第六十八話 不撓不屈の紳士道 今宵、寒夜に紅葉舞う
◇◇◇
「えー! 兄ちゃんたちもう行っちゃうのかよー!」
「ヨエル、ごめんな。本当はもう少しゆっくりしていたいけど、まだやることがあって迷宮に行かないといけないんだ」
探索者ギルドに行った日の翌日、私たちは昨日の内に消耗品の買い出しを終え、今日は迷宮に向かう準備を整えているわ。
久しぶりにヨエルとムイタも宿処に訪れていて、話を聞いて不満そう。
けれど仕方ないの、信奉者に襲われるかも知れない、それならまだ迷宮にいた方が関係ない人まで巻き込まないで済むもの。
「ん~! ん~! ね~ちゃをいじめるな~!」
「わっ、や、やめんか! 虐めてない、虐めてないぞ!」
ムイタはノウェムに立ち向かってくれている。
ノウェムが私にちょっかいかけているところを見て、虐めていると思ったみたいね。小さい娘同士で戯れているようにしか見えないけれど、ノウェムでも駄々をこねる子供には手を焼くみたい。
「俺、カイト兄ちゃん以外だと、将棋の相手にならないくらい強くなったんだぜ!」
「へえ、それなら普段一緒に打っている友達に教えるのはどうだ? 人に教えることで自分の見直しにもなるから、ヨエルももっと強くなれるよ」
「良いのかよ、そんなことしたらカイト兄ちゃんでも俺に勝てなくなるぜ!」
「はは、その時はその時、今度は僕がヨエルに挑む番だ」
それにしても、カイトとツルギはどこか雰囲気が似ていたわね……日本人だからではなくて、生真面目そうなところが被るのかしら。
私にとっての“黒騎士”はカイト一人だけれど、今になって思うとお伽噺の中の黒騎士は、もしかしたら来訪者だったのかも知れないわ。
何か不思議ね……。
「皆さん、お茶にしませんか? テュルケさんがパイを焼いてくれました」
「えへへ、ウニンパイを焼きましたです。会心の出来ですです!」
「ウニで……パイ……だと!?」
何故かカイトは驚いているわ……“ウニン”はただの果物なのだけれど、地球では違うものなのかしら。
そして、人数分の紅茶とパイが運ばれて皆は椅子に座った。円卓に全員は座れないから、私とテュルケとムイタはソファに座っている。
ここも、カイトが来る前に比べて随分と賑やかになったものね。
また当分は迷宮に入るとなると、お別れするようで少し寂しい……。
「あれ、サクラ、そのかんざし……」
「はい、先日カイトさんから頂いたものです。如何でしょう、似合っていますか?」
「うん、サクラに桜模様のかんざしはベタかなと思ったけど、良く似合っているよ」
「ありがとうございます♪」
先日一緒に出かけた時、カイトがいつの間にか購入していた装飾品ね。
意匠は違うけれど、一人ひとつずつ“かんざし”と言う日本の装飾品を貰ったの。
私のものは太陽の模様が描かれていて、見惚れてしまうほど細やかで素敵なものだったわ。
普段は鈍感なのに、こういうところは変にマメなんだから……。
それに、『日頃の感謝』と言っていたけれど……そんな下手な気遣いよりも、私としてはカイトの素直な気持……違う! 嬉しかったけれどっ、違うのっ!
別に、カイトの気持ちが知りたいとか、そんなんじゃないんだからっ!
……って、違うのーーーーーーーーーーーーーーっ!
やだ、変な妄想が止まらなくなっている……何なの、一体何なの!
「リシィ、何か顔が赤いけど大丈夫か?」
「何でもないわっ! カイトのバカっ!」
「なんでっ!?」
あああ、違うの……先日やっと少し良い関係になれたと思ったのに、これではまた逆戻りだわ。んうぅぅ……バカは私よ、何をしているの……。
「お、お嬢さま、お口に合いませんです……?」
「え、ち、違うわ。テュルケが焼いてくれたパイはいつも美味しいわ!」
本当に私は何をしているのかしら……ノウェムを見習いたいものね……。
―――
――日が落ちてから、テュルケと二人で露天風呂に入った。
「テュルケ、先ほどはごめんなさい。カイトのことを考えていると、関係ないことで心配をかけさせてしまうわ」
「大丈夫ですです! 姫さまはノウェムさんが来てから変わって、カイトさんを頑張ってお出かけにお誘いしてましたから! 私は嬉しいですですっ!」
「な、ななな何で知っているの!?」
「見ていればわかりますです~」
うぅ……テュルケには何ひとつ隠せないのね……。
「お背中お流ししますです~」
「ええ、お願い……」
明日からはまた迷宮だから、露天風呂もしばらくおあずけだわ。
テュルケと一緒に湯に浸かって、月を眺めながらとてもくつろげている。
気持ち良い……。外にある湯殿は最初こそ恥ずかしかったけれど、慣れてしまえばひんやりとした大気も心地良くて、ついつい長湯をしてしまうわね……。
「そういえば、包丁を受け取って来たのよね。切れ味は戻ったの?」
「はいです! 柄の紐も巻き直してもらって、最高の状態ですです!」
「そう、良かったわ。あの包丁は随分と特別なものだったのね」
「ですです! あの包丁は、サクラさんのお爺さんが墓守の何とかを打ち直して作ったものと、親方さんが教えてくれましたです。大事にしますですぅ~」
「それは、驚いたわ。柄が黒騎士の持っていた剣に似ていたから、目に留まったものなのに……そんなこともあるのね」
「ですです! サクラさんに見せたら、お爺さんの銘が刻まれていることもわかりましたです!」
こんなことを、確か日本のことわざで『袖振り合うも多生の縁』と言ったかしら。
不思議な巡り合わせも言葉にしてしまうなんて……日本語は知れば知るほどに綺麗な言葉ね……。
カイトとの出会いにしてもそう……一度で良いから日本を見てみたいわ……。
「――って! ノウェム、離せっ! お風呂は流石に一人でっ!」
「良いではないか良いではないか、迷宮に入る前に一度くらいは良いではないか」
うん? 何かしら……なっ、ななっなんなのーっ!?
