第八話 エルフ と 戸惑い
階段を下り切る頃には陽も落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。
辿り着いた場所にある大きな建物は、サクラの話では探索者ギルドだと言う。
内部は木の枠組みと石壁が重厚さを演出し、至るところに美術品を飾るように武器防具が配置されている。左手にカウンター、右手には広い待合室、既に人はまばらで、並べられたテーブルの合間ではギルド職員が掃除をしている。
「今はあまり人はいないんだね」
「はい、この時間ですと、探索者の方は迷宮か酒場に行っていますね」
サクラの言う通り、探索者のパーティは見た限りでは一組しかいない。
「あらサクラ、慌てて出て行かれたと思いましたら、そちらの方はどなたですの? リシィさんとテュルケさんも、お帰りなさいませ」
そう言って、書類の束を抱えた職員の一人が声をかけてきた。
淡い緑色の長いウェーブヘアが目を引き、切れ長な碧眼のスラリとした女性。そして何よりも目立った特徴に、長く尖った耳がある。
ケモミミ娘がいたことから期待はしていたけど……間違いない、エルフだ。
僕に向けられた涼しげな視線に、少し緊張してしまう。
「こんばんは、エリッセ」
「こんばんはですです!」
「カイトさん、こちらは探索者ギルドの職員で、私の同僚の……」
「エリッセ アーデラインと申しますわ。以後お見知りおきを」
僕に向けての丁寧なカーテシー。
森の住人のエルフと言うよりは、貴族のご令嬢の印象だ。あくまで僕の先入観だから、大都市に住まう貴族のエルフがいても別におかしくはない。それに彼女は、それだけの洗練された雰囲気を身に纏っている。
「僕はカイト クサカと言います。よろしくお願いします」
こちらも直立不動で丁寧にお辞儀をする。
「クサカさま……でしたらやはり、来訪者の?」
「はい、たった今迷宮より保護されまして、私がご案内をしています」
「そうでしたの。クサカさま……」
「はい?」
「このような世界に突然迷い込まれ、さぞや驚きになられたことでしょうけれど、サクラ共々これからよろしくお願いいたしますわ」
「は、はい、こちらこそ」
エリッセさんはにこやかに、僕は少し緊張して言葉を交わす。
緊張の理由は、彼女の存在そのものの“格”が違うように思えるからだ。
何か存在密度のようなものが違う。僕の妄想の中では、戦場の只中を優雅に歩いているイメージが、既に出来上がってしまっている。
日本でも、何か違う……と思う人はいたけど、この人は桁違いだ……。
二言三言、少し言葉を交わしただけでこれとは……。
「エリッセ、今日はもうおしまいですか?」
「いえ、違いますわ。“砲狼”が浅層で確認されたと情報が上がっていて、これから行政府に行って参りますわ」
「砲狼が……? 何事もなければ良いのですが……」
……カノンレイジ?
“カノン”には聖典とか音楽方式とか、それこそカノン砲の意味があるけど、まさか音響兵器を搭載した墓守じゃないよな……。
と言うか、翻訳器によるものではなくて、明らかに彼女たちは『カノンレイジ』と発音している。『アーティラリー』にしてもそうだ、名づけは地球人なのか……?
