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第七十七話 反転する世界 惑乱の魔宮

 迷宮下層第四界層“迷浮塔界アルスナル”――十三の大塔の内で人を惑わす異界、界層そのものが侵入者を阻む番人、“迷宮廃塔アルスナル”。


 第四界層に入ってからまだ一時間、僕は既に帰りたくなっていた。

 ここは“迷宮”と言うよりも“魔宮”だ。進むほどに上下感覚を失い、僕たちは翻弄されるまま満足に進むことすら出来ていない。


 これが、【重積層迷宮都市ラトレイア】下層の洗礼か……。



「うぇぇ……気持ち悪いですぅ……」

「テュルケよ、まだ一時と経っておらぬぞ。この先が思いやられる」

「ノウェムさん、飛んでるのずるいですです! 私も一緒に!」

「わっ、やめんか! 力場の方向が……あーっ!?」



 ノウェムはテュルケに飛びつかれ、落ちて天井(・・・・・)に頭をぶつけた(・・・・・・・)


 『迂闊に足を離すと、どこに落ちるかわかりません』と、サクラから説明を受けたばかりなのに、何をやっているんだろうか。


 僕たちは第一拠点で二日の休息を取り、直ぐ下層に入っていた。

 もう少し休みたかったところだけど、第一拠点は狭過ぎて墓守の迎撃には不向きで、ルニさんに後詰めを頼んで足早に出発したんだ。



「お二人とも大丈夫ですか? その辺りは重力が反転しているので、踏み外さないようにお気をつけください」

「うぐぐ……何と厄介な……。たんこぶが出来てしまったではないか」

「あうぅ、ごめんなさいですぅ」



 この階層は、赤茶色の石造りの廊下がただ続いているだけに見える。

 入り組んで迷路染みてはいるものの、通路は高さ五メートル、幅三メートルほどで特にこれと言った危険があるようには思えない。


 では何が問題かと言うと……重力の作用方向が場所によって変わり、その重力でさえ一定でないことが、帰還を余儀なくされるほどに大問題なんだ。

 つまり、時に壁が時に天井が床面となり、迂闊に踏み出した先の重力次第では宙に投げ出される。


 まともに歩くことすら困難な惑乱の魔宮、“迷宮廃塔アルスナル”。



「空間制御に重力制御……神代への興味は尽きないな……」



 僕は独り言を呟きながら、窓から外の景色を眺めてみた。

 と言っても今は壁が足場で、足元を覗き込む形になっているけど……。


 窓の外には、灰色の空と景観一杯を埋め尽くす幾つもの塔が見える。

 “バベルの塔”を連想する大塔が乱立し、空中回廊で連結される様はまるで蜘蛛の巣だ。全部で十三ある廃塔群はどこか退廃的な雰囲気が漂い、人が行き過ぎた未来で形作るディストピアを思い浮かべてしまう。


 塔の上下方向に終わりが見えないんだけど、どうなっているんだ……。



「カ、カイトは良くそんなところを覗き込めるわね……」



 リシィは瞳を真っ青にしながら、少し離れて僕の様子を見ていた。



「ああ、高所に住んでいたから慣れているんだよ。リシィは高いの苦手?」


「え、ええ、素直に白状すると高いところは苦手なの……。ずっと平野の暮らしだったもの、館の二階以上の高さなんて近づきたくもないわ……」


「手を貸して。僕が絶対に離さないから、そこから進もう」

「ええ……」



 リシィは意外と素直に手を伸ばして来た。本当に苦手なんだろう。


 窓の大きさは人一人が通れるほどとあまり大きくない。それでも彼女は避けて歩くのも怖いようで、瞳どころか顔まで青褪めてしまっているんだ。

 次はノウェムが身をもって示した通り天井が床となるから、そのままリシィを天井側に誘導する。


 見えない重力の作用は本当に厄介だな……。



「サクラ、これじゃみんなの負担が大きいから、今日は早めに野営地を決めたい。どこか良いところはあるか?」



 僕は、既に天井に移動しているサクラに質問した。


 塔の全てを上り下りする必要はなく、既に確立された道程を進めば良いだけなので、行程としては五日ほどだそうだ。

 だけど、反転する通路に平衡感覚は麻痺し、足場を確認しながらの牛歩は必要以上に時間だけを削いでいく。慣れるまでは、出来るだけ頻繁に休憩を取りたい。



「はい、そうですね、空中回廊の手前に野営地がありますので、今日はそこで休みましょう。休憩を挟んで昼過ぎの到着になります、皆さんは大丈夫ですか?」



 皆は思い思いに頷き、どことなく安心したような面持ちだ。



「カイくん、それなら私が近道を作るよ。一時間くらいの短縮にはなるかな?」

「うん? どうするんだ?」

「あは、簡単簡単、壁を壊せば良いんだよ~」

「えっ!? ルコ!?」



 何がどうなったのかは良くわからなかったけど、青光が瞬いた次の瞬間には足場の天井に大穴が空いていた。いや、確かにそんなダンジョンRPGもあったけど……まさかそれを現実で目の当たりにするとは思ってもいなかった。

