第七十四話 好いた惚れたは狂信を駆逐するか?
『ゴザル』……唐突に現れた男は確かに日本語でそう言った。
坊主に近い茶色の短髪と碧眼に、服はデザート迷彩の軍服と同色のブーツ、背にはテュルケの身長ほどもある銀色のケースを背負っている。
それで身の丈は二メートル近くもあり、服の上からでもわかる盛り上がった筋肉は、日本人ではなかなか至らない域だ。
アレクシア チェインバースの相方、信奉者の一人、ニコラス ミラー。
このタイミングで、何故こいつが宿処に来る……?
しかも“認識阻害”能力を持ちながら正面から堂々と、何が目的だ。
ミラーは右手を背に回して油断なく室内を見回し、見ようによっては優しげに見える細い目とそれが収まる細面は、どこか緊張しているようだ。
その後手にしたものがハンドガンであろうと手榴弾であろうと、この間合いなら一瞬で取り押さえることが出来る。させはしない。
そうしてミラーは、大股で一歩を踏み出したかと思ったら跪いた。
そのまま後手から取り出したのは花束で、差し出した相手はサクラだ。
「……はっ?」
「……えっ?」
当然、皆の頭の上にはクエスチョンマークが浮かび、いつの間にか縄を取り出していたアケノさんでさえ『ん?』と首を傾げている。
彼が持つのは、どう見ても薔薇に似た赤い花でいっぱいの花束だ。
「せ、拙者、アナタ、一目惚れ、ゴザル! スキデス!」
……
…………
………………
「はあっ!?」
ニコラス ミラーは、何故か片言の日本語でサクラに告白した
―――
とりあえず、僕たちはミラーを拘束して話を聞いた。
それによると、巨鷲との戦闘の際、スコープ越しに見たサクラに一目惚れしてしまった、と言うのが事の顛末らしい。
だから狙撃することもなく、アケノさんたちの包囲を逃れて姿をくらましたそうだ。
「本当に?」
「ホントウデス」
「何で日本語?」
「サクラサン、日本スキ」
「何でゴザル?」
「拙者、時代劇スキ、ゴザル」
これは、完全に日本文化好きな外国人だ……。
それでサクラに目をつけたのはわかるけど、和服を着ているだけで日本好きとはわからないだろう……まさか、ストーキングはしていないよな?
「なるほど、アレクシア チェインバースと行動をともにしていたのは、その辺りの趣味が似ていたからか」
「アリーにオタクカルチャーオシエタ、拙者でゴザル」
「そ、そうか……」
「……みんなが首を傾げているから、この世界の言葉でお願いします」
「カタジケナイ」
「あは! 日本語上手だね!」
「サンキュー!」
そこも『カタジケナイ』じゃないのか!
と、とりあえず、ニコラス ミラーはアケノさんによって両手両足を縛られている。
抵抗する意思もないようで、本当に告白に来ただけなのか、サクラの様子を気にして仕草だけなら恋する乙女のよう……もとい男だ。
「頂いたお花を花瓶に生けてみました。いかがでしょうか?」
サクラが花瓶を両手に宿処の奥から戻って来た。
ミラーを見ると、彼は細い目を更に細くして破顔したので、これは本気だ。
サクラもサクラで随分とマイペースで、告白されても特に気にしていないよう。
「ひょっとして、ケモミミ娘も好き?」
「イエス!」
「和服だから大和撫子に見えた?」
「イエス! でゴザル」
「僕も好きだよ?」
「同志!」
ミラーの僕を見る目まで変わった。
なんだこの人、色々とちょろいな……。
「経緯はわかったけど、これは神に対する背信になるんじゃないのか? アレクシア チェインバースが知ったら、僕とまとめて何をされるかわからないよ?」
「ご心配痛み入る。最初こそこのワールドの“神”を信じたが、拙者が真に信奉するものはオタクカルチャーだけでゴザル。それを思い出させてくれたサクラサンに、拙者は身も心も捧げるでゴザル」
結局、語尾に『ゴザル』が付くのは変わらないようだ。
「えっと、サクラ……と言うことらしいけど……」
「ごめんなさい、私はカイトさんのためだけにあります。お気持ちは嬉しいですが、それにお応えすることは出来ません」
身も蓋もなく、サクラは丁寧にお辞儀をして終わった。
ミラーはその返答を聞いて僕を見ながら悲しげだ。
どうしようもない。
「ミラー、例え己の想いを遂げられずとも、潔く生きることこそが武士の矜持にして本懐だ。悲しみを心根に、お天道さまを真っ直ぐに見据えて強く生きていけば、いつか報われる日も来るさ」
「オォウ、リアルサムラァイ……」
