第七十三話 終わらない狂日
ノウェムの元を離れ、ニ階に下りると見慣れない人物がいた。
「みんな、おはよう」
「おはよう、カイト」
「おはようございますです!」
「カイくん、おっはよー!」
「……何をしているんだ。ルコ」
リシィたちに紛れて円卓に座るのは、五十蔵 瑠子だ。
時刻はまだ早朝六時で、泊まったわけじゃないので朝早くに来たんだろう。
「カイくん、昔みたいに『ルーちゃん』で良いよ?」
「それは、何か照れくさいんだ……。そう言えばルコは年上だったよな、明らかに僕よりも若くないか?」
「私もあんまり覚えてないけど、まだ十七歳くらいだよ。ずっと迷宮の深層にいたし、この世界に来る時もズレるみたいだよ?」
「そう言うものか」
ルコとは家が隣同士、同じ幼稚園に通っていた幼馴染だった。
先に小学校に上がったのは彼女だから、僕よりも年上だったのは間違いない。
それが迷宮の時間の歪みで年下に……。
本人はしれっと言ったけど、深層で生き延びていたのか……?
「二人は何を話していたんだ?」
階段を下りて来る時に、リシィとルコは何かを話していた。
楽しそうに何かを話すルコと、それを真剣な表情で頷きながら聞いているリシィ、どこか元からの友人のようにも見えた。
「えと……その、彼女の子供の頃の話を……」
「リシィちゃんがね、カイくんの小さいこモガァッ!」
リシィが慌ててルコの口を塞いだ。
「ち、違うわ! そ、その、あの……そう、日本に興味があったの! べ、別にカイトのことなんてっ、ほんの少しも関係ないんだからっ!」
「あはは~」
「な、何かおかしいかしら……」
「だってリシィちゃん、カイくモガァッ!」
仲良きことは美しきかな……。
要するに“女子会”と言うやつなんだろうけど、なら紳士を標榜する者として、これ以上は無闇に立ち入るわけにはいかない。
それにツルギさんの言った『イレギュラー』も、今のところ彼女の外見以上のものは思い当たらない。外見だけなら僕も大概だし。
「ところで、その髪の色はどうしたんだ? 染めているようには見えないけど」
外見の変化は偽神の介入を予感させる。あまりにも鮮やかなルコの青い髪、それは前髪の半分から左耳の後ろ辺りまでの房を染めているんだ。
「うーん、自分でも良くわからないけど……この世界に来た時、私ね、死にかけたんだ。その時お婆ちゃんに助けてもらって、その影響でこうなっちゃったみたい?」
「それは、良かった……。お婆ちゃん……?」
「うん。いつも声しか聞こえなかったけど、ずっと見守ってくれてたんだよ」
「“声”か……三人いなかったか?」
「ううん、一人だよ?」
声だけの存在……それは“三位一体の偽神”と重なる。
確証はないけど、これもまた奴らが何かをしていると想定しておくべきだ。
再会した幼馴染をあまり警戒したくはないけど、素直に喜べるほど今の状況は安穏としていない。
『イレギュラー』か、ツルギさんが何をもって僕にそう伝えたのか今ならわかる。
幼馴染とまでは把握していなかっただろうけど、“五十蔵 瑠子”の存在そのものが、何か……言葉では言い表せない歪さを抱えているんだ。
特にあの瞳、瞳孔の奥で揺れる青光は何かがおかしい。
「カイト、また眉間に皺が寄っているわ。幼馴染と再会出来て嬉しくはないの?」
「ああ……いや、気になることがあって……。ところで、二人は知り合いなのか?」
実にぎこちなく話題を逸らしてしまった。
嬉しいような嬉しくないような、微妙な感情を伝える言葉が見つからない。
それは目に見えない不穏さからじゃなく、どちらかと言うと、失って諦めていたはずのものが戻って来た戸惑いによるものだ。
「リシィちゃんとは親友だよ!」
「ええ……え? ええ!?」
「リシィは違うみたいだけど?」
「えー、私は友達だと思ってるけど」
「あ、違うの。先日ギルドで始めて会ったばかりだったから、少し驚いてしまって。友人……なのかしら?」
僕に聞かれても困るけど、面識はあったようだ。
そう言えば、リシィに友人はいるんだろうか……。関係者はテュルケしか知らないけど、従者である以上の大切な友人なのは傍で見ていて良くわかる。
「朝食出来ましたぁ~! サクラさんと“オウドォン”作ってみましたです!」
そんなことを考えていると、サクラとテュルケが食事を運んで来た。
お盆に乗せているのは天ぷらうどんだ。先ほどから、何やら馴染んだ出汁の香りが漂っているなとは思っていたんだ。
「わっ、おうどんっ! 久しぶりだよ~!」
「ふふっ、ゼンジさんからようやくお墨付きをいただけたんですよ」
ルコも目を輝かせてサクラに手を合わせている、やはり拝むよな。
