第六十六話 休日の終わりに
◇◇◇
私たちは、ルテリア湖を一望出来る素敵なレストランに入った。
波乱はあったけれど、今だけはカイトとの穏やかな休日を満喫出来ているわ……なのに、彼は私を放って置いて窓ガラスに貼りついているのっ!
もう、もう、もうっ、何なのっ!
「カイト、そんなにわ……あの船が気になるの?」
『私よりも』と言いそうになったけれど、何とか飲み込んだ。
先ほど、カイトは私のために身を挺して、だ、だ、抱きっ……ま、護ってくれたもの。少しくらいは、彼が興味を惹かれるものに理解を示してあげても良いんだから。
「うん、僕の国の昔の軍艦、重巡洋艦高雄にそっくりなんだ。と言っても、艦影がそう見えるだけで、実際には主砲が三基しかなかったり、その分の小口径砲が多かったりと細部は大分違うみたいだ。魚雷発射管もないようだし」
「へ、へえ……」
カイトが熱心に見詰める先には、沖合に浮かぶ大きな船があるわ。
他に同じ型の船がもう一隻と、後は多数の小さな船が停泊しているの。
構ってもらえないのは少し寂しいけれど、カイトのこんなに目を輝かせている姿は始めて見たから、こんな一面も見れて良かったのかも知れないわ。
「内海と呼べるほどに大きな湖だけど、流石に戦艦はないんだな。外海に面した港にはあるんだろうか。それともやはり神代の……」
「せ、せんかん?」
「あ、ごめん。僕は海が好きで、ずっと船乗りに憧れていたんだ」
「そうだったのね……。そ、それなら、私の騎士をやめて船乗りになりたい?」
意地悪な質問をしてしまったわ……この気持ちはヤキモチかしら……。
「はは、それはないよ。選んだ職に必ずなれるとしても、僕は何度だって迷うことなくリシィの騎士を選ぶから」
「んっ!?」
カ、カイトは直ぐに私の胸を締めつけることを言うんだから、油断出来ないわ。
それも自覚なく言っているわね……あの顔は絶対にそうなんだから。
普段は察しが良いのに、こんな時に鈍感なのは何でかしら……。
もう、そしてまた船を見ている……。折角の二人きりなのに、これでは子供と一緒に来ているみたいで雰囲気も出ないわ。
けれど、カイトらしいと言えばカイトらしいから、少し安心もしてしまう。
ん、穏やかな時間はもう彼なしでは考えられないわね……。
「あ、料理が来たよ。美味しそうだ」
「ええ、とても美味しそう。見惚れるのも良いけれど、冷めない内に食べてね」
「ああ、見惚れると言うのなら僕の前に、も……げほっごほっ!」
「どうしたの?」
「い、いや、何でもない」
「変なカイト?」
本当に……。
―――
食事を済ませた後、私たちはその足で湖畔にまで来ていた。
元々はここが目的地だったから、その流れでレストランを教えてもらったの。
「カイト、こっちよ」
「これは……慰霊碑?」
「ええ、墓守との戦いで亡くなった、全ての探索者や衛士の名がここに刻まれているわ。先日のルテリア襲撃の犠牲者も、第ニ拠点での犠牲者もこれからここに……」
「そうか……ここは英霊を弔い、そして忘れないための場所なのか」
レストランから歩いて十分ほどの、湖畔の高台に目的の場所はあった。
剣と盾を持った“始まりの探索者”と呼ばれる像を中心に、何千、何万と人の名前が刻まれた石碑がいくつも並んでいるわ。
「ええ、英霊を偲んで神龍の元に送るのは、龍血の姫神子である私の本来の役目だもの。今日はそれを果たしに来たの」
「そうだったのか……。この世界の、英霊に対する礼はどうすれば良いんだ?」
「カイトは私の騎士だもの、傍にいてくれるだけで良いわ。祈りを捧げるのは私」
「わかった。リシィの傍にいるよ」
そう伝えると、カイトはどこか硬い動きで私の背後に立った。
彼を見届けてから、私は像の前で跪いて英霊に祈りを捧げ始める。
どうか神龍の元に魂を導かれ、次代では良き生を全う出来るように、ご苦労さま、そしてありがとうと、過ぎ去りし日を生きた彼らに……。
そして、地球からの英霊よ、これからもカイトをお守りください……。
◆◆◆
リシィの深い黙祷はあまりにも長く、一時間は続いた。
僕は彼女の背後で最初は祈り、後は只々直立不動で待ち続ける。
当然その間も人は来るので、いつの間にか僕たちの周囲は人集りが出来てしまっているんだ。見られている……と言うよりは、一緒になって祈っているようだ。
「ふぅ、待たせたわね。これで英霊を送り出せたと思うわ」
「お疲れさま、体は冷えていない?」
「大丈夫よ。けれど、そうね……カイトが……」
「申しわけない! 龍血の姫神子さまとお見受けしました、申しわけない!」
リシィが何かを言いかけたところで、突然背後から謝罪の言葉を向けられた。
振り向くと、枯れ木がスーツを着ているようにしか見えない人が、何度となく頭を下げている。鼻に丸縁のメガネを乗せた、気の弱そうに見える紳士だ。
