第六十四話 龍血の姫 街に出る 後編
店は階段を上りきった目の前、内部は広めで奥には座敷まであり、ユキコさんによる着付けとその指導までしてくれるらしい。
座敷の手前に所狭しと陳列された衣服は、通路側に洋服、奥側に和服が並べられていて、その殆どが地球でも目にする馴染んだものだ。
これはユキコさんと遭遇したことで、リシィのモデルでファッションショーが始まるんじゃ……。そう思うと胸が高鳴って期待してしまうけど、リシィは自分で人前に出る割に恥ずかしがり屋なところもあるからな……。
「じゃあカイトくん、リシィちゃん借りるわねぇ」
「え?」
「あら?」
「あらあらあら、着替えを見たいの? 二人がそう言う関係ならお母さん……」
「いえいえいえ! ここで大人しく待っています!」
と言うわけで、頬を赤らめたリシィは奥に連れて行かれ、僕は一人で店の中に取り残された。
座敷の縁に腰を下ろし、少しだけ肩を落としながら待つことにする。
僕は服を新調するつもりもないし、手持ち無沙汰なだけだ。
別に悔しくなんかない……く、悔しくなんか……。
「あの~?」
何ということだ……普段は見られないリシィの艶姿、指を食わえてここでただ待てと言うのか……そんな殺生な……。この行き場のない思い、目の前に人参をぶら下げられた馬の如く、駆けることで発散するしかないのか……。
「あの~~?」
普通こう言う時はファッションショーイベントが始まって、最初は恥ずかしがりながらも、徐々にノリノリになる彼女のギャップに悶えてしまうご褒美じゃないのか……。否、こんな時こそベルク師匠の武人の心得その九、『忠臣たる者、大山不動の如くただ黙し主の帰還を想い侍る』だ。
「あの~~~~?」
それにしても、何もすることがないと、どうしても逞しい妄想力が邪魔になる。
普段は意識から追い出している、リシィのかつて見てしまった裸身を思い出す。
恐らく店の奥では、光がそのまま宿っているかのような煌めく白い肌が露わになり、流麗な体の線は滑らかに衣擦れの音を立て、彼女が身動ぐたびに甘く官能を刺激する良い匂いが五感を……って、僕は変態かっ!
ダメだ……紳士として、覆いの向こうを想像することもダメだ……。
「あの~~~~~~っ!!?」
「ぎゃーーーーっ!?」
突然、耳元で大声で叫ばれた。
「何!? 鼓膜が爆砕されます!?」
「お客さん~? 可愛らしい彼女さんですね~? 良ければ贈り物に装飾品などいかがですか~? このようなイヤリングも、彼女さんにとてもお似合いですよ~?」
見ると、ずんぐりむっくりとした……ずんぐりむっくりとした……何だ……。
見たままを言うと、直径一メートルほどの橙色の毛玉が横にいる。
えーと、マ、マリモ種……何かそんな感じ。
「う、うん、彼女じゃなく主だけど、丁度贈り物をしたいと思っていたんだ」
手持ち無沙汰にしている連れの周囲に、いつの間にか装飾品を中心とした商品を展開しているとは……こんなファンシーななりでかなりのツワモノと見た……。
無駄に吹っかけられないように注意と思いつつも、既に予算は潤沢で、まだ概算すら済んでいない阻塞気球と正騎士の分まで上乗せされるから不足はない。
リシィには今一度笑って欲しいけど、何でもない贈り物じゃ笑わないだろうな。
「それでしたら~? この白のワンピ~スはいかがですか~? 最近は~裁縫技術も加速度的に上がってまして~? これだけふんだんにフリルをあしらっても~? お値段はわずかニ割増しに抑えています~?」
この毛玉、わかっていらっしゃる……!?
どう見ても毛玉で、いちいち間延びした語尾に疑問符が見えるのに、僕のツボを把握して商品を用意している……何者だ……。
「ところで、貴方は……?」
「これは申し遅れました~? 私はサッツェルミ、ここの店員ですよ~?」
「サッチ……サッ、サッちゃん! 僕としてはもう少しシックな方が好きなので、そっちの大人びた感じのやつが良いかな。あ、だけどサイズが……」
「大丈夫~? 見ましたから~?」
この毛玉の人、サッちゃんはかなりの玄人だ。
普通は革鎧の上から見て、サイズを把握するなんて芸当は出来ない。
もしや、これが“鑑定”能力なのでは……見かけはともかく、こんなところでこの世界の神秘に出会ってしまった気がする。
何故か、僕はこの後で橙色の毛玉と意気投合した。
―――
ユキコさんの店に入ってから四時間……全く想定していなかった時間を費やし、ようやく解放される頃にはお昼を回ってしまっていた。
結局僕は、気が付いた時にはワンピースを色違いで三着、他にも自分では身に着けない装飾品をいくつも買わされていた。まんまと口車に乗せられてしまったけど、ものは確かなようで満足している。
リシィも色々と買ったらしいけど、配送サービスまでやっていたので特に荷物は増えていない。
肝心のサッちゃんの種族はわからず、残ったのは妙な達成感だけだ。
「リシィ、ワンピースが変わったね?」
何故かリシィは、ワンピースだけが着て来たものと同じ黒色で、少しフリルの増えたものに変わっていた。ただ、変わらず革鎧をその上に装備しているので、日頃から見ていなかったら気が付かなかった変化だろう。
増えたのは首周りと、スカートの裾を控えめな大きさで一周。
際立った主張や華やかさはないけど、かえって落ち着いた居で立ちが、リシィの少女と大人の微妙な境界にいる年頃には良く似合っていた。
ユキコさん……何と言うかグッジョブです……!
「ええ、本当はもっと色々と着せられていたのだけれど、外出していて油断は出来ないから、あまり動きを妨げない格好に戻したの。大変だったのよ」
「そうか、それは残念だ……」
「えっ……ざ、残念に思ってくれるの……?」
「それはもう、お姫さまの艶姿なんて、なかなか見られるものじゃないから」
「んっ!? カ、カイトは本当に、そう言うことを私の気もごにょごにょ……。そ、その内に見られる機会があると良いわねっ! ふんっ!」
「はは、それは生き甲斐になるな」
休暇にも関わらず、リシィのこの姿は僕のせいだ。
“三位一体の偽神”は、どこにいても油断ならない存在だと告げていた僕の。
迷宮から戻った時くらいは気を抜いて欲しかった……。罪滅ぼしじゃないけど、今日はリシィにとことん付き合って、どんな要望にもお応えしよう。
笑わなくても良いから、せめて心から楽しんでもらいたい。
「リシィ、今日はどんなわがままでも僕が聞……く……」
だと言うのに、僕は一人の少女と目が合ってしまった。
大通りを挟んだ反対側、こちらに体を向けて真っ直ぐに僕を見ている。
年齢はリシィとそう変わらないだろうに、その正気を失った瞳だけが異様。
身を震わせる悪寒、アレに宿っているのは狂気、この遭遇はダメだ。
そして、少女はステップを踏んで大通りを渡り始めた。
通り過ぎる馬車を意に介さず、その間を止まることもなくスルリと抜けて来る。
馬車が道を譲っているわけじゃない、まるで少女がそこにいない者かのように走り抜け、それでも決して轢くことはない。
「カイト、どうしたの……? あの娘は……?」
僕の視線の先に気が付いたリシィを背後に隠す。
やがて少女は、僕たちの眼前二メートルほど離れて足を止め、そして笑った。
本人は親しみを込めたつもりか、三日月を形作る口元からはやはり狂気しか感じられない。
こいつは……まさか……。
「アハー! やっと見つけたワ!」