「それ、私も頂いて良いかしら~? 朝食まだなのよ~」
「ギャーーーーーーーーーーーーッ!?」
「『ギャー』とは何よ『ギャー』とは! 失礼しちゃうっ! ぷんぷんっ!」
「わー、アケノちゃん!」
「やっほー、ルコちゃん!」
アケノさんが前触れもなく姿を現した。
思わず叫んでしまったけど、いきなり真後ろで声を上げられたら誰でも驚く。
しかも扉の開く音すらしなかったとか、ニンジャヤバイ……。
―――
「それでアケノさん、何かあったから来たんですよね?」
「カイトくん、言い方がつ~め~た~い~。けどぉ、その通りっ!」
久しぶりのうどんを夢中で食べた後、くつろいでしまってなかなか話を切り出そうとしないアケノさんに僕から質問した。
人が増えたので、円卓には僕とリシィとルコとアケノさん、カウンター席にはサクラとテュルケが座っている。
「実は……」
「実は?」
「カイトくん、アレクシア チェインバースが逃亡したよ」
「はあっ!?」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
やらかしたのレベルが違った……当然、皆は揃って『えっ?』である。
いや、この場合の責任は行政府なので、アケノさんを責めるのもお門違いだ。
神代遺物の【次元牢】とやらに軟禁状態と聞いていたんだけど……。
「ど、どうやって逃げたんですか? 【次元牢】はそう簡単に破れないと……」
「破られたと言うか忽然と姿を消したから、行政府もてんてこ舞いで大慌て」
「何てことだ……」
【次元牢】、知らなくとも名前からどんなものかは予想が出来る。実際にそれは内部が隔絶された空間で、内側からではどうやったところで出られない牢だ。
そんなものの内部から忽然と姿を消すと言うことは……。
「考えられる脱出手段は牛女神ですね……」
「カイトくん、牛女神のことを知ってるの?」
「いえ、あくまで推測の域になります」
“牛女神”、討滅実績はあるけど未だ詳細不明の【鉄棺種】だ。
その名前は墓守が持つ姿形をそのまま表していて、上半身は女性、下半身は牛の異貌。他の墓守にはない特徴として、棺を四つも背負っているらしい。
「カイくんの言う通りだね」
「ルコ、何か知っているのか?」
「うん、牛女神は指揮と輸送を兼任する墓守だよ。離れた場所に仲間をポイッと送り込んだり、当然その逆も出来るよ」
それは要するに、ノウェムの上位能力と見ておいたほうが良いものだ。
やはり、“転移”技術は確立されたものか……ピンク色が牛女神を率いることはわかっていたから、行政府も【次元牢】にまで干渉は出来ない可能性に懸け、それでもダメだったと……厄介だな。
「カイト、あの娘はまた狙って来るわ。どこかに身を隠すべきよ」
「私もリシィさんに同意します。あれだけの殺意でしたから、危険です」
「ああ、僕がいる限りは周りにまで危険が及ぶ。本当は遠くに逃げるべきなんだろうけど、僕は彼女を引っ叩いてでも正気を取り戻させたいんだ」
犠牲を強いる覚悟、だけどその全てを守り抜く覚悟。
未だ心の奥では迷いながらも、それは既に出来ている覚悟だ。
なら何とかしたい、あの少女も偽神の手の内から解放したい。
「ふぅ……本当にカイトは仕方がない人ね。一応意見はしてみたけれど、貴方がそう言うだろうことはわかっていたんだから」
「そうですね。どれほどの脅威だろうとも、カイトさんは立ち向かって行きますから。本当に仕方がない人です」
リシィとサクラはお互いに顔を見合わせて頷いている。
それを見てテュルケやアケノさん、どういうわけかルコまでうんうんと頷いているから、最早言い逃れは出来ない。僕は正真正銘の“仕方がない人”だ。
「でもカイトくん、どうするの? 向こうの動向もわからないんじゃ、打つ手もないでしょ?」
「ですよね……。ベルク師匠の回復を待つ間、ここで待機するのも危ないし」
「私がサクサクッと倒して来ようか?」
「それは……ルコは大人しくしていて欲しい……」
「優しく撫でるだけだよ~?」
ルコのあの青光の能力は神力の具象らしいけど、サクラに少し扱いを習ったからこそ、それがどれだけ異常かはわかる。
僕には光らせるどころか、自身の内で認知することも出来なかったんだ。
先手を打つには情報が足りない、後手になっても不利になる。
「どうするか……」
その時、宿処の扉が静かに開いた。
一瞬ピンク色かと焦ったものの、立っていたのは見知らぬ男だ。
男は宿処に一歩踏み込み、渋面のまま口を開いた。
「ゴメン! 拙者、ニコラス ミラーと申す者! 用があり参ったでゴザル!」
……!?!!?