 なるほど、どうせ元に戻るし、律儀に通路を進む必要はないのか……。


 開いた穴を覗き込むと、その先は何とも奇妙な光景だ。

 壊された天井の瓦礫は穴の向こうに落ち、その先で方向を変えて壁に貼りついている。つまり、今度は壁が床面になっているんだけど、既に自分で何を言っているのかも良くわからなくなっていた。


 これが、ここを通る探索者を混乱させる、下層最大の難所たる所以だ。

 何かもう、サクラとルコ以外は皆ぐったりとしてしまっている。


 これは目も回るだろうな……。



「みんな、少し休憩してから進もうか」




 ◇◇◇




「うっ、気持ち悪い……」

「リシィ、大丈夫? 背中を擦ろうか?」

「だ、大丈夫よ……触らないで……」



 吐きそうだけど、カイトの前で吐くなんて絶対にイヤ。

 それなら無理をしてでも飲み込んだほうがマシよ、幻滅されたくないもの。


 野営地を決めてから三度壁を通り抜け、丁度四時間で辿り着けたわ。

 天地の方向が変わっているだけなのに、廊下を床も天井もなく歩くのはこんなにも負担があるものなのね……。今は目が回って起きているのも辛いの。



「リシィ、僕の服で悪いけど、枕を作ったから横になって休んで。あっ、勿論洗濯してまだ着ていないから綺麗だよ!」



 カイトが隣で何かを作っていて気になっていたら、枕だったのね。

 いつもの布を巻いたもので良いのに、膨らませて柔らかくしてくれている。


 優しい……べ、別にカイトが着たものなら私は……。



「え、ええ……そうさせてもらうわ」

「うん、僕は昼食の用意をしているから、何かあったら呼んで」



 あっ、行ってしまった……。もう少し傍にいて欲しいと手を伸ばそうとしたけれど、吐き気のある体は思うように動かず、ただ寝返りを打っただけ。

 カイトも同じ道を歩いたはずなのに平気そうね……どうして何ともないのかしら。


 野営地にした部屋は、どれだけの探索者が通り過ぎて行ったのか、今も残る野営の後がいくつもあった。

 広さはちょっとした屋内練武場ほどあるわね。壁で仕切られた隣に水場があって、進行が困難な割に水の確保は出来るのよね……不思議だわ。


 この先の界層に、ラトレイアの城下町と本城があるとのことだけれど、それならこの塔は一体何なのかしら……。



「リシィちゃん、大丈夫?」



 ルコが近づいて来て私の隣に腰を下ろした。



「ええ、ルコも平気そうね。来訪者は皆この界層は平気なの?」

「どうかな~。私は何度も通って慣れてるだけだし、カイくんはああ見えて小さい頃から運動神経は良かったから」

「そう、カイトは運動よりも読書ばかりをしている印象だわ」


「あは、あれでも小さい頃は戦隊アニ……正義の味方に憧れて、いつも一緒に走り回ってたんだよ」

「正義の味方……カイトらしいわね」


「うん、今も変わらずカイくんは“正義の味方”で、私ね嬉しかったんだ~」



 カイトの小さい頃……何だか想像が出来てしまうわね。

 きっと誰かのために奔走して泥だらけになって、次の日もまた懲りずに走り続けるんだわ。見たこともないのに、まるで自分の記憶のように思い浮かぶの。


 幼いころ……私も……彼と……。



「あは、やっぱりリシィちゃんは、カイくんのこと凄い大事にしてくれてるんだね」

「えっ……な、なにを急に……」


「だって、カイくんを見るリシィちゃんの瞳の色って、凄く綺麗な緑色だもん。それって信頼してる相手に対してだよね」

「や、やめて、からかわないで! 瞳の色の話はまだ恥ずかしいんだからっ!」


「別にからかってないよ~。だって本当に綺麗なんだもん、私は羨ましいな……あっ、見回り行って来るね。ここ、針蜘蛛くらいしかいないけど~」


「ええ、気を付けてね、ルコ」



 そんなことを言うと、ルコは元気に野営地から出て行った。


 うぅ……自分の瞳の色のことを知ってから二週間は経つわよね……。

 大分慣れたと思うのだけれど……言われると恥ずかしいし、カイトと目が合うとつい逸らしてしまう……嫌な思いをしていないかしら……。

 彼の懸命さと優しさに同じくらい真摯に向き合いたいのに、私は……私は……。


 ……そうよね、少しは気分も楽になったから、今くらいは何かしてあげたいわ。


 私は体を起こし、不器用に缶詰を開けているカイトに近づいて行った。



「カイト、枕を返すわ」

「あれ、もう大丈夫なのか? まだ休んでいても良いよ?」


「私だけ休んでいるわけにはいかないもの。その缶詰を貸しなさい。べっ、別に貴方のためじゃないのっ、そんな不器用では日が暮れてしまうから仕方なくよっ!」



 あっ。

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