「えーと、貴方は?」
「これは申しわけない! 小生はこの子らを教えている、教師のサラワァ リソインと申す市井の者、申しわけない!」
紳士は謝罪のたびに枯れ木の頭部を揺する。これは謝罪じゃなくて癖だな。
彼の背後には、十名ほどの子供たちがソワソワとこちらの様子を伺っていた。
「確かに、私がリシィティアレルナ ルン テレイーズよ。何か御用かしら?」
「あああ……良かった。こう見えて小生は小心者で、声をおかけしてよろしいものかどうか、気付いた時にはこうまで細くなっておりました。申しわけない!」
ビフォーを見ていないので、どう細くなったのかはわからないけど、確かに枯れ木のようなんだ。比喩じゃなく、“枯れ木”そのものだ。
確か“樹霊種”と言う植物の体を持つ種族で、身長はベルク師匠とそう変わらず、それでいて簡単に折れそうなほどに細い。
「姫神子さまにこのような場所で拝謁を賜るとは、奇跡にも等しい僥倖。どうか、子供らにも加護を賜りたく、小生頭を下げる次第であります。誠に申しわけない!」
僕とリシィは顔を見合わせた。
加護については良くわからないけど、僕は彼女の意向に反するつもりはないのでただ頷くだけだ。
「ええ、構わないわ。あなたたち、順番に仲良く並んでね?」
「はーい!」
「やったー! 姫さまー!」
「へへ! どけよ、俺が一番だ!」
「ちょっと男子ー、ちゃんと並ばないと姫さまに怒られるよー」
「オ、オラ、さいごでいい」
人気者だな。全ての人ではないけど、大抵の人はリシィのことを知っている。
インターネットがあるわけでもないのに、彼女の肖像が知れ渡っている理由は良くわからない。ただ、どこに行っても敬われるから、余程の権威なんだろうな。
今回は加護とやらを受けるために、先生が頑張って頭を下げたのか。
「おお、この過ぎたる至極、小生枯れ果てるまで感涙する所存。大変申しわけない」
「いや、枯れないでください……」
結局、子供たちは右往左往した後、リシィの前に横一列で並んだ。
そうして、何やら子供の額に手を当てて金光で包んでいる。
それを端の子供から一人一人順番に、掌で撫でるようにグリグリとも。
途中で家族連れの子供まで数人増えたけど、リシィは気にした様子もない。終わる頃には倍に増えて計二十四人の子供が、彼女の加護を受けることになった。
「申しわけない……。ぐっ……このご恩かたじけなく……誠に感謝ここに極まれり……。うぐぐっ……申しわけない……!」
先生は号泣だ。本当に枯れてもおかしくない。
「そこまで畏まらなくても良いわ。この子たちの未来に幸があるよう精一杯に込めたから、リソイン先生、後のことはお願いするわね」
「おお……申しわけない! 小生この子らが将来立派な英傑となるまで、力の限り大地に根を張りましょうぞ! それでは、一同これにて速やかに撤収……大変申しわけない!」
「姫さまー、ばいばーい」
「姫さま、ありがとー」
「う、うぐ、俺……俺……」
「ちょっと男子ー、しっかりしなさいよー」
「オラ、立派な騎士になる」
「「「騎士さまもばいばーい」」」
先生と子供たちは何度も振り返り、見えなくなるまで手を降っていた。
何だったのかは良くわからないけど、僕も気分は悪くない。
「リシィ、今の加護は何だったんだ?」
「あれはまだ安定しない子供の神脈に、力ある者の神力を流すことで、より良い方向に安定させる儀式のようなものね。本来は教会で行うものよ」
「へえ、じゃあ龍血の姫の加護となると相当だ。だから集まって来たのか」
「ええ、私も貴重な体験が出来たわ」
「それは良かった」
そう言うリシィの表情は、笑ってこそいないもののどこか誇らしげで晴れやかだ。
青天の霹靂ではあったけど、憑き物が落ちたようで本当に眩しく見える。
「それにしても、何だか拍子抜けね」
「ん? どうかした?」
「私……ずっとこの折れた竜角は無様で醜いものだと思っていたの。けれど、彼らは全く気にも留めないで、私の加護を受けてくれたんだもの。拍子抜けよ」
「うん、そうだね。皆にとって、リシィは竜角があってもなくても、多分どこまでも“龍血の姫”なんだ」
リシィは、一歩二歩と僕を背に前に歩み出てから振り返った。
西日が彼女の背から照らし、眩しくて表情は良く見えない。
「カ、カイトも……そんな風に思ってくれているの?」
「うん? 僕は“龍血の姫”と言うより、リシィはリシィかな」
一瞬、彼女は光の中で震えたような気がした。
目をしかめても、どうやったところで表情は見えない。
「そ、そう、ありがと……やはり貴方は私にごにょごにょごにょごにょ……」
「え? 何て?」
「なっ、何でもないわっ! 日が落ちる前に残りの買い物を終わらせるわよっ!
「えっ!? あ、ああ、わかった」
結局、何と言ったのかは最後まで教えてもらえなかった。