第五十四話 答え 君のためだけの騎士で在る
“弩級戦艦”――三年ほど前にルテリアを墓守が襲撃した際、大断崖の上空に何をするわけでもなく浮いていたと聞く“船”だ。
全長が五百メートルはあり、墓守の母艦なのではと推測されている。
それが今真上に、高層ビル郡より遥か高空に存在する。
僕たちに戦う力はもうあまり残されていない。仮に万全だったとしても、ルテリアの全戦力を投入したとしても、対抗出来るかどうかすらわからない。
何で……何でこの世界はここまでの不条理に満ちている……!
「むっ!? まずい、カイト殿! アレは某では凌げん!!」
弩級戦艦から何かが投下された。
真下からじゃ全体を把握出来ないけど、だからこそその特徴が目立つ。
脚つきが多い中で数少ない“履帯”を持つ墓守、間違いない“戦車”だ。
車体の底面を晒し、勢い良く降下してくる。
……底面!?
一般的な戦車と同じなら車体底面は装甲が薄い、今なら破壊出来る!
「リシィ、アレの底を撃て! 降りる前に討滅するんだ!!」
「え、ええ! あっ、あうっ……」
立ち上がろうとしたリシィが倒れた。
直ぐテュルケに支えられたものの、手放された黒杖が路面に転がる。
僕が力を吸い尽くし、なけなしの最後の一撃を正騎士に放ったんだ。
力なく、それでも空を見上げた彼女の瞳は、色を失ってしまっていた。
サクラが体を揺らしながら立ち上がる。
ダメージの残る体で、何かをなそうと立ち上がる。
だけど、もう……。
「みんな! 建物の中へ!」
今は一縷の望みを託し、ビルの中に退避するしかない。
満身創痍の僕たちじゃ、あの砲をどうにかする術はないんだ。
“戦車”――実直な“兵器”の体裁を持った、戦車型【鉄棺種】。
本来は直掩の“騎兵”と同時に現出することから、実力があっても単一のパーティじゃ討滅は困難。全長十八メートル、大きなその車体はただひとつの搭載兵器のために存在する。
“電磁加速砲”――電磁誘導を利用し、弾体を加速させて撃ち出す砲。
初速だけ見ても、砲狼が搭載する百五十五ミリ榴弾砲の比じゃない。
この世界での正確な諸元はわからないけど、ベルク師匠でも凌げないと言うことは、紫電が影響を及ぼす前に着弾すると言うことだ。
地球でもようやく実証試験に入った段階で、一般人の僕にそれを凌ぐための知識なんてあるわけがない。
撃たれた時点で終わる、これはそう言う相手。
勝つ手段なんて、撃たせないことを前提としない限り思いつかない。
ましてや、既に発見されている状況じゃ今から隠れても無駄だろう。
僕は満足に動かない体を引き摺り、倒れたままの生存者に駆け寄った。
まだ朦朧としている彼らに、肩を貸して逃げることを促す。
――ドオオォンッ!!
二回、三回と、低空でスラスターを吹かせた戦車が着地した。
見た目は、黒塗りのアメリカ軍主力戦車M1エイブラムスを連想させる。
履帯が前後に分割していて、左右で計四つの脚が地球のものとは違う。
電磁加速砲は、先入観からもっと巨大なものを想像していたけど、実際に見るそれは百五十五ミリ榴弾砲とも大差ない大きさだ。
そして戦車は、音もなくリシィに砲口を向けた。
打開策を出そうと必死に思考していた意識が空になる。
何も考えていない条件反射、右脚の膂力で射線上に躍り出る。
ただ彼女から砲弾を逸らせれば良いと、無意識の行動だ。
“死”が脳裏を過ぎる。
神器が堪えたとしても、繋がった生身は跡形もなくなるだろう。
それでも、守りたい彼女のために僕は拳を振るっていた。
――ドゴンッ!! ドンッ!!
発砲と着弾が同時。
だけどそれは、僕たちにじゃない。
何が起こったのか、砲弾は戦車の砲塔の後ろを抜けてビル壁を破壊した。
砲塔からは火が噴き出し、電磁加速砲の砲身も破裂している。
一体、何が……?
「くふふ、何やら下界が騒がしいと思っていたら、主様が窮地に立たされているではないか」
空から満を持して舞い降りるのは、翠眼銀髪に黒灰色のドレス姿の少女。
背の四枚の光翼が後光となり、天使降臨と錯覚してもおかしくはない。
「ノウェ……ム……?」
「くふふふふ、ハヅルが矢を射られたような顔をしておる。主様が見出した能力の使い道、早速役立てた我を褒め称えて欲しいな。絶妙な機会も、妻となるには相応しい計らいであろう?」
離空間転移能力……!?
撃ち出た砲弾をそのまま返した!?
