄球は砂団子のように断たれ、乗り越えられるただの障害物となってしまった。
「凄いわ……私たちにも同じような力の使い方は出来ないかしら」
「今のところ、僕には無理かな……。自分の神力は姿形すら見えないんだ」
「ルコさんは初めからあの状態でしたが、深層で助けられたと言うお婆さんに何か秘密があるのでしょうか?」
「間違いないだろう。来訪者が皆、ルコのようだったら大変だ」
「ふむ? 我には酷く不安定な力に見えるが……人のことは言えぬか」
その後は、ルコを先頭にしてただひたすら走った。
どこに居ても壁が迫って来るため野営地はなく、休憩すら出来ないんだ。
階段に擦り下ろされそうになった時はかなり焦ったけど、それもルコが青光の大剣で切り裂いてことなきを得た。
本当に意味不明なほどに凄い、あの力を僕も使えれば……。
―――
「ふぅ~、ここまで来ればもう大丈夫だよ~。みんなお疲れ~」
どれだけ走ったのだろうか、大きな背嚢を背負ったまま天地もなく駆けずり回るのは、神器の恩恵がなかったらとっくに音を上げてしまっていただろう。
だと言うのに、ルコは汗もかかずに平然と辺りを見回している。
「はぁっ、はぁっ……。す、少し腰を落ち着けても良いかしら、はぁっふぅっ」
「ああ、しばらく休憩にしよう。ここは大丈夫なんだよね?」
「はい、この下がもう第五界層の入口ですね。この広間なら安全ですよ」
「良かった。今晩はここで野営にしようか」
「はい」
螺旋階段を下り、扉を抜けて辿り着いた場所は広間だった。
野球場ほどのドーム型の内部には、三、四十本の鏡面の柱が林立していて、テレビで見たことのある首都圏外殻放水路のようだ。
おかげで、窓もないのに内部は昼間のように明るく、鏡面が光を反射する様は幻想的でもある。
改めて鏡面の柱に近づいて良く見ると、柱は真円じゃなく楕円形だ。
規則正しく均等の幅で同じ向きに並び、巨大なコンピュータールームに見えないこともない。広間の最外周にはドームを支える石造りの柱が並んでいて、あれが恐らくは塔の本来の柱だろう。
ここは塔の心臓部だろうな。他にはなくて、この主塔にだけあるということは、間違いなく廃塔アルスナルを稼働させているメインフレームだ。
最悪は、この塔自体が墓守なんじゃ……。
「キラキラして綺麗ですです~!」
「本当にね。詳しく調べたいけど、隙間もないからナイフの刃も入らない」
「主様、我はこれと同じものを見たことがあるぞ」
「え……どこで?」
「セーラムの地。地上の者が【天の境界】と呼ぶ場所でな」
鏡面の柱がオービタルリングにある……?
やはり、重力制御関連の何らかの装置としておくべきか……。
それなら、崩壊したスペースエレベーターが倒壊しない理由にもなる。
「そうか……それについて知っていることは?」
「我でも年に一度しか入れぬ場所であった、詳しく知る前に放逐もされたからな」
「あ、ごめん……ノウェム」
「良い、頭を撫でてくれれば許すぞ」
誘導された気がするけど仕方ない。
「よーしよし」
「くふふふふふふ」
「カイトさん、私もどうぞです~」
「ん? 撫でて欲しいのか?」
ノウェムの頭を撫でていると、テュルケもピョコリと猫耳を突き出してきた。
テュルケは耳の裏を撫でられるのが気持ち良いみたいで、たまに撫でくり回していたらどうも癖になってしまったようだ。
「ふーん……仲が良いのね……」
「あわっ、姫さまっ!?」
「あわわ、いつの間に!?」
「ずっといたわよ、浮気の常習犯さん」
リシィがいつの間にか背後にいて、いつもならジト目で睨むのに、今回は目すら合わせてくれずにそっぽを向いている。
別に邪な気持ちはなかったけど……怒らせてしまっただろうか……。
あれ……だけど瞳は赤でも紫でもなく、何故か青色だ。
これは、悲哀……?
「あ、あの……リシィの頭も撫でるよ?」
「ふざけないでっ! 主の頭を撫でる従者がどこにいるのよっ! ふんっ!」
「あっ、姫さまーっ!?」
あああ、リシィは怒って行ってしまった……。
だよな……前も同じことで機嫌を損ねたから、当然だ……。
リシィは追いかけたテュルケと、野営の準備をしていたサクラと何か話している。
こちらに背を向けているからわからないけど、目を拭っているようにも……。
まさか……泣いて……。
「ふむ、儚きは素直になれぬ乙女心よ。あれは流石に、不器用なら不器用なりに心を寄せた方が良いのではないか?」
「う……だけど、どうすれば……」
「真に至るは偽りなき真心ぞ、主様よ」
そうか、変に誤魔化そうとするよりも、まずは謝るべきだったんだ。
これじゃ『浮気者』と言われても仕方ない……ちゃんと謝ろう。
「カイくん、何か来た」
だと言うのに、周囲の確認をしていたルコが戻って来て告げた。
この最悪なタイミングで来る相手なんて……。
「遅い、遅い、遅い、遅い、遅おおぉぉぉぉいっ!!」
広間に少し舌っ足らずな怒声が響いた。
「どれだけ待たせれば気が済むノッ!? こっちから来てやったわ背信者ァッ!! 出て来なさいっ、アリーが直々にぶち殺してあげるカラァッ!!」