第六十五話 狂信者 空を狩る脅威
道行く人々の喧騒の中、少女は僕たちに向けて『見つけた』と言った。
間違いなく来訪者……ツーサイドアップの金髪に、緑がかったヘーゼルの瞳を持つ白人。何よりも目を引くのは、目眩がするほどのどピンク姫ロリファッションだ。
豪奢なドレス姿は街中でもそれなりに目に入る。それでも、これほど鮮やかなピンク色の衣装はその中にいても異様。
貴族でもなく、舞踏会に行くわけでもなく、ただ個を主張するだけの色は、それすらも彼女自身の雰囲気に飲まれて狂気の色となってしまっていた。
「アナタがカイト クサカ? 途中で建物に隠れたから、慌てて探したワ!」
「……君は?」
「アリーはアレクシア チェインバース! ステイツから来ましタ!」
僕は彼女の様子から察した。
この少女は、以前アケノさんから聞いた“三位一体の偽神”の信奉者だ。
瞳に宿る異様な光は狂信、その先は神以外を見ていない。
そして、何よりもおかしいのはこの場の異常……。
大仰な身振り手振りで話す、どピンクの来訪者が目の前にいるにも関わらず、誰一人として気にも留めずに通り過ぎて行くんだ。
視線すら向けない、あまりにも不自然に僕たちと少女を避けている。
「貴女、カイトに何の用? 私の騎士に話があるのなら、主である私が……」
「邪魔するナ!」
間に入ろうとしたリシィを制するように、僕たちと少女の間の石畳が砕けた。
少女は何もしていない、ただ口を動かしただけ。にも関わらず、硬い石畳の路面を砕き、その下の砂利を弾き飛ばして土まで露出している。
一瞬見えたのは弾丸か。それも恐らくは、人に向けるものじゃない類の大口径。
ともすれば、つまり人質は周囲に人の数だけいる。この状況は酷くまずい……こんな繁華街に突然弾丸を打ち込む奴だ、頭が湧いているとしか思えない。
意味はないだろうけど、僕はリシィを彼女から見えない位置に抱え込んだ。
「僕に何のようだ、チェインバース?」
「ノー、『アリー』と呼んでくれて構わないワ?」
「……わかった。アリー、僕に何のようだ?」
「別に何モ? 神に抗う者がいると聞いて、ただ見に来ただけだワ」
それは、一番まずい状態じゃないか……。
“敵”と認識されたら、区画ごと焦土にされてもおかしくはない。
それほどの狂気を、あの瞳は、彼女は宿している。
「ひとつ、聞いても良いか?」
「勿論ヨ! 興味を持ってくれて嬉しいワ!」
「じゃあアリー、どこから、どうやって、僕を探して見つけた?」
僕の質問に、彼女は首を二度三度と左右に傾け、三日月の笑みを崩さずに指だけを上に向けた。
警戒を決して崩さないように、僕は空を見上げる。
雲ひとつない青空。翼種と鳥が視界に入るだけで、そこには何もいない。
いないはずだった……。
「アリー、冗談はよせ」
「カイトには冗談に見えル?」
見えない。これが冗談じゃないとしたら、正真正銘の悪夢だ。
その機影は遥か高空、ほぼ点にしか見えないほどの高高度に、それも太陽を背にする位置に存在した。
“巨鷲”――巨大な空翔ける鋼鉄の荒鷲。紛うことなき【鉄棺種】。
つまり、あれを使って地上を見ていると言うのなら、あれを操っていると言うことになる。
神器の恩恵で辛うじて見える高さ、レーダーがないこの世界では、墓守が悠々と街の上に存在していることにすら誰も気が付いていない。
観測機に上空を侵犯されたばかりで、まだ監視網が整備されていないのか……。
それに、今しがた精密射撃を仕掛け、いつでもどこでも狙えることを示した。
だけど、巨鷲は近接航空攻撃用の墓守で、僕が学んだ知識が正しければ搭載兵器は三十ミリガトリング砲。あんな高空から精密射撃が出来る代物じゃない。
だとしたらこれはブラフだ……まだいる。
「カイト……私には何も見えないわ」
「ああ、神器の恩恵を受けた僕か、余程目の良い種族じゃないとあれは無理だ。街の上に墓守が飛んでいる」
「そんな……それなら、彼女は……」
「クックックッ……アリーはネ、ジャパンのことは何でも大好きなノ! だから、カイトもアリーのものになると良いワ!」
