幕間四 偽神の信奉者
――ルテリア行政府特別顧問室。
本来なら各自治会との設問の場であるこの部屋に、それとは関係ない案件で数名の行政府役員が集まっていた。
エスクラディエ騎士皇国代表総議官、シュティーラ サークロウスを筆頭とした、執政官や補佐官、武官である。
「それで、アレクシア チェインバースと言ったか。弁明を聞こう」
シュティーラによる有無を言わさない問いは、机に囲まれた部屋の中央に佇む一人の少女に向けられた。
年の頃は十代半ば、細く波打つ金髪とヘーゼルの瞳を持ち、腰に手を当て足を肩幅にまで開いた他者を威圧する佇まいは、この中にいながら女王の威厳を放っていた。
ただそれは、彼女がここに招かれた理由から考えるとあまりにも傲岸不遜、人を見下し馬鹿にするに等しい。
少女の名前は“アレクシア チェインバース”。
久坂 灰人がこの地に訪れる二ヶ月ほど前に保護された、地球人の少女であった。
即ちそれは、彼が“三位一体の偽神”と称する存在の信奉者ともなる。
「アッハハッ、弁明なんてあるわけがないワ! 神の御名において、アリーは邪魔なガラクタを殲滅したに過ぎないワ! 巻き込まれた者は皆、神に感謝すべきヨ!」
アレクシアがここに至った理由は、下層第三拠点シェハイムが【鉄棺種】に襲撃された際、彼女が拠点防護壁ごと周囲に甚大な被害を与えたことにあった。
奇しくもそれは久坂 灰人が正騎士を討滅した時と被るが、第三拠点の半壊はアレクシアによる完全に余計な一手間だ。
わずか数日で第ニ拠点を失い、第三拠点は機能不全により復旧中、普段は飄々と何者も寄せつけないシュティーラも今ばかりは頭を抱えている。
「ならば、貴様は自分の否を認めないと言うのか」
「あったりまえヨ! 全ては神によって定められた運命だワ! 死んでも神の元に召されるのだから、逆に羨ましいワ!」
シュティーラだけでなく、ここにいる誰もが少しの間で気が付いた。
『これは話の通じる相手ではない』と。
本来あって然るべき、倫理的道徳的観念が全くと言って欠如している。
正体不明の存在を神と盲信し、目的も判然としないまま、ただ己が身を【鉄棺種】討滅の尖兵と化す。
この者は誰が見ても、少女の皮を被った“異常”に見えてしまっている。
拘束しようにも出来ない。そんなことをすれば、彼女の……否、彼女たちに与えられた能力によって、迷宮探索拠点都市ルテリアが灰燼の中に沈んでしまう。
“信奉者”とはルテリアにとって悪性腫瘍となる存在、そんな認識が既に行政府の内部では広まっていた。
「ならば止むを得まい。ルテリアの未来を鑑み、貴様はここで切り捨てる」
「プークスクス……クハッ、アハハハハハハハハハハッ!!」
「何がおかしい?」
「おかしいも何も、アリーに手を出したら、ここは銃撃され砲撃され迫撃され爆撃され突撃され襲撃され打撃され、その悉くを撃滅されるワッ!!」
シュティーラの一度は大刀に指をかけた手が止まった。
幾多の武人を退け、万の騎兵を追い払い、大型の【鉄棺種】をも一刀で斬り伏せて来た彼女をもってして、たかが小娘如きに剛刃を抜くことも出来ない。
アレクシアの判明している能力、それはルテリアの在り方さえ変える奇跡に等しいものにも関わらず、それをただ神に敵対する者にのみ向ける。
これは核弾頭だろう、抑止力には過ぎ、時に所有する者にまで向く諸刃の剣。
盲信は人を狂わす、懐柔する手立てもない、取れる手段は狂犬として野に放ち、柄すらない抜き身の刃と認識するより他にない。
「アレクシア チェインバースさん」
この場にいる誰もが彼女の処遇に頭を悩ませる中、一人の男が声を上げた。
シュティーラのたっての命により、この場に居合わせた日本人、鶴来 宗屋である。
メガネをクイと持ち上げ、身を正して立ち上がる姿は、如何にもな日本人らしい生真面目な男だ。
その姿に何か思うことでもあったのか、アレクシアの興味はツルギに向いた。
「アナタは?」
「私はソウヤ ツルギ。君と同じ地球からの来訪者、日本人です」
「ジャパン! アリーはジャパンのアニメやマンガが好きで、一度ジャパンに行ってみたかったノ!」
「そうですか、それは良かった。では今度マンガをプレゼントしましょう」
「ホントに!? 約束ヨ!」
