第七十一話 対巨鷲戦 銀槍の本質
「カイト殿、これを某の代わりに」
ベルク師匠から予備のヒーターシールドを受け取る。
上辺が四角く、下方が丸みを帯びて逆三角形になった金属製の盾だ。
彼に合わせたサイズのため、ズシリとした重量感は見た目以上に重い。
かつて、オンラインゲームをプレイしていた頃、僕も盾職をやっていたんだ。
フィールドやダンジョンを率先して駆け抜け、モンスターとの戦いの矢面に立って仲間を庇い、怯むことなくレイドボスを引きつける。
それが“タンカー”、パーティのもっとも重要な役割のひとつ。
ゲームとは決して比較出来ないこの重み、ベルク師匠の誇りが形となった盾、傷のひとつひとつが仲間を護り続けた証だ。これは、重い。
「それじゃあ、ノウェムをお願いします」
「うむ、心得た」
「アウー! 指一本触らせない!」
「カイトくん、また後でね!」
師匠から託された重みを背に、再び僕たちは湖に向かって走り出した。
路地の先からは幾分か冷たくなった空気が流れて来て、もうそう遠くはない。
巨鷲は高空に逃れ、今一度僕たちの居場所を確認するように旋回している。
「リシィ、サクラ、僕はエリッセさんとルテリアの艦隊を当てにしていた。だけど、僕は例え何の力を借りられずとも巨鷲に挑む。力を貸してくれるか?」
「ええ、貴方は私の騎士なのよ、忘れたの? 剣の傍を離れる主はいないわ」
「はい、忘れられては困りますね。私もそんなカイトさんをお支えするため、貴方のお傍にいますから」
「……二人とも、ありがとう」
三人だけとなっても、立ち止まらずに路地裏を駆け抜ける。
既に迷いもなく、弱気もなく、なら次に対峙した時こそ決着をつける。
思考し、推測する。巨鷲の空力も重力さえも無視した空戦機動、そしてノウェムが返した三十ミリガトリング砲の弾丸、奴自身のものとはいえ、神代の産物をも容易く貫いたのは装甲の薄さの証明だ。
そこから推測出来ることは、巨鷲の防護フィールドは弱い。もしくはない。
極限の空戦機動を可能とするための重力、慣性制御。弾丸をどこからか補充するための空間制御。性能が振り切るあまりに防御性能を切り捨てる、万能兵器が作れない以上は当然帰結してしまう諸元だ。
そして、使い手が人である以上は、本来の運用から外れた使い方も弱点となる。
巨鷲を『ダッド』とまで呼ぶピンク色は、偽りの父親を傷つけられて激昂し、視野狭窄に陥り、ただ性能に任せるだけの突撃をするんじゃないだろうか。
それとも全てが計算で、狂気すらも演技で、今も冷静に思慮深く戦場を見通し、どこかに『マム』と呼ぶ牛女神を潜ませているのだろうか。
だけど、それはもう関係ない。なら僕はその全てを上回るまで。
僕の思考の内で、三十六通りの最悪を想定しても今だ可能性が増え続ける。
片手の指の数にも満たない最善に導くため、何が擦り切れようとも考え続ける。
心に冷たい炎を燃やして戦場を俯瞰するんだ。
―――
辿り着いた湖岸にもう人はいなかった。
避難の後は資材が転がり、落としたのか割れた樽から水が漏れている。
あれほど活気の中にあった港は静寂に支配され、どこか物悲しい光景にそれでも僕は安堵した。これなら、犠牲を考えずに巨鷲を迎え撃てる。
桟橋が目に入る、ニ車線分の幅がある頑丈な大型船用のものだ。
湖へ伸びた石造りの桟橋は足場として申し分なく、その先の湖上では数こそ多くないけど、岸側に駆逐艦六隻を単縦陣で並べ、沖側に巡洋艦が二隻、既に砲口は空を指向して対空戦闘の準備を整えていた。
「カイトさん、この桟橋をお借りしてもよろしいですか?」
「ああ、どうするんだ?」
「助走から、【烙く深焔の鉄鎚】を投擲します。後で厳重注意を受けますが、封印を解除して全力で行きます」
「そうか……怒られる時は僕も行くよ」
「あ……はい! ありがとうございます!」
サクラは力強い笑顔を浮かべると、桟橋の先に歩いて行った。
内から揺らめき、徐々に赤みを増す鉄鎚からは陽炎が立ち上っている。
僕とリシィは湖を背にし、街の方角へと向き直す。
「リシィ、僕に【銀恢の槍皇】の形成を委ねることは出来るか?」
「え……わからないけれど、私とカイトは神器で繋がっているから、影響を及ぼし合うことは出来ると思うわ」
「良し、なら頼む。僕が神器の形を作る」
「ええ、それなら私は顕現に全力を尽くすわ」
見上げていた空では、たった今巨鷲が身を翻し降下を始めていた。
この軌道は次で仕留める気だ、落ちる速度までを利用し急降下している。