周囲の状況を確認する。思ったほど発砲の衝撃もなく、誰一人怪我もせず、誰一人何が起こったのかを把握出来ずにいる。
一人を除いて。
「ノウェム……メル……エルトゥナン……」
驚愕の表情を浮かべたリシィだ。
探し求めていた相手が目の前に現れた。
超過した理性が怒気をはらんで彼女の身を震わす。
「ノウェム メル エルトゥナン!!」
リシィは、怒り、憎しみ、悲しみ、今まで溜め込んでいただろう全ての憤りを露わにし、ノウェムに向かった。
ふらつき脚を絡ませ、転びそうになってもなお挑もうと満身創痍の身で走る。
だけど、身勝手だろうとその思いは僕が受け止める、彼女が人を傷つけて辛い思いを抱えるのは嫌なんだ。
僕は、いつか彼女がそうしてくれたように、リシィを抱き止めた。
「退きなさい!! 何故……何で邪魔をするの!! そこに、そこに!!」
僕は両手で宙を掻くリシィを、決して離すまいと更に抱き締める。
押し込め続けた感情の発露が、狂おしいまでに彼女自身を焼いているんだ。
なら劫火に焼かれようとも、僕は彼女を慰めたい。
「リシィ、大丈夫……大丈夫だから……。僕は君のためだけの騎士だから、必ず竜角は取り戻すよ」
瞳の色は抱き締めているからわからない、だけどきっと真っ赤なんだろう。
願わくば、赤くても良い、今少しの信頼の緑が混じってくれることを祈る。
安心して欲しい。嘘偽りなく、竜角は僕が取り戻してみせるから。
「うっ……ずるい……ずるいわ、カイト……。ううっ……貴方は……この憤りを誰にぶつけろと言うの……?」
「はは、それは僕に。全部受け止めるから、ダメかな?」
僕の胸で、リシィが顔を埋めたまま嗚咽を漏らす。
誰も、何も言わずに成り行きを見ている。
もし、この場を収めることの出来る者がいるとしたら、僕しかいない。
それを誰もが気が付いていて、故に黙し、ただ見守っている。
「ぐすっ……なら、取り返しなさい。待っているから、うくっ……必ず、貴方の手で私に竜角を返しなさい」
「わかった」
僕はリシィを離し、改めてノウェムに向き直った。
彼女が四枚の光翼を展開して宙に浮かぶ姿は、神の御使いと言っても過言じゃないほどに神々しい。“神族”か……まともにやりあったら勝てないんだろう。
だからこそ、僕はノウェムと面と向かって話をするしかないんだ。
「ノウェム、と言うわけだ。単刀直入に言う、竜角を返して欲しい」
「ふむ、我は愛人ではなく正妻が良かったのだが……。しかし、これもひとえに主を慕う女の度量。順番はこの際だ気にはせぬ」
「……何を、言っている?」
「くふふ、竜角を返せと言う話だろう、わかっておる。ほれ、傷ひとつ付けてはおらぬ故、丁重に返すぞ。すまなかったな、テレイーズの姫よ」
「……はっ!?」
ノウェムはゆるりと降りてきて、あっさりと僕に白金の竜角を渡した。
……え?
振り返ってリシィを見ると、驚き過ぎたのか半開きの口のまま固まっている。
再びノウェムに視線を戻すと、いつものように『くふふ』と鈴の声音を響かせた。
僕は、一体何の覚悟をしていたのか……。
「リシィ、予期しない事態だったけど、取り戻したよ」
「え、ええ……」
何が起きて、何が解決したのかもわからないままに、僕にとってもリシィと同じくらい大切だと思える竜角を彼女に渡す。
状況が状況なだけに喜びや達成感もなく、二人とも戸惑うばかりだ。
何にしても竜角は取り戻した。再び元に、繋がるのだろうか。
「主様よ、また動き出したぞ。我はもう力になれぬ、何とかしてはくれぬか」
ノウェムの指し示す先では、戦車が再起動して砲塔を動かし始めていた。
あの巨体だ、電磁加速砲を破壊されようとも人を容易く轢き殺せるだろう。
怖気づくな、僕はリシィのために何者だろうとも退ける。
「カイト! 力を貸しなさい!」
「え!? あ、ああ、仰せのままに」
僕が拳を握り締めたと同時に、リシィが再び瞳に意志の光を宿らせた。
リシィが必要とするのなら望むところだ。彼女の信頼に全て応えてみせる。
これ以上は戦車を動かすまいと、サクラが、テュルケが、ベルク師匠が、アディーテが、攻撃を仕掛ける。
ノウェムだけが道路脇に寄り、酷く疲れたようにその場に座り込んだ。
「リシィ、どうするんだ?」
「止めを刺すわ。私の騎士なら、“龍血の姫神子”の本来の力を知っておきなさい」
そう告げると、リシィの纏う気配が変わった。
今までとは明らかに違う、彼女の細い体から黄金の神力が溢れ出している。
竜角の一本とはこれほどのものか……なら僕は彼女の傍らに並び立つまで。
新たな神唱が紡がれる、翠を統べし神の歌が――。