ツルギにとって、それは情報通りのアレクシアの性質である。
彼には優秀な諜報員が、少し周りに鬱陶しいと思われている“くノ一”がいる。
既にツルギはアレクシアを危険な因子と判断し、彼女の対策を練っていた。
「アレクシアさん、いえ、『アリー』と呼んでも?」
「勿論ヨ! アナタのことは『ソウヤ』と呼ぶワ!」
「ではアリー、プレゼントを差し上げる前にひとつ約束して欲しいのです」
「ソウヤ、何でも約束するワ!」
「神にとっての供物とはとても大切なもので、それは然るべき儀をもって捧げられるべきものです」
「そうヨ、当然だワ」
「ですが、貴女が無闇矢鱈に周囲を破壊してしまっては、その来たる時に支障が出てしまいます」
「ホワッ……壊してダメなものが含まれてたノ?」
「ええ、もしこれが神の目に触れたなら、どれだけお怒りになるでしょうか」
これまで傲岸不遜だったアレクシアの顔から血の気が引き、みるみる青ざめて消沈したものに変わっていく。
ツルギの言葉は実際に要領を得ないものであるが、神の存在を行動の軸とする彼女にとっては、全てが思い当たる節になってしまっていた。
最早彼女は聞き分けの良い子供だろう。ツルギに言い含められ、ほんの数瞬でこの場の言動を封じ込められてしまったのだ。
「そ、そんな……アリー、そんなこと知らずに……」
「大丈夫です。今のところ、充分に復旧は可能ですから」
「そっ、そうっ! それは良かったワッ!」
「ですが、神の思し召しに与りたいのなら、これ以上の破壊は謹んでもらえますか?」
「あったりまえヨッ! 神の御名に誓って、ガラクタだけ破壊することをここに宣誓するワッ!」
―――
アレクシアが部屋から退出した後、誰もが深い溜息を漏らした。
『これ以上は周りに被害を出さない』と言う証書は取れたが、異常者たる厳然とした事実は変わらない。何をしでかすかわからない存在は、この地を司る者たちにとっては非常に好ましくない悩みの種である。
「ツルギ、すまん。貴様一人に押しつけた形になってしまったな」
「いえ、あのままではここが戦場になっていましたから。止むを得ずとは言え、理想的な形に収まりました。建造物を破壊しない確約を取りつけただけでも充分です」
「……うむ、あれは何者なのだろうか。人とは思えん」
「調査中です」
総議官の中で“武”を司るシュティーラと言えども、人の概念の内に収まらない“異常存在”を相手にするのは精神を摩耗する。
その異常の中でも突如湧いて現れ出た一際の異常、“偽神の信奉者”アレクシアは、鍵がかからずとも鳥籠に入れる必要があった。
「ツルギ、貴様の国のカイト クサカもあれと同じ存在だろう。どうなっている?」
「既に報告にも上げた通り、正騎士を討滅した後は鍵を入手し、第一拠点にしばらく滞在した後、今は地上への帰路とのことです」
「またひとつ、悩みの種とならないことを祈るが?」
「それは大丈夫でしょう。彼はアレクシア チェインバースたちの祈る“神”を、依然として“良くないモノ”と判別しているそうです」
「そうか……事が起きた時に、その者の尽力が必要になるかも知れんな。ツルギ、繋ぎをつけておいてもらえるか?」
「承りました」
―――
話が終わり、部屋を退出したツルギの背後に音もなく一人の女性が現れる。
理由は不明だが、名字を名乗らずにただ『アケノ』とだけ名乗る“くノ一”だ。
「それで、動向はどうなっている?」
「ソウヤさんの読み通り、ルテリアに戻ったタイミングで鉢合わせしますね~」
「やはり、イレギュラーはこちらか」
ツルギにとって、アレクシアや他の信奉者は所詮逆さに打ち込まれた釘だ。
気をつけていれば踏むことはなく、先に鎚で叩いてしまえば突き刺さる先を失うだけだろう。
だが、イレギュラーともなると話は別。
途端に意識を向けていない側から打ち込まれ、その先は心臓にまで達する。
それは異常の中の異常、異質を超越した異端にも関わらず、一見は普通だと認識されてしまう存在……“斬鉄の青き剣”と呼ばれる英雄がいる。
――“五十蔵 瑠子”。
この時ツルギは、同胞こそが真に何者かに仕立て上げられた尖兵だと、得も言われぬ悪寒に苛まれていた。
――世界は回る。
久坂 灰人の与り知らないところで、今日もまた世界は回っていた。