第五十六話 地に堕ち 天を愁い 己を儚む
「ノウェム、しっかりしろ!」
僕たちは倒れたノウェムをビルに運び込んで寝かせた。
今はサクラが、ノウェムの体内で滞っている神脈の流れを調整しているところだ。
この世界の種の上位存在が神力を滞らせるなんて……どう言うことなのか。
“神力”……固有能力を使う際に活用する、何らかのエネルギー体。
身近だとリシィの“金光”、サクラの“炎熱”、ベルク師匠の“紫電”を現象させるための力で、その力は実在の物理現象とは大分違うらしい。
ノウェムの場合は光翼や空間干渉に神力を使っていて、サクラの見立てだと、それが何故か滞ってしまった結果が先ほどの鼻血だ。
リシィは思うところがあるんだろうけど、今は静かに見守ってくれている。
「これは、ダメですね……」
「サクラ、『ダメ』とは?」
「はい、ノウェムさんの体内では神脈自体が歪んでいます。鼻血は昨日今日でこうなったわけではなく、彼女が元来持つ“発作”が正しい認識でしょうか。力を使うとこうなり、治療してどうにかなるものではありません」
「今までそんな素振りは……」
いや、砲狼戦の後はしばらく姿を見ていない……。
僕自身意識のなかったことが理由じゃなく、ノウェムは発作で……?
何で……こんな状態になるとわかっていたはずだ。何で僕に力を貸した!?
ノウェムの状態が、どれほど深刻なのか僕にはピンとこない。だけど、彼女を良く思わないはずのリシィが眉根を寄せてしまっている。
憤りが鳴りを潜め、驚きと哀れみ、どこか同情の感じられる面持ちだ。
まさか、これが竜角を奪った理由……。
「うっ、ううっ……酷い目覚め……だ。ここは……?」
「ノウェム、大丈夫か?」
倒れてから小一時間、陽が落ちて暗闇に沈んだビルのエントランスホールは、松明の炎だけが静かに照らしている。
ノウェムの視線は定まっていない。茫洋と辺りを見回し、横たわる彼女の傍で膝をついている僕と目が合ったところで、ようやく意識を取り戻した。
「主様、か……。くふふ、無様であろう……?」
僕には何とも言えない。
それが彼女にとってどれほど無様なのか、僕は知らない。
ノウェムは僕の背後に立つリシィに視線を向けた。
「テレイーズの姫よ、すまなかった。我は……この無様な身をどうにかしたかったのだ。身勝手な振る舞いでおぬしを傷つけた」
リシィも何も言わない。
松明を背にする彼女の瞳は、暗く沈んで何色かわからない。
何を思うのか、こんな時にどうすれば良いのか、酷くもどかしい。
「笑うなら笑うが良い。第一位神族、エルトゥナン家の長子として生を授かったにも関わらず、力を使うと無様に鼻血を噴き出す我を、誰が認めてくれるのか」
“エルトゥナン”、サクラに聞いた話だとセーラム高等光翼種の主家、つまりノウェムもまた“姫”に当たる。
“光翼の姫”、種を代表する一族の娘が、誉れ高き神々の命脈の姫君が、生まれ持った力を満足に使えない。想像することしか出来ないけど、それはきっと僕が考える以上に酷な話だ。
「我は、本当はもう“エルトゥナン”ではない。名を、剥奪され……位階からも除籍され……堕天を強いられた……」
セーラム高等光翼種の住まう地は、あのスペースエレベーターの最上だ。
そこから落とされる……それは僕と同じ、異世界に放り出されるのと何ら変わりないのかも知れない。
リシィは唇を噛む、サクラは目を伏せる、全てを奪われた彼女にかけられる言葉が見つからない。
ノウェムの翠色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「う、うあ、ああ……わああああっ! ああああああああああんっ!!」
彼女は幼子のように人目も憚らず、何よりも悲哀を込めて泣き叫ぶ。
家族を失う悲しみは僕にもわかる……ノウェムの痛々しい泣き声が、苦しいほどに胸を締めつけた。
―――
「うぐっ……ぐすっ、あぐっ、ごめんなさい、ごめんなさい。えうっ、我は、また帰りたかったんぐすっ、家に。来訪者なのに、ぐすんっ、居場所がある主様、羨ましかったっあうっ」
ノウェムは長く泣き続けた。
探索者たちが墓守の掃討を終えて戻り、何ごとかと一度はこちらを見るものの、直ぐに察して遠巻きに見守るようになるまで。
僕たちも見守り続けた。それで晴れるものがあるのなら、気が済むまで泣けば良いと、ただ願って。
ひとしきり泣いたノウェムに、最初に声をかけたのはリシィだ。
「ひとつ聞かせて。私の竜角でどうしようとしていたの?」
静かに、子供をなだめるような声音で質問した。
「うくっ……声、聞こえたから。『龍血の姫の角を、秘蹟抱く聖忌教会まで持って行けば願いは叶う』……そう言われた、ぐすっ、から……」
「声……?」
「けどっ、何も起きなくて……うぐっ、どうすれば、ぐすっ」
意識がざわめく、右腕に力が籠もる。
やはり、これもまた何者かによって仕組まれたもの……。
リシィを迷宮に誘うための罠だとするなら、彼女にとって大切な竜角……決して無視出来ないものを餌にするのは常套手段だ。
“三位一体の偽神”によるもの……か?