ごめんなさい、それっぽいことを適当に言っただけ。
だけど、ミラーは悲しいのか感動したのか、涙を流しながら神妙に頷いている。
この人は憎めない上に同情を禁じ得ない、戦闘にならなくて本当に良かった。
「結局、何なの……」
意味がわからず、リシィは眉根をひそめた。
僕にも良くわからない、何だろうね……。
「あはっ、この人がね、サクラちゃんに愛の告白したんだよ!」
「んっ!? あああああいのこここくはくっ!?」
ルコの説明でリシィは僕を見て、慌てて三階に上がって行ってしまった。
瞳の色が明滅して尻尾まで跳ね上がっていたから、刺激が強過ぎたのか。
リシィは後でフォローするとして、今は……。
「ミラー、取引をしないか?」
「殿のご随意にゴザル」
誰が殿だ。
「僕からの要求は、全ての武器をルテリア行政府の管理とすることと、アレクシア チェインバースの情報を話すこと。それに対して僕が提示するものはひとつ、いつでもこの宿処に遊びに来ても良い。どうだ?」
「オーケー!」
「即答!?」
これは取引にもなっていないな……現金と言うか即物的と言うか……。
「サクラサンに会えるなら、拙者は報われる日までアピールするでゴザル!」
あっ……この人はまだ諦めていなかったのか……。
僕が適当に言ったことを、変な方向にポジティブに捉えたようだ。
サクラ、ごめん……。
「じゃ、じゃあ早速だけど、アレクシア チェインバースの居場所はわかるか?」
「アリーの現在地は知らないでゴザル。牛女神は第六界層に待機させてた、移動させてなければでゴザルが」
「彼女の固有能力について知っていることは?」
「“墓守操作”。拙者が知ってるのは、操れる数に上限があることでゴザル」
「上限……具体的にはどのくらいだ?」
「同時操作が可能なのは小型だけで五、六体、小型四体で大型一体分でゴザル」
「なるほど、巨鷲一体だけだった理由もそれなりにあるか……」
ミラーの登場は青天の霹靂だったけど、僕はこの男の存在がピンク色の突破口になると直ぐに気が付いた。
“狂信”から目を覚まさせる突破口。深度のようなものがあるのかも知れないけど、目を逸らす何かがあれば、盲信からも目を覚ますと彼が証明している。
質問を続けよう。
「彼女の両親について、何か知っていることは?」
「当然知ってるさ! でゴザル。アリーの父親とは親友で、彼は我が国のA-10サンダーボルトⅡのパイロットをしてるのさ! でゴザル」
なるほど、それで巨鷲に父親を重ねていたのか。
「母親は?」
「アリーはオレたち……拙者たちのアイドルでゴザル!」
「ん? 母親も同じ名前?」
「母親はアリシア。アリーを溺愛して、い、今頃、ウッ……探し回って、ウォオオオッ!」
涙脆いのだろうか、ミラーはいきなり泣き始めた。
うーん……墓守を両親に見立てるほどだ、かなり大事にされていたことはわかるけど、本人を連れて来ることは出来ない。これは突破口にならないか。
むしろ、だからこそ会いたい帰りたい気持ちを利用されたんだろうな……。
とすると、残された可能性は“日本文化好き”だ。
ミラーが例外か、信仰を捨ててまで寄るものが果たしてあるのか。
「カイトくん、カイトくん」
「はい?」
アケノさんが部屋の隅で手招きをしているけど……何でだろう、ミラーよりも彼女のほうが余程不審者に思える。
僕はわざとらしく、訝しげな表情を作って彼女に近付いた。
声を潜めた内緒話は、傍から見たら凄く怪しい。
「それで、何ですか?」
「あのね、カイトくん。ちょっとお姉さん、素敵な作戦を思いついたんだけど……」
「何でアケノさんが言うと不安しかないんでしょうか」
「あっ、ひっどい! 私だって、責任ある大人なのよ! 多分」
「そこは言い切って欲しかった……」
結局、アケノさんの『素敵な作戦』とやらは、それなりに理に適ったものだった。
要らない自己申告をされたけど、まあそう言うこともあるだろう……と、僕は自分自身を無理やり納得させてその作戦に乗ることにした。
後は女神牛の討滅の手段。彼女の執着を考えたら、乗り換えるようなことはないと思うけど、墓守の随伴が増えるのは想定しておくべきだ。
信奉者はまだもう一人いる。合流される可能性も考えると、やはり最善の道程は針の穴よりも細い。
それでも貫き通す、僕自身の正義のために。
僕の内にある“正しきをなす”この衝動、これもまた“三位一体の偽神”によって増幅された執着なのかも知れないな……。