「リシィ!」
「月輪を統べし者 天愁孤月を掲げる者 銀灰を抱く者――」
始まりはいつものように、もう何度も聞き慣れた一節から。
僕の神器の右腕とリシィの黒杖を交差させ、金光がお互いを包む。
そして目を瞑って心象を思い描く、全てを穿ち貫く槍“ジルヴェルドグランツェ”のカタチと、寄り添う大切な彼女を守りたい、心からの思いを。
「白金龍の血の砌 打ちて 焼きて また打たん――」
――右腕から“記録”が流れ込んでくる。
そもそも、神器の本質とは“武器”じゃない。
槍の形とは本来の性質を内包している器に過ぎず、それが何であれ本質が変わらないのであれば、形が変わろうとも結果は神器となる。
【銀恢の槍皇】の本質とは“侵蝕”、触れるものを喰らい尽くす極小粒子だ。
これはぶっつけ本番、確証は何もないけど、ただ出来ると信じるしかない。
そして、僕の幻視の中で白銀色の龍が告げた。
『出来ます』……と。
「万界に仇する祖神 銀槍を以て穿て 葬神五槍――」
閉じていた目を開く。
僕の右手の内には、銀槍“ジルヴェルドグランツェ”。
そしてもうひとつ、左手のヒーターシールドを包み込んで形成された銀色の盾。
「え……盾……?」
「ああ、何者をも通さない銀盾。これもまた“ジルヴェルドグランツェ”だ」
「カイト……貴方は……」
「話は後だ、来るぞ!」
巨鷲は急角度から徐々に機首を上げ、ガトリング砲の掃射体勢に移る。
艦隊のクロスレンジに飛び込むなら、せめて急降下するべきだったのに、やはり十代の少女では有用な戦術の知識もないんだろう。
性能に頼るだけなら、まだ素のままの墓守が幾分もましだ。
そして、艦隊の対空砲火が一斉に撃ち上がり始めた。
たった一機の相手に、何十もの容赦のない十字砲火が火線を交える。
弾幕のカーテンが行く手を阻み、巨鷲は堪らず機首を振るも、執拗に僕目がけて進路を修正している。
その執念だけは見事、だけどそれも直ぐにへし折る。
あらゆるものの接近を阻む砲火の中、巨鷲の口腔から煙が吐き出された。
僕はリシィを抱え、二人の全身を覆い隠すほどに大きい銀盾を前面に押し出す。
――ブォオオオオオオオオオオォォォォォォォッッ!!
巨鷲は咆哮し、だけど弾着音はない。
銀盾は受けているんじゃない、触れた瞬間に弾を喰らい尽くしているんだ。
何者も通しはしない、【神蝕の銀盾】。千の弾丸如きが貫けるものか。
無駄撃ちだと気が付いたのか、巨鷲は速度を上げて特攻進路に乗った。
だけど、選択を間違えたな、アレクシア チェインバース。
ここは僕の、僕たちの対空陣形の間合いだ。
僕たちの背後で、桟橋の端にいるサクラが走り始める。
だけどそれは“走る”じゃない、最早“縮地”、一瞬で数十メートルを駆け抜けて僕の背に詰め寄り、ズンッと重い衝撃を残して鉄鎚を投擲する。
そして、それと同時に巡洋艦のガトリング砲も弾丸を吐き出した。
――ブゥウウウウウウウウンッ!!
鉄鎚は紅蓮に燃えて火炎の帯を残し、その衝撃波が艦隊から上がる火線までを歪める。
追従するのは巡洋艦ガトリング砲からの弾丸。あまり精度が良くないのか大きく広がり、だからこそ数千の弾丸は“面”となって巨鷲の避ける先を奪った。
進路を阻まれた巨鷲の左翼にまずは鉄鎚の槍部が突き刺さり、爆炎が翼を根本から破壊する。続いて弾着、装甲に空く破孔がその弾丸の数を物語る。
そのまま巨鷲は、僕たちの直ぐ脇を体勢を崩しながらも抜けた。
あれだけ破壊されてもまだ落ちない。
湖面を這って水飛沫を上げ、片翼でもなお上昇しようとする。
「そんな、まだ飛ぶの!?」
「片翼でも飛べるなんて!?」
「いや、王手だ」
――キュンッ!!
探索区の方角から、巨鷲を狙った緑光が伸びた。
巨鷲は上昇するも失速し、狙い撃つ狙撃者にとっては格好の的。
緑光は残された右翼を破壊し、両翼をもがれたその姿は最早蓑虫だ。
だけど油断はしない、奴には重力制御がある。
完膚なきまで粉砕し、誰一人として道連れにはさせない。
「食らえ! ジルヴェルドグラ……」
銀槍を投擲しようとした瞬間、湖上に橋が架かった。
鮮やかな青色の光を放つ、“青光の橋”。
「なっ!?」
「えっ!?」
「あれは……」
青光は艦隊の上空を跨ぎ、その先は巨鷲にまで達している。
「これは、想定外の戦力か……?」
「カイトさん、あれは恐らく……彼女です」
そうして、巨鷲は上下に分割されて爆散し、青光も粒子となって湖に降る。
「彼……女……?」
巨鷲は討滅した。だけど、これは……。