「それは断る」
これはまだ取引だ。手の内を見せると思わせ、実際に肝心なものは隠して相手の様子を伺っている。まだ十代半ばほどとは言え、決して侮りはしない。
こいつは恐らく、僕を“三位一体の偽神”の手の内に引き込もうとしている。
なら今は凌げる。戦闘を避け、貼りつけた笑顔のままお別れだ。
「残念だワ、素晴らしい待遇を約束したのニ」
「そうだな、地球でこれから発売される新作ゲームを、全て入手してくれるなら僕もその気になったかもな」
「それはアリーも欲しいくらいだワ! 気が合うのネ!」
冗談でも合いたくない。
「用事がそれだけなら帰ってくれないか? 僕たちは今休暇中なんだ」
「勿論直ぐに帰るワ、アリーも暇じゃないノ! でもまた会いに来るから、それまで精々残る時間を楽しく過ごすと良いワ!」
「次は是非迷宮内にいる時に来てくれ。それなら全力で歓迎する」
「アハー! アナタ面白いワ! アリー、カイトのことが本当に欲しくなったかラ、またネ!」
そう言うと、彼女は人混みに消えてしまった。
あれはもう『ピンク色』で良いな、名前を呼ぶだけで吐き気がする。
ピンク色が雑踏に消えた後、空を見上げると巨鷲も既に姿を消していた。
どうなっているんだ……。
“三位一体の偽神”と【鉄棺種】は、敵対しているんじゃなかったのか?
何故それが同じ側にいる……墓守が所詮機械なら、制御プログラムでも書き換えられたのか……。いや、以前アケノさんが偽神の信奉者たちも『固有能力を得た』と言っていた。まさか、“墓守を操る”能力者……?
それに懸念がもうひとつ、人々の“認識阻害”だ……恐らく、あの場にもう一人は確実にいたな。
認識に影響を与える信奉者がいることも、当然のものと想定しておいた方が良いだろう。偽神が手を貸している可能性もあるけど、今はまだ正体すら……。
最悪は三人の狂信者を相手にするのか……。
「あの、カイト……」
「え、あ、リシィ……うわっ! ごごごめん!」
しまった、リシィを抱え込んだまま考えごとをしていた。
抱き締め過ぎたのか、彼女は耳まで真っ赤になってしまっている。
ピンク色が去ったことで人々の認識阻害が解けたようで、僕たちは周囲から羨ましげに見られる視線に晒されていた。
やはり、何らかの能力が働いていたんだな。
「ん……良いわ、護ってくれてごにょごにょ……」
リシィの声は徐々に小さくなるので最後は聞き取れなかったけど、どうやら庇ったことに対してお礼を言ってくれたようだ。
彼女の騎士として当然の行動とは言え、もっとスマートに出来れば良かった。
とりあえず、衝突は避けられた。
僕たちは何ごともなかったことに安堵する。
それにしても厄介だな……。
もし墓守を複数操るなら、意思統一されたひとつの部隊に襲われることになる。
あのピンク色の能力かどうかはまだわからないけど、戦術や戦略に精通していないことを祈るしかない。
懐柔は出来ないだろうか。狂信者……一番無理な類じゃないか……。
「はぁ……折角の休暇が台無しにされたわ」
「そうだね、僕のせいでごめん……」
「カイトのせいではないわ。冷静に良く対応していたもの」
「はは、悩みの種が増えたけど」
そう言ったリシィは何やら考え込んだ。
「そうね……。あれも、“三位一体の偽神”に関係するのでしょう?」
「気が付いていたのか。間違いなく“狂信者”だろうな、最悪だよ」
「ええ、対策が必要ね。帰ったら皆と情報を共有しましょう」
「ああ」
情報と言っても、対策を出せるほどのものはないだろう。
しかも、ピンク色の他にまだ二人、下手に墓守を相手にするよりも難題だ。
後は行政府とギルドにも連絡を入れて、防空網の早期改善も要求しないと。
本当に、折角のリシィとの休日が台無しだ。
「リシィ、とりあえず昼食にしようか。お腹が空いたよ」
「ええ、ユキコに湖畔の店を紹介してもらったの。そこに行きましょう」
「おお、どこまでもお供いたします、姫さま」
「冗談は程々にして」
リシィは少し口を尖らせて何故か不服そうだった。