どこからか声が聞こえると思ったら、露天風呂の上空に裸のノウェムに抱えられたカイトが飛んで来た。
ノウェムが一緒に入ろうとして、彼を無理やり連れ出したんだわ!
「ノウェム、良い加減にしなさい! カイトが困っ……」
あっ、私も今はバスタオルを巻いていない……は、はだ、はだ……か……。
「おや、リシィお姉ちゃんも入浴中であったか。これは良い、家族水入らずで温まろうではないか。くふふふふ」
「おわっ!? ノウェッ、今は手を離すっなっ、ああああああああぁぁっ!!」
――バシャーーーーンッ!!
◆◆◆
何ということだ……。
ノウェムに呼ばれてベランダに出たのが運の尽きだった。
僕はそのまま彼女にさらわれて、露天風呂まで運ばれてしまった。
華奢なノウェムなら振り解けると思ったものの、光翼の効果は僕にも及んでいるようで、振り解こうとしたところで宙に浮いているからどうにもならないんだ。
そして……ものの見事にリシィの真上に落ちた。
湯の中で彼女を押し倒す形になっているのは、何かもうどうしようもない。
直ぐ隣りではテュルケが、『あわわ~』と右往左往してしまっている。
だがしかし……不撓不屈のこの紳士道、迂闊に視線を彷徨わせず、これ以上は女性に恥をかかせるなかれだ。
と言うわけで……。
「ご、ごめんなさい?」
僕の下では真っ赤になったリシィが固まり、思考停止状態になってしまっている。
混乱しているのか、瞳は明滅する虹色。謝罪の言葉も届かず、なら後は出来るだけ彼女の裸身を見ないように、颯爽とこの場を退散するだけだ。
「くふふ、何だ、だらしないな。おのこに肌を見られたくらいで正気を飛ばすとは、まだまだ赤子よ」
「ノウェムはもっと羞恥心を持った方が可愛げもあると思うよ?」
「なっ、主様!? 我は可愛くないと申すのか!? 我は可愛くないと申すのかーっ!?」
「ばっ、ノウェム、今はくっつくな……!」
「あっ」
目の前でのやり取りに、リシィは正気を取り戻したようで目が合ってしまった。
「あ、あの、本当にごめんなさい?」
「き」
「き?」
「きゃああああああああぁぁぁぁっ!!」
――バチーーーーンッ!!
そりゃないよとっつぁんっ!!
結局、悲鳴を聞いたサクラが駆けつけてノウェムを取り押さえ、紅葉の手形を頬に貼りつけた僕はそそくさと露天風呂から退場した。
―――
「おおっ、カイト殿! その頬はどのような鍛錬の成果か!」
「違います」
翌日、頬の腫れは一晩じゃ引かなかった。
向かえに来たベルク師匠は、何かの鍛錬だと思ったようだ。
「アウー、カトー! 焼きヘベロみたいで美味しそー!」
何それ、アディーテは何でも食べ物に見えるんだね。
「あの……本当にごめんなさい。カイトのせいでないことはわかっているのよ? 本当にカイトのせいでないことはわかっているの!」
「大丈夫だよ。リシィに非がないこともわかっているから」
リシィは今朝から青い瞳でずっと謝罪を続けている。
徐々に緑色も出ているので、もう直ぐ落ち着くはずだ。
「なあ、ノウェム? 今回やらかしたのはノウェムだもんな?」
「うっ、うぐっ、ごめんなさいっ、我も反省している。だから、解いてっ」
今、ノウェムは縄でぐるんぐるんに巻かれ、サクラに担がれている。
流石に可愛そうだけど、やらかした責任は自分で取らないと。
しっかり反省が出来たら、頭くらいは撫でてあげよう。
「それじゃあ、みんな行こうか。『いのちをだいじに』、迷宮に再び挑む」
この世界の秘密を解き明かしに。