「そう言えば、先程テュルケさんが、窓口で墓守回収の手配をしていらしたけれど、砲兵と戦闘になったと聞きましたわ」
「ですです。外周路で遭遇しましたです!」
「外周路で……? まさか……」
「本当よ。外周路は安全と聞いていたけれど、通路を塞いでいたわ」
「サクラ、その辺りの詳しい事情の聞き取りは、お任せしますわ。私はもう出なくてはいけませんの」
「はい、お任せください」
端的に聞く限りでは、どうも不穏な事態がどこかで進行している気がする。
突然増えた来訪者の保護にしてもそうだ、何事もなければ良いのだけど……。
「では皆様、私はこれにて失礼いたしますわ。またの機会にお会い出来ることを、お待ちしておりますわ」
サクラのお辞儀に合わせて、皆思い思いに彼女を見送る。
颯爽と建物の外へ去っていく姿は、足運びからしてキビキビと、出来る女性そのものの姿だ。やはり只者じゃないんだろうな。
「では、私たちも行きましょうか」
―――
サクラに促され、両開きの重厚な扉から外に出た僕は、またしてもその景観に圧倒されてしまった。
ギルドの前にある噴水は綺羅びやかに装飾が施され、街灯の明かりは地球の都市と何ら変わりなく周囲を照らしている。
通りに軒を連ねる屋台からは、香ばしい良い匂いが漂ってきて、今日一日保存食しか口にしていなかった僕は、思わずお腹を鳴らしてしまった。大きな肉の塊を焼く音が食欲をそそり、それに貪りつく探索者たちの笑顔が、食べずして確実に美味いと僕に伝えている。
それにしても、街灯の明かりは火じゃないな。電気があるのか。
翻訳器があるのだから、魔道具のようなものがあるのかも知れない。
そもそもスペースエレベーターがあるし、数十人もの地球人もいるし、科学未発達のファンタジー世界だと思うのは僕の偏見か。
「カイトさん、今ここで何かお食べになりますか? 宿処に着いたら、お食事をお出ししますが」
お腹を空かせた僕の様子に気がついたのか、サクラがそう申し出てくれた。
ありがたいけど、今はな……墓守の蠢いていた“肉”を思い出してしまう。
「お腹も空いているけど、今は休みたい。屋台はその内に」
「はい、でしたら何か、軽く食べられるものをお出ししますね」
「おー、それでお願いします。ありがとう」
疲労も限界に近い……今なら立ったまま眠れそうだ……。
本当に疲れた、もうベッドに飛び込みたい……。
馬車に乗り込む頃には、朦朧とした意識は既に半分夢の中に入っていた。
何か柔らかい感触が僕の頭を包む。優しい甘い花の香り、僕は完全に寝落ちした――。
◇◇◇
何か……胸がドキドキするわ……。
今、目の前でサクラに膝枕をされているカイトを見ていると、妙に胸が騒ぐの。
馬車に乗って直ぐに寝てしまった彼の頭を、サクラが自分の膝の上に乗せただけなのだから、特に思うようなことは何もないはずなのに……。
……そうよね。
知らない場所にきて、それも別の世界に迷い込んで、得体の知れない存在に襲われるなんて、考えるだけでも大変だもの。明日からもきっと大変なのだから、今は少しでも彼を休ませてあげないといけないわ。
「リシィさん、テュルケさん、先程の……砲兵について、詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
走り出した馬車が大通りに入って、揺れが少し収まったところで、サクラが静かに口を開いた。
隣に座るテュルケが、眠る彼に配慮して声を出さずに頷いている。
「ええ、構わないわ」
「では、本来砲兵は第二界層以降にしか現れないはずの墓守です。それが外周路にいたとなると、事情も変わってきます。侵入路などは確認出来ませんでしたか?」
「ごめんなさい。倒すのもやっとだったのと、カイトが足の怪我をしていたから、帰還を優先させたわ」
「いえ、私もきっとそうしていたでしょうね。賢明な判断だと思います」
「ありがとう」
私もあまり詳しくはないのだけれど、外周路は迷宮に入る時に必ず通るから、墓守が侵入しないように念入りに封鎖されていると聞くわ。砲兵のような、十メートルを超える墓守は物理的に侵入が不可能で、迷宮内は空間が歪んでいると言っても、上層のそれも外周路ではない。
何か、迷宮内では良くないことが起きているの……?
私の目的に影響するのなら、あまり好ましくはないわね……。
「では次に、砲兵をどうやって倒したのかを聞いてもよろしいですか? 射界が限られる通路では、かなりの強敵となってしまうはずですが……」
「ええ、恐らく私とテュルケだけでは、逃げるしかなかったと思うわ」
「ですです、カイトさんがいなかったら怪我してましたです」
「カイトさんが?」
「彼の指示に従ったら、不思議なほど容易かったわね」
「カイトさん凄かったです! ズザーッて砲兵の下に滑り込んだんですんにゅ!」
話しながら、少しずつ声を大きくしていくテュルケが、それに気がついて最後に自分で自分の口を押さえた。
確かに、そのくらい興奮してしまう活躍だったものね。
「装甲が傾斜していると逸らされてしまうから、垂直にする必要がある、と言っていたわ」
「そうでしたか……やはりカイトさんも、私たちにはない知識を持っていらっしゃるのですね」
そう言って、サクラは自分の膝の上で眠るカイトの黒髪を撫でる。
……何か、胸がモヤモヤするわ。
黒騎士と同じ黒色、私が持つ神器にさえないその色彩。
それに容易く触れてしまったサクラが、少し羨ましいわ。
……あれ、羨ましいの?
自分の内に芽生えた感情の正体がわからない。
これは、戸惑い……?