「ノウェム、その声は、三位一体で聞こえる声じゃなかったか?」
ノウェムは怯えるように僕を見上げて頷いた。
リシィとサクラは驚いている。
想定するには行き過ぎだ、知らなければ聞けない問いだから。
「カイト、貴方……」
「カイトさん……」
こうなってしまった以上は話さないとダメだろうな……。ノウェムを放置して話せる内容じゃないから、今は彼女のことを優先して落ち着いてからだ。
「リシィ、サクラ、“声”については落ち着いてから話す」
「ええ、そうね……構わないわ」
「はい、わかりました」
リシィとサクラは頷いてくれた。
「それで、僕からの提案なんだけど。ノウェムを僕たちの仲間に、宿処に迎え入れてはもらえないだろうか?」
ノウェムが驚いて今一度僕を見上げた。
外見年齢相応の幼くあどけない表情で、ようやく落ち着いてきたのにまた泣き出しそうに顔を歪める。
この様子を見る限り、僕たちに頼るつもりは初めからなかったんだな。
リシィが僕を見て、そしてノウェムを見下ろしてからまた僕を見る。
瞳の色は緑と黄で、どうやら敵対する意思はもうないようだ。
勿論、僕はリシィの決定に従うけど、それは言い出せない。
信頼していることを盾にして、是とすることを強いてしまうから。
彼女がどんな結論を出そうとも、優先する順番は変わらないんだ。
「ふぅ……カイトならそう言うと思ったわ。ノウェム メル……ノウェムのやったことは許せないけれど、今なら気持ちもわからなくはないもの。思うところはあるけれど、良いわ。その代わりにこれは大きな貸しだからね、カイト」
リシィの高潔さはこんな状況でも変わらない。
竜角のことを考えると、受け入れるのは容易くないと思うんだけど……。
それを提案した僕も僕だな、この借りは必死に返していこう。
「ああ、ありがとう、リシィ。精一杯に返すよ」
「ふ、ふんっ! せ、精々頑張りなさいっ!」
サクラを見る。
「私はリシィさんさえ構わないのなら、カイトさんの提案には賛成です。このまま放っておくことも出来ません」
サクラは僕の提案なら何でも受け入れてくれそうだけど、それを利用するような真似はしたくない。彼女にも借りだ、『要らない』と言われそうだけど、恩義にはしっかりと報いたいんだ。
「ノウェム、と言うわけだ。君も今から僕たちの家族だよ」
ノウェムはまたクシャリと顔を歪めて僕に飛びついてきた。
そのまま後ろに倒れ、彼女は僕のお腹の上で泣きじゃくる。
リシィは複雑そうだけどそれでも優しげな眼差しを向け、サクラはもらい泣きをしてしまったのか、袖で自分の目元を拭っている。
僕はノウェムが泣き止むまで、彼女の頭を撫で続けた。
―――
夜も更けて欠けた月が中天を指す頃、僕はようやく解放された。
「カイト、お疲れさま。ノウェムは?」
「寝たよ。流石にあれだけ泣けば疲れもする」
「そう。はいこれ、カイトの分よ。冷めてしまったけれど、テュルケが焼いてくれたパンなの。こんな場所で器用よね」
「ありがとう。アディーテじゃないけど、お腹空いたよ」
「朝食べた切りだものね」
リシィの隣りに腰を下ろし、パンと言うよりはナンを受け取った。
ビルの谷間に出来た緑の大地には、既に支援部隊によってテントが設営され、探索者たちの酒盛りも宴もたけなわとなっている。
もう深夜だと言うのに、消えることのない焚火が明るく暖かい。
「リシィ、改めて本当にありがとう」
「何? ノウェムのことならもう気にしないで。あんな姿を見せられたら、張り詰めていた気も抜けてしまうわ」
「いや、それもあるけど、出会ってくれてありがとう。……と、何か急にお礼を言いたくなったんだ」
「な、なにゃあっ……あ、ああ貴方はまたそんなことを……しれっとした顔でずるいんだからっ……! ふ、ふんっ! どういたしましてっ!」
リシィは何か慌てて、突然ツンとして答えてくれた。
無表情に一日を過ごしていたころから、まだそんなに経ってはいない。
それがどうだろうか、ほんの少しの間に、普通の女の子と遜色ないほどに表情を取り戻しているんだ。彼女には感情の溢れるままに、生き生きとして欲しい。
竜角も取り戻したし、笑っても良い頃合いだと思うんだけど……笑わないな?
うーん……後は何が……。
「あ、カイトしゃんぅ、主役ぅがっいなくてぇ~、みんなぁふてくされてぇ~ましたよぉ~? えへへへへぇ~ですですぅ」
……!?
「テュルケに何か飲ませたの誰!? あああ、そっちはダメ! 焚火危ない! テュルケェエエエエエエッ!?」
「あれ、カイトさん。カイトさんも如何ですか、美味しいですよ。何か暑いですね」
「サクラ、脱ぐなああああああああっ!!」
「カカッ、若さとは思いのままに生きることこそ至極。なあ、アディーテ殿」
「アウー、やれやれ、手間をかけさせるな!」
「アディーテがそれを言っちゃうっ!?」
「ふふ……先